尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

新藤兼人監督を追悼し、新藤映画を振り返る

2012年05月30日 23時23分55秒 |  〃  (日本の映画監督)
 100歳の映画監督新藤兼人監督が死去。98歳で作った「一枚のハガキ」が昨年公開され、ベストワンになるほどの評価を受けた。この世界に言い残すべきことは言い切ったというような映画だった。昔、作家の宇野千代が「私、死なないような気がする」と言っていたけど、やはり98歳で死去した。当たり前だけど、死なない人はいない。今年が生誕百年だったが、健在だったためだろうけどフィルムセンター等での「生誕百年特集」が予定されていない。この60年の日本社会の変貌、人間の奥深さ、とりわけ戦争の真実を知るために是非見るべき映画監督だ。
(新藤監督と乙羽信子)
 1912年、広島に生まれ、京都に出て映画会社の雑役から働き始めた。溝口健二のもとでシナリオ修業をし、1943年、32歳の老兵として召集された。戦後になって吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」の脚本で評価され、脚本家として認められる。当時所属していた松竹から、世界が暗くて商業性が低いと評価されたのに反発し、吉村公三郎監督や俳優の殿山泰司らと退社して、独立プロ近代映画協会を設立。1951年、病気で早世した最初の妻との日々をつづった脚本「愛妻物語」を自分で監督した。この題材だけは自分で映画にしたいという思いが全篇にこもっている、まさに「愛妻物語」である。

 その後、40数本の監督作品、300本以上の脚本作品を残した。自分や吉村監督作品だけでなく、頼まれればどんどん脚本を書いたし、書けたところがすごい。日本映画史上、最高のシナリオライターと言ってもいい。例えば、「ハチ公物語」「遠き落日」もそうだし、「松川事件」「けんかえれじい」もそうである。谷崎潤一郎の「刺青」「卍」「春琴抄」(「讃歌」と題して自分で監督)、島崎藤村「夜明け前」、永井荷風「濹東綺譚」(監督も)、夏目漱石「こころ」(「心」として監督)、徳田秋声「縮図」(監督も)、川端康成「千羽鶴」、有吉佐和子「華岡青洲の妻」、大岡昇平「事件」、三島も井上靖も江戸川乱歩「黒蜥蜴」もある。「源氏物語」のシナリオもある。新藤兼人が脚本にした小説で日本文学全集が出来る。

 そのほとんどは、小説のエッセンスをつかみ、たくみにドラマ化し、2時間以内で人間と社会を浮かび上がらせるというシナリオのお手本になっている。しかし、「シナリオのお手本」の文芸映画では、なかなか人間性の破天荒な姿が出てこない。すごい脚本家だったけれど、巧みすぎたのかもしれない。監督作品が40数本と書いたけれど、なかにはほとんど顧みられない映画などもあり、確定させる意味が少ない。いくつかのテーマに分類できると思うけど、第一は「戦争を伝える」映画である。

①広島出身者として、戦争と原爆の悲劇を世界に伝える映画を作った。「原爆の子」(1952)が代表。「第五福竜丸」(1959)は戦争ではないが、核兵器の被害という意味で、貴重な記録性を持っている。劇映画だけど、水爆の「死の灰」を浴びた焼津の第五福竜丸事件をドキュメントタッチで描いている。「さくら隊散る」(1988)は原爆で死んだ丸山定夫らの劇団の悲劇を扱う。ただ、戦地へ行ったわけではないからかもしれないが、戦地を舞台にした脚本はあまり手掛けていない。そこで最後の最後に「一枚のハガキ」をどうしても作りたいと思ったのだろう。見ていれば「これだけは若い人に伝えておきたい」という気持ちが心底から伝わってくる。これも「銃後」の話だが、「クジにはずれて(当たって?)戦地へ行かなかった兵隊」(自分の体験)の物語である。
((原爆の子」)
女の人生を描く映画。女の生活とヴァイタリティを描く系列。宝塚出身の美人女優だった乙羽信子が、「愛妻物語」以来同志として、また長い愛人関係(最後は結婚)を通して、新藤映画を支え続けた。この関係は世界映画史上、フェリーニとジュリエッタ・マシーナに匹敵する。乙羽信子のために作った映画の作品群とも言える。まず、「縮図」(1953)は案外知られていないが、素晴らしい傑作である。徳田秋声原作の文芸ものだが、雪国の芸者の悲しい恋路を厳しいリアリズムで描いた大傑作。「銀心中」(田宮虎彦原作)も戦争に翻弄される人妻と若い青年の悲恋を描く。広島で在日朝鮮人の妻として貧困を生き抜く「」(1962)も傑作で問題作。「鬼婆」「悪党」などの作品も女の力ものだが、「人間の本源にせまる」作品群。乙羽信子が病気に倒れ余命がはっきりした段階で、新藤監督が乙羽のために作って大評判となったのが「午後の遺言状」(1995)。杉村春子の映画における代表作と言ってもいい。乙羽死後、大竹しのぶがある程度、その役割を引き継いだと言える。
(「午後の遺言状」)
人間の根源的な姿を追求する作品群。「裸の島」(1960)はセリフがないことで有名。瀬戸内の島で働く夫婦の姿を見つめ、人間の労働を崇高に描く。近代映画協会の赤字がかさんで、最後の作品として最低限の予算で作れる映画として構想された。「少人数合宿ロケ方式」はこの時の発明で、世界の独立プロの先駆といえる。モスクワ映画祭グランプリを取って世界に売れた。「どぶ」(1954)や「人間」(1962)は人間の欲望を赤裸々に描き出す。「鬼婆」(1964)「悪党」(1965)は中世に題材を取り、女の欲望を追及する。「本能」(1966)は戦争で不能となった男の話。他にもあるけど、性をさぐる系列はあまり成功していないことが多い。ミステリー仕立ての「かげろう」(1969)も人間の欲望の奥を描くと言うべき作品。文芸作品として作られた「讃歌」「濹東綺譚」や「北斎漫画」(1981)なども人間性の根源をさぐるという意識で作られているが、あまり成功していなかった。
(「裸の島」)
社会的な問題にインスパイアされて作った作品。「原爆の子」「第五福竜丸」も本来はここに入るが、戦争関係は独立させた。「連続射殺魔」永山則夫を描く「裸の十九歳」(1970)、出稼ぎ労働者の死をめぐる裁判を描く「わが道」(1974)、家庭内暴力を描く「絞殺」(1979)、いじめ問題を描く「ブラックボード」(1986)など、様々なテーマで作っている。

伝記的な関心で作られた一代記的な作品。この分野では、ドキュメント映画だが、師匠溝口健二に関する証言を集めた「ある映画監督の生涯」(1975)がある。記録映画としては原一男「全身小説家」しかないベストワンに輝いた。津軽三味線の高橋竹山の青春を描く「竹山ひとり旅」(1977)は感動的な名作。同志でもあった怪優殿山泰司の生涯を劇映画的に描いた「三文役者」(2000)、自伝的な要素が強い「落葉樹」(1986)や「地平線」(1984)、最後から二番目の作品「石内尋常高等小学校 花は散れども」(2005)などもある。「さくら隊散る」も中身は伝記映画に近い。
(「竹山ひとり旅」)
 振り返って判ることは、戦争や原爆を追及する社会派などと言われることが多いが、むしろ性や欲望を描くテーマ、人間性を追求する意気込みで作った文芸作品が多いことだ。しかもあまり成功していない映画がかなり多い。僕も見ていない映画が相当ある。以上のように5つにわけるのも本当は難しく、それぞれが相互に重なり合っている。少し作り過ぎたかもしれない。

 僕が傑作だと思うのは、「縮図」「裸の島」「竹山ひとり旅」「一枚のハガキ」である。「ある映画監督の生涯」「午後の遺言状」もまあ傑作。「愛妻物語」「銀心中」「母」などもすぐれた作品で、「原爆の子」「第五福竜丸」も貴重なテーマ性で映画史に残るだろう。60年代、70年代の本能映画なんかは、見たときは今村昌平や大島渚ほど成功していない感じがした。脚本をいっぱい書き、独立プロを維持してきたことが最大の功績ではないか。映画作家としては、作り過ぎたこともあって凡作も多かった印象がある。最後に「一枚のハガキ」を残したことで、この監督は真に歴史に残ることになったのではないか。大往生で、もうすべて後世代に残すべきメッセージは目の前にある。
コメント (3)
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