尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

青春の「日活ロマンポルノ」、名作の数々

2012年05月08日 01時05分17秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今年は映画会社「日活」の創立100年で様々な記念上映が計画されている。その第一陣として、渋谷のユーロスペースで12日~6月1日まで3週間にわたって「生きつづける ロマンポルノ」30本の特集上映がある。今、改めて「70年代の青春」を振り返って、「日活ロマンポルノ」の意義を考えて起きたい。

 「日活」とは「日本活動写真」の略だから古い。大正時代の「目玉の松ちゃん」以来、時代劇を製作し日本映画の中心に存在してきた。戦時中に製作部門が国策で統合され、その後は配給会社として存続していた。1954年に製作を再開したが、しばらくは文芸路線がヒットせず苦労した。思いがけず石原裕次郎という大スターが登場、青春アクション路線で大ヒットした。60年代半ばになって吉永小百合が登場、若い世代が押し寄せる映画会社だった。しかし、テレビに押され映画界は斜陽化していき、ワンマン経営の失敗もあり、70年代になると経営危機におちいった。71年夏に公開された傑作「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督)を最後に従来の日活映画は終焉を迎えた。

 そして会社側は低予算の「成人映画専門会社」として生き残ることに賭けた。これは大手会社が会社ごとポルノ映画作りに集中するという世界映画史上空前の出来事だった。いくらなんでも「そこまで身を落とすのか」というのが当時の多くの人々の感想だった。それまでのスターやスタッフの多くも会社を去る。僕も若い映画ファンとして信じられない思いでこのニュースを聞いていた。しかし、1972年になってから映画雑誌「キネマ旬報」などを中心にして「ロマンポルノが頑張っている」という声が聞かれるようになった。そして72年のキネ旬ベストテンに2作品が入選、さらに主演女優賞を日活ロマンポルノの伊佐山ひろ子が取ってしまった。「忍ぶ川」の栗原小巻という大本命を押さえた受賞だった。

 以後88年まで700本近く作られたという。しかし、実質的には70年代に終わっていたと言ってもいいだろう。ロマンポルノがベストテンに入っているのも70年代だけである。そしてそれはちょうど僕の高校、大学、大学院時代に重なっていた。だからたくさん見た、というわけでもない。学生だから「名画座」に下りて来てから見ることが多く、池袋の文芸地下銀座並木座でたくさん見た。だから神代辰巳田中登など監督中心に評価された作品を後追いしたものが多い。それは日活だけでなく、東映実録映画であれ、外国映画であれ皆同じ。でも、神代辰巳や田中登の映画は本当に面白かった

 なんで当初のロマンポルノにあれほどすぐれた作品が相次いだのか。会社側は2週間ごとに2本の作品が必要で、「濡れ場」さえ入れれば何でも可に近い驚くべき自由が監督に与えられたのである。スターや監督が去り、若い助監督が昇進して自由なキャスティングで奔放に映画を作る。しかも会社の危機を背負い、「性」という人間の根源的なテーマを与えられる。低予算とはいえ、もっと悪条件で作っていた「ピンク映画」よりは予算が豊富で、ピンク界からも人材が集まった。評判を聞いた他社の大物監督をゲストに呼んだりもできるようになった。時あたかも60年代末の「政治の熱狂」が終わり、「挫折の青春」時代になっていた。政治に背を向けひたすらセックスにのめりこみ落ちて行く青春…というのが時代のムードに当てはまったこともある。

 と言っても、要するに今も残るのは数人の監督作品ということになるのではないか。凡作が多いのは、それまでの日活映画であれ、松竹の女性映画、東映の任侠映画、みな同じである。そして日活は決してポルノだけ作っていたのではない。けっこう一般映画も作ったし、児童映画ももう一本の柱として残した。例えばアクション映画を作っていた澤田幸弘は、「濡れた荒野を走れ」というポルノも作ったが、「ともだち」という児童映画の傑作も作った。(結局は「大都会」「西部警察」などのテレビのアクション番組の演出が中心的な仕事となった。)

 監督中心に簡単にみておく(太字がベストテン入選)
 神代辰巳(くましろ・たつみ、1927~1995)が7本上映。「濡れた唇」「一条さゆり 濡れた欲情」「恋人たちは濡れた」「四畳半襖の裏張り」「四畳半襖の裏張り しのび肌」「赤線玉の井 ぬけられます」「赫い髪の女」。「濡れた欲情」は近年見直したが全く古びていない大傑作。「四畳半襖の裏張り」は「下張り」が裁判になっていた当時作られたポルノの傑作。でも「赫い髪の女」こそやはりロマンポルノの最高傑作ではないだろうか。中上健次原作の傑作。
(一条さゆり 濡れた欲情)
 神代監督はストリッパーを描いた「かぶりつき人生」で67年に監督昇進していたが、その後干されていた。ロマンポルノ転身がかえって躍進のきっかけとなった。東宝に招かれ萩原健一、桃井かおりで「青春の蹉跌」を撮り評価された。これは今見ても面白い。その後続けて古井由吉「櫛の火」、丸山健二「アフリカの光」という暗い青春映画なんか東宝で撮ってしまった。日活では「宵待草」という75年の「大正ロマン」あふれる一般作品が大好き。「濡れた欲情 特出し21人」「黒薔薇昇天」「少女娼婦けものみち」などここで上映して欲しかったロマンポルノの傑作も残っている。残念。

 田中登(1937~2006)は「夜汽車の女」「㊙色情めす市場」「実録・阿部定」「人妻集団暴行致死事件」の4本。監督協会新人賞奨励賞の「㊙色情責め地獄」や「責める!」もやって欲しかった。「㊙色情めす市場」は書くのが恥ずかしいような題名だが、シナリオ原題は「聖母昇天」で、大阪のドヤ街に生きる売春婦親子の生をみつめる大傑作。主演の芹明香が素晴らしい。「実録・阿部定」は大島渚の「愛のコリーダ」を超える傑作。間に乱歩の「屋根裏の散歩者」をはさみ、最高傑作は「人妻集団暴行致死事件」。これもすごい題名だが、ある犯罪を冷徹に見つめ、人間存在の祈りにまで至る傑作で、事実その通りの題名というしかないのである。耽美派、社会派を合わせたような感じで好きだった。他社に招かれて大作をまかされると、決まってつまらなかった。
(実録阿部定)
 曽根中生(そね・ちゅうせい 1937~)は90年頃に映画界を離れ、行方不明とされ死亡説もあったが、昨年夏の湯布院映画祭に現れて健在が確認された。大分でヒラメ養殖や環境開発会社経営を行っていたらしい。今回「白昼の女狩り」という未公開作が公開される。「嗚呼!花の応援団」「博多っ子純情」のコミック映画化の名作を持つ。今回は「㊙女郎市場」「わたしのSEX白書 絶頂度」「新宿乱れ街 いくまで待って」「天使のはらわた 赤い教室」の5本。「天使のはらわた」シリーズは、その後コミック原作者の石井隆が自分で監督もするようになって、曽根作品が評価されなくなった面もある。

 他には小沼勝(1937~)が6本。「夢野久作の少女地獄」を撮った人だが、官能的な作品作りで再評価が必要だろう。加藤彰(1934~2011)が2本といったところ。アクション映画で活躍していた長谷部安春が2本。村川透「白い指の戯れ」は今見ると風景が貴重だが、話が甘いかも。相米慎二が招かれた「ラブホテル」もある。藤田敏八は一般映画が多いのでここでやらなくてもいいとは思うけど、一本もないのもどうかな。根岸吉太郎監督の「キャバレー日記」も佳作だった。たった30本にするのが難しすぎるわけだけど。本当は「女優ごと」にも書きたいところだけど、時間もなくなったのでこんなところで。見たことがない若い人のために簡単な紹介ということで。
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