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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

林京子、船村徹、岡野俊一郎、三浦朱門等-2017年2月の訃報

2017年03月07日 21時30分42秒 | 追悼
 2015年2月の訃報としては、映画監督の鈴木清順を別に書いた。今後あちこちで追悼上映が行われると思うけど、何度でも似たくなる作品が多いから、ぜひ見直したいと思う。その他に多くの重要な訃報が相次いだけど、案外書くことは少ないようなので、間歇に書いていきたい。

 まず、3月になって作家の林京子(1930~2017,2.19、86歳)の訃報が公表された。1975年に「祭りの場」で73回芥川賞を受賞した。30年たって書かれた長崎の原爆の実相である。それは非常に衝撃的で圧倒的な迫力があった。一つ前の72回芥川賞は最近書いた日野啓三(と阪田寛夫)、次回の74回は中上健次(と岡松和夫)である。しかし、文学史の時間などと無縁に、自分の体験を突き詰めて書いた人だろう。それだけに、流行作家となることなく、「祭りの場」しか読んでないという人も多いだろう。僕も「上海」しか読んでない。他に『やすらかに今はねむり給え』(谷崎賞)、『長い時間をかけた人間の経験』(野間文芸賞)などの独特の名前の小説がある。今後読んでみたいと思っている。

 作曲家の船村徹(1932~2017.2.16、84歳)は、作曲家として2人目、大衆歌謡界では初の文化勲章受章者だった。それは2016年のことだから、かろうじて逝去に間に合った。というか、長生きしていないと、国家による顕彰に与れない。1955年の「別れの一本杉」(春日八郎)の大ヒット以来、5500曲と言うのだから、確かにすごい。村田英雄が歌った「王将」は子どももみんな歌っていた。「矢切の渡し」何かは知ってるけど、僕はやはり知らない曲が多い。「道の駅日光」に船村徹記念館がある。

 日本サッカー協会会長やIOC委員を務めた岡野俊一郎が死去した。(1931~2017.2.2、85歳。)1968年のメキシコ五輪で、日本サッカーは銅メダルを獲得したわけだけど、その時のコーチだった。その頃からもう有名だったはずである。どうしてかと言うと、高校の時に(70年代前半)高校の講演会で話を聞いているのである。ただ一つ覚えていることがあって、「シュートを打たなければ、ゴールは入らない」という当たり前の言葉である。だけど、もちろん「人生の一般論」として「何にでも立ち向かえ」と高校生に言ったわけだ。この人の経歴を読んで、上野の老舗和菓子屋「岡埜栄泉」の社長でもあったと初めて知った。僕の高校は上野の近くだから、それで来てくれたのかもしれない。

 作家の三浦朱門が死去。(1926~2017.2.3、91歳。)「作家」というけれど、この人の小説を読んだ人はそんなにいないのではないか。妻の曽野綾子の方は文庫にも多く入っていたし、とかくお騒がせの文章を書いていたから、もっと読んでいるけど。文化庁長官など「文化官僚」として「活躍」したという感じの人である。産経新聞の訃報によると、「妻の曽野綾子さんの話」として「故人が大好きだった産経新聞を棺に入れる」とあったから、産経新聞とともに昇天したのだろうか。

 三浦朱門先生は読んでないけど、僕が読んでいたのは児童文学の佐藤さとるである。(1928~2017.2.9、88歳。)1959年に出た「だれも知らない小さな国」でデビューし、それが長大なコロボックル物語シリーズとなった。日本のファンタジー小説の草分けであり、非常に大切な役割を果たしたと思う。僕は一時期児童文学をかなり読んでいて、その頃にだいぶ読んだように思う。児童文学はもっと評価されるべき分野じゃないかと思う。

 元水泳選手の山中毅(つよし、1939~2017.2.10、78歳)は、「悲運のスイマー」などと呼ばれた。高校生の時に出たメルボルン五輪(1956)で銀メダル2個(400と1500自由形)、次のローマ五輪(1960)でも銀メダル2個(400自由形と800リレー)。次が東京五輪こそ期待されたわけだけど、当時はもう25歳は選手のピークを過ぎた年齢だった。400mで6位入賞に終わったのである。世界新を何度も記録しながらも、五輪では金に届かなかったということで、若い人の知名度はいま一つかもしれない。

 元大蔵大臣、厚生大臣の林義郎(2.5没、89歳)は、通産官僚から政界入りした「政策通」というタイプ。89年の参院選大敗後の総裁選に、海部俊樹、石原慎太郎とともに立候補したことで知られる。参院議員の林芳正の父親。漫画家谷口ジロー(2.11没、69歳)は「孤独のグルメ」で知られるが、関川夏央と組んだ「『坊ちゃん』の時代」が印象深い。書道家の高木聖鶴(せいかく、2.24没、93歳)は、「かな」書家の第一人者で、文化勲章受章者。というけど、書道界のことなど全然知らないから名前も知らない。

 外国人としては、「ミッフィー」作者のディック・ブルーナが死去。2.16没、89歳。この人の訃報が大きく取り上げられたのには、ちょっと驚いた。55年に最初の絵本が出て、日本では64年に石井桃子訳で「ちいさなうさこちゃん」が出た。これは僕には少し時間がずれていて、もう僕が絵本を買ってもらう年齢を超えていた。だから小さい頃の思い出など皆無なのである。他にも何人も訃報があったけれど、僕が知らない人が多いのでここでは省略する。
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