尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

今村昌平の映画を見る②「果しなき欲望」と「復讐するは我にあり」

2012年05月31日 23時43分03秒 |  〃  (日本の映画監督)
 今村昌平の映画は、今見ても全く古びていない。むしろ面白さが増しているのではないか。今までに全部見ているのだが、改めて見直してそう感じる。今村昌平映画の感想で何回も使うのもどうかと思うんだけど、備忘の意味も含めて書いておきたい。

 今回見て非常に面白かったのが、初期の3作目「果しなき欲望」(1958)で、「和製ノワール」の大傑作だ。最近、50年代、60年代に作られた日本のミステリー映画が再評価されている。同時代に作られたキューブリックの「現金に体を張れ」のような匂いを持った映画が日本でもかなり作られていた。それらを「和製ノワール」と呼ぶのも定着してきた。今村昌平にこんなすごい「ノワール」があったのか。

 敗戦時、軍医がモルヒネを隠匿し、ドラム缶に詰めて埋め10年後に掘り出そうと決めた。10年後の日、軍医は現れず、妹を名乗る渡辺美佐子が兄は死んだという。西村晃、殿山泰司、加藤武、小沢昭一の男4人は、軍医は3人にしか知らせていないはず、誰かがおかしいと争い始める。結局それはともかく、まずは調べようとなるが、埋めた所は今は肉屋になっているらしい。近くの空き店舗を借りて、地下から掘り進めようということに決まる。
(「果しなき欲望」)
 犯罪、脱獄もので「掘り進む」映画は結構あるが、これは世界的にも良く出来た面白い映画だと思う。昇格3本目の映画だが、ふてぶてしい面構えの戦後を代表する怪優が勢ぞろいしていることがすごい。もっとも加藤武(文学座)、小沢昭一(俳優座)は、もとをたどれば今村昌平とは早稲田の演劇仲間である。小沢昭一は結局今村のほぼすべての映画に出ることになる。代表作は「人類学入門」。

 殿山泰司もほとんどの今村映画に出ているが、新藤兼人映画の方が重要。(「復讐するは我にあり」では最初に殺され、「楢山節考」では村人の長を演じている。)また印象深いのが西村晃。その後水戸黄門になってしまったけど、どうしても悪役が似合う戦後有数の怪優だと思う。代表作は今村の「赤い殺意」。こういうアクが強い男優を尻目に、あっと驚く怪演を見せるのが若き渡辺美佐子で、結局今村作品はこれ一本なのが惜しい。長門裕之が5人の悪役に交じる善人青年で助演、その恋人役が中原早苗。深作欣二監督夫人で、先ごろ亡くなった。

 知らない人にはあまり関心がない俳優の話になってしまったが、今村映画には何度も出てくる男優が多い。中でも文学座の名優北村和夫は「黒い雨」のおじや「神々の深き欲望」の技師など重要な役をやっている。大学どころか小学校時代からの友人である。他には、三国連太郎緒方拳柄本明役所広司など名優の勢揃いである。「復讐するは我にあり」では、三国連太郎、緒方拳の親子の相克が恐るべき迫力で描かれている。最後の面会の場面の対決は、映画史に残る対決シーンだろう。

 犯罪映画つながりで「復讐するは我にあり」。これは佐木隆三の直木賞受賞小説の映画化で、70年以来映画を撮っていなかった今村が9年ぶりにメガホンを取った。日本映画専門学校(当時はまだ横浜放送映画専門学院)の生徒が、校長先生も映画を撮ってください、僕たちもバイトでカンパしますと言ったとか。)同時代的に見た最初の今村作品で、印象が深い。日本に珍しいシリアルキラー(連続殺人鬼)である西口彰がモデル。原作はかなり事実を追っているが、映画は改変している部分が多い。新日鉄の労働者作家として新日本文学会でデビューした佐木は、沖縄返還前にデモ隊取材中に冤罪で逮捕されたりした。以来この事件の取材にしぼって数年、出版直後から直木賞確実の声が高かった。
(「復讐するは我にあり」)
 実際にあった話がモデルなのだが、原作を読んでも映画を見ても、なんで殺人を繰り返すのか納得できない。常識的な人間理解の範囲を超えてモンスターになりつつある。殺人以前に、詐欺を繰り返していた。映画でも詐欺が出てくる。だまされてしまう心理をうまく利用できる「才能」がある。これは緒形拳の名演でもある。映画として素晴らしく面白いんだけど、人間の心の闇の深さに震撼する。とにかく恐ろしい映画だと思う。静岡であいまい旅館を経営する小川真由美、その母の清川虹子(殺人の過去あり)もすごい名演。この小川真由美がだまされてもいいと東京まで出てくる場面が理解できるかどうかがカギではないか。理解できるような、不自然すぎるような。三国連太郎の父と倍賞美津子の妻は、割合理解しやすい方だと思う。

 映画であれ小説などであれ、見た後に判り切らない部分が残る、あれは何だろうと理解できない部分が残る、そういう作品こそ超一流だと思う。もちろん技術的に下手でわ判らないのではない。この映画も意味不明な描写は一つもない。しかし人間とは何かという本質において、全然判らないというザラザラとした違和感が残り続ける。ここには人間の深い闇が画面に描かれている。小説がドラマになると肉体が現れるが、名優が演じると恐るべき深みが出るということでもある。

 現実の西口彰という殺人犯をとらえたのは、冤罪支援活動をしていた僧侶古川泰龍の子ども(小学生)だった。死刑囚の教戒師をしていた古川は、福岡事件の西武雄らの無実を確信、救援運動に乗り出した。東京で弁護士を殺害し、弁護士バッジを入手した西口は、弁護士として冤罪救援に協力すると近づいて行ったのである。手配写真を覚えていた子どもが警察に連絡して逮捕された。実話とは思えないような話である。映画ではそこは変えられている。

 西口は裁判で死刑となり、処刑された。映画では処刑後の骨をまくシーンまで描かれている。その意味で、犯罪と死刑を描く映画でもあるけど、やはり人間の深奥を描く映画だろう。判るかというと、判らないという感じが残る。それがリアルで傑作の理由。図式的な理解、恵まれないからとか、親の虐待とか、時代が悪いとか、そういうことで理解できない。「だます人」なのである。図式的な部分が全くない。そこがすごい。忘れられない映画である。
コメント
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