尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

松岡保養園-最北のハンセン病療養所

2012年05月15日 21時05分13秒 |  〃 (ハンセン病)
 「ハンセン病市民学会」の第8回総会、交流集会で、青森市の松岡保養園に行った。去年は5月末に沖縄であったけど、今年は従来通り5月第2週に総会。去年行った沖縄本島北部の「沖縄愛楽園」や宮古島の「宮古南静園」は、銃弾の痕が残る場所だった。設置場所は中心部を離れた場所に作られている。それは基本的にどこの療養所も同じだけど、東京の東村山市にある「多磨全生園」などは今では市街地の中という感じ。でも周りは病院が多く、昔は町からはるかに離れた場所だったわけだろう。それは青森でも同じとはいえ、新幹線が青森まで延伸したときに「新青森駅」ができたために、ずいぶん町の中という感じになってしまっている。新青森駅南口からバス停で二つなので、歩いても行けるくらいの距離。僕はもっと八甲田山に近い山の中、例えば草津の「栗生楽泉園」のようなところと思い込んでいたので、ちょっとびっくり。園内からは八甲田を遠望できる。

 まずバス通りから園に向かうと、桜並木。園の正門が見えてくる。市民学会の案内掲示板がたっている。散りかけだけど桜がまだ見頃の季節である。
   

 園内フィールドワークで、「納骨堂」を訪れる。ハンセン病療養所に行ったことがある人は良く知っていると思うけど、療養所は「入ったら出られない場所」だった。病院とか老人施設、障がい者施設なども「出られない」場所だった場合もあるけれど、亡くなったら出ることにならざるを得ない。遺体、遺骨は家族、家族がいなければ自治体が引き取るしかない。施設に墓地までついてるところはない。しかし、法律で「終生隔離」の場所として作られたハンセン病療養所では、死んでも家族と引き離されていて家族の墓には受け入れられない場合もあった。(今でもあるだろう。)で、どこの療養所にも「納骨堂」が作られている。ここにも1000体以上の遺骨が納められている。最初の写真の手前にあるのは、近年明らかにされて衝撃を与えた、「療養所で中絶させられた胎児」の慰霊碑である。
 

 だから園内には各宗教のお寺、教会が必ずあるのも特徴となっている。カトリックの教会に入って話を聞かせてもらったが、園内だけでなく市内から入所者以外の信者もミサに来るのだという。園内の道路は一見何の変哲もない普通の道だけど、実は豪雪地帯対応で暖めて融雪することができるようになっている道なんだそうだ。家も特徴があって、「集合住宅」になっている。大昔の療養所は「大部屋」でプライバシーもなかったわけだけど、ここ何十年かで一戸建ての個人住宅方式になっていった。大体今まで見たところはそうだったけど、ここは個人住宅にすると冬の雪下ろしを入所者がやることになってしまう。だから家はアパート、マンションのように大きな建築物を建てて、部屋を各人に割り当てるという方式となる。なるほど日本各地でいろいろ違うもんだなあと感じさせられた。
 
 周囲と隔てるような大きな沼、屋根つきのゲートボール場などもあったけど、いい写真がないので省略。療養所自体を紹介したことがないけど、ここに行くのも大変なので紹介してみた。市民学会での話は別の機会に。
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青森から一気に帰る

2012年05月15日 00時05分06秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 青森駅前のホテルに泊まり、朝は6時過ぎに目覚める。早起きになってしまった。毎日11時には寝ていたけど、昨日は「イ・サン」を見たから眠い。韓国の歴史ドラマですね。NHKで日曜夜11時から12時。「ソンヨンの運命やいかに」という先週の予告編を見れば見逃せない。前にNHKスペシャルを見たあと、サンデースポーツを見て、ついてるままに「イ・サン」まで見てしまったことが何度かある。そういううちに楽しみに見るようになってしまった。

 で、頑張って7時半過ぎにホテル出発。今日は晴れてる。すぐに高速に乗らず少し国道7号をドライブ。4号が青森まで行くと、秋田方面へ通じる7号線に変わる。青森から弘前まではリンゴ林と岩木山の眺めが続き、日本の主要国道の中でも眺望のいい道ではないかな。この岩木山は昔登った。八甲田山も二度行ってる。映画や演劇も好きだけど、山と温泉とドライブも大好き。自分が車の運転が好きになるとは思ってなかった。免許を取ったのも遅いし、メカには弱いし、小さい頃は車酔いに苦しんだ方なのである。でも地理や歴史が好きだということが大きいと思うけど、風景を見てるだけで楽しい。無心で運転してればいいので、それもいい。いや、電車も好きで、車で行って電車に乗ったりもするけど。銚子電鉄とか、わざわざ車を置いて電車に乗った。

 弘前を過ぎて東北道に乗り、一気に東京を目指す。岩木山はなんだか素晴らしい眺めを写真に撮るのを忘れてしまったけど、岩手県に入り岩手山は岩手山サービスエリアというのが目の前にあるので撮ってみた。宮城の蔵王はよく撮れる場所がなく、福島に入って安達太良(あだたら)サービスエリアで安達太良山を撮る。高村光太郎の妻、(長沼)智恵子の生まれたあたりで生家がある。光太郎が「あれが安達太良山」とうたった山。リフトがあって今は登りやすいので、ここも昔登った。
  (岩手山と安達太良山)

 外国でドライブしたことはないけど、たぶん日本はドライブがとても楽しい国ではないかと思う。山あり海あり温泉あり。史跡が多く、最近は城好きが増えているけど、僕もずいぶん行った。山がちの風土で、盆地ごとに城下町がある。その風景の変化が運転としては楽しい。今は新緑、秋は紅葉、いつも何か花が咲き、フルーツ狩りがあるなど、植物の恩恵がドライブしていて楽しい。自然や歴史に興味関心があれば、これほど楽しいことはない。関東は田植えが終わっているけど、北上するにつれ田植え前になっていき、青森になるとまだ桜が咲いていた。そういう各地の違いを東京にいると忘れがちになる。そして各地に名物あり、銘酒と銘菓がある。まあお酒やスイーツもいいけど、僕にとってはむしろ各地に「銘麺」あり、が日本の旅の最大の魅力。そばあり、うどんあり、ラーメンあり。

 でも、東京にいると忘れがちの「日本は山がち」の風土は、けっしていいことばかりをもたらしたわけではない。小さな町ごとに閉鎖的な風土が作られ、それが「ハンセン病差別」を生んだもとでもある。そして良かれ悪しかれ昔は存在した「地域共同体」は、グローバリズムの中で完全に消滅しつつある。どこもかしこも似た風景。どこへ行っても、コンビニの食事で良ければ、安くあげられる。だから確かに「コンビニエンス」なんだけど。僕も一日目は飯坂温泉で食べようと思いながら、平日の夜の温泉街が完全に暗いだろうことを忘れていた。結局、電車で福島に戻り駅前で探しても特にないので、結局「サイゼリア」に入ったけど旅行しててもそういうことになってしまうわけである。
 
 まあ、それはともかく日本の風土を身体で知っておくことが大切だと思う。今回は東北道が震災工事中だったところが多い。福島のサービスエリアも一見震災前に戻った感じだった。被災地には今回は行ってないので語ることはできないが。ドライブ中は行きはほとんどラジオを聞いていた。特に今回は天気が不安定な日が多く、天気や道路の情報を知りたいからである。そうすると運転中にまずつかまるのが、ほぼNHKラジオ。東京の放送(NHKは594kHz、TBS、文化放送、ニッポン放送などなど)が聞こえるのは関東圏内。東北に入ると各県ごとの放送でないとよく聞こえない。各県に民放もあるはずだけど、運転中にすぐ電波を捕まえられるのがNHK。そうすると気象、交通情報は各県のものなんだけど、基本の番組は東京と同じである。案外、情報はもう東京一元化になっているわけである。(帰りは高速なので音楽も聞いたけど。なんか一番好きなのは、サイモン&ガーファンクルだなあと思った。今回は毎日4時からは相撲を聞いてましたけど。)
 途中、工事渋滞もありつつ、結局6時頃到着。青森一気帰りは初めてだけど、まあどうってことないね。ただ、春となり鳥たち、虫たちの活動が活発化していて、いつになく「鳥糞攻撃」がすごかった。フロントガラスにいっぱい。虫もいっぱいついてました。(ハンセン病のことは明日以後に。)
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