尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

今村昌平の映画を見る①「にあんちゃん」と「黒い雨」

2012年05月29日 01時06分46秒 |  〃  (日本の映画監督)
 今村昌平の映画、毎日通って「イマヘイ三昧」。からだが続くかな、あの重い、長い映画を毎日見ちゃって。やはり好きだし、面白いのである。それにずいぶん忘れてて、間違って覚えてる場面が結構ある。だから全部見てからでは忘れてしまうので、書き始めていきたい。

 間違ってた代表は「復讐するは我にあり」の有名な三国連太郎と倍賞美津子の「義父と嫁」の温泉場面。「お背中流させてください」から「発展」していく。日本映画の温泉シーン史上の名場面だが、温泉ロケではないらしい。三国は五島列島の漁民だったが、漁船を海軍に徴用されて別府の温泉宿に転じる。だから別府温泉のシーンだと思い込んでいた。実は、倍賞美津子の嫁が子供を連れて愛媛の温泉に家出してしまったのを、三国が連れ戻しにくる場面だった。愛媛の赤池温泉(確か)とあったけれど、そういう温泉はない。ちなみに「背中を流す」という表現は、この映画を見て知った。

 「にあんちゃん」では、「朝鮮が消された」と書いた。確かに4人兄弟姉妹が朝鮮人であることは特に出てこないのだが、周囲の環境や人物が朝鮮人であることは明確に描かれている。特に北林谷栄や小沢昭一が朝鮮人役であることは、セリフの発声から明らかである。前に見たのは学生時代だから、そこらへんがよく判らなかったのかと思う。今見ると、明らかに「在日の映画」になっている。映画としては、卓抜なリアリズム映画の名作になっていて、素晴らしい出来である。助監督に浦山桐郎が付いているが、「キューポラのある町」に(リアリズム朝鮮人映画として)ストレートにつながっている。
(「にあんちゃん」)
 次男が家出して東京に出てくる場面は貴重なロケで、当時の東京駅の映像が出てくる。ただ人物像が明確で、貧しいながら頑張っている兄弟の「名作」として「文部省特選」になってしまい、文部省にほめられる映画を作ってしまったのかと「反省」したという。その「反省」が60年代の重喜劇を生むのである。(なお「にあんちゃん」の原作者安本末子の娘にあたるのが、記録映画「在日」で炭鉱を訪ねる李玲子さんである。FIWC関東委員会韓国キャンプのリーダーだった。

 重喜劇をおいといて、同じく文部省特選の「黒い雨」。去年のスーちゃん追悼では見直さなかったので、1989年以来の23年ぶり。公開当時は、実は少し期待外れだったのだが、現在になると前より傑作に感じられた。あえて白黒で撮影された「原爆」リアリズム映画だが、その四半世紀近く経った間に、湾岸戦争、阪神淡路大震災、オウム事件、9・11テロ、イラク戦争、東日本大震災、福島第一原発事故と、89年には起こるとは全く思っていなかった出来事が相次いで起こってしまった。「人間が人間の命をないがしろにする」という出来事への感度が上がってしまった、残念ながら。

 89年当時は、原爆をめぐる表現がもっとあったように思う。例えば、丸木夫妻の「原爆の図」などももっと取り上げられていたと思うし、原爆をめぐる小説ももっと読まれていたと思う。だから「黒い雨」を見てもどこか似たような表現を感じてしまったかと思う。今となれば、被爆直後の広島を再現したシーンがある映画の中で、もっともすぐれたものかもしれないと思う。原作も記録だか小説だかわからない感じで、僕は世評ほど買っていない。製作当時は名作誕生と宣伝され過ぎて、特にカンヌでは受賞の期待が強すぎて無冠に終わったことが予想外という報道だった。
(「黒い雨」)
 何しろ「楢山節考」「うなぎ」の時は先に帰ってしまった今村監督が、「黒い雨」の時は最終日までカンヌにいた。その年のパルムドールは、ソダーバーグの「セックスと嘘とビデオテープ」だったから、先物買いである。その後の活躍を見ると当たりかもしれないが。「ニュー・シネマ・パラダイス」が審査員特別賞、永瀬正敏が出てたジム・ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」が芸術貢献賞、「ジプシーのとき」でエミール・クストリッツァが監督賞である。委員長はヴィム・ヴェンダース。確かに何か賞が来ても良かった。日本では、受賞まちがいなしの名作報道だったので、かえって僕は多少反発した。

 「原爆映画」という前提を除いて見れば、これは原作の最初の題のとおり「姪の結婚」の映画である。つまり「黒い雨」を浴びたことで縁談に恵まれない田中好子の姪をいかに結婚させるかという問題で、周囲の男たちが心配する。つまり「秋日和」や「秋刀魚の味」と同じではないか。これは「もうひとつの小津映画」だったのだ。これが最大の発見で、日本社会を考える際の重大論点だと思う。しかも「黒い雨を浴びただけで爆心地にいたというデマを流される」「業病だという噂で縁談がつぶれる」という、「もうひとつのハンセン病映画」でもあった。原爆の映画には間違いないが、結婚と差別を扱うという日本社会論になっていることを忘れてはいけない。

 あともう一つ、三木のり平のシリアス演技がこの映画で残ったなと思った。社長シリーズの「パーッといきましょう」が有名になりすぎて、それで残っては心外だと公言していた新劇出身のインテリ演劇人三木のり平。演出では森光子の出ている「放浪記」だろうが、映画のシリアス演技では「黒い雨」がこんなに素晴らしかったとは忘れていた。やはり名作だ。一度はどこかで見て下さい。 
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