恵比寿ガーデンシネマで、11日から「イタリア ネオ+クラッシコ映画祭」というのが始まった。ネオレアリズモの映画、つまり「無防備都市」や「自転車泥棒」なんかは、今もあちこちで上映されることが多い。でも「わが青春のイタリア女優たち」として上映される5本の映画は、僕はもう二度と映画館では見られないんだろうなあと諦めていた映画である。こんな企画をやる人がいるのか。
11日に、さっそくヴァレリオ・ズルリーニの「鞄を持った女」と「激しい季節」を見て、陶然となって帰還した。いや、素晴らしい。もう一人、マリオ・ボロニーニの「狂った夜」「汚れなき抱擁」「わが青春のフロレンス」も楽しみだ。イタリアにかつて、フェリーニやヴィスコンティという巨匠がいたことは知っていても、ズルリーニとかボロリーニとか名前を憶えている人もほとんどいないだろう。
この中でボロリーニの「わが青春のフロレンス」は、71年のキネ旬4位になっていて、僕は当時見ている。匂い立つような世紀末のフィレンツェで、階級闘争の中を生き抜く若い夫婦を絵画のような映像美に描き出した映画。時々思い出して、この映画とか「エボリ」など昔見たイタリアの素晴らしい映画をもう一回見ることはできるんだろうかと思ったりした。それが簡単に実現しちゃんだから、世の中は面白い。でも、知らなきゃ見る人もいないだろうから、少し宣伝しておく次第。
ヴァレリオ・ズルリーニ(Valerio Zurlini、1926~1982)は、56歳で亡くなってしまって今ではあまり知られていないだろう。でも「激しい季節」(1959)と「鞄を持った女」(1961)は、いずれも「年上の女」に憧れる若き男を情熱的に描き出した映画。今も力強い魅力を持っている。前者はジャン=ルイ・トランティニャン、後者はジャック・ぺランと「フレンチ・イケメン」を起用した点でも似ている。ちなみに、ヴィスコンティもアラン・ドロンを重用したけど、イタリア映画で有名になったフランス俳優は結構いる。
「激しい季節」は、1943年のムッソリーニ失脚の日、海辺のリゾート、リッチョーネで戦争未亡人がファシスト幹部の息子と運命的な出会いをする。若者たちのようすと未亡人を取り巻くようすをていねいに描き出し、感銘深い。パッショネートな熱情は、戦時下の不穏と相まって、否応なく高まっていく。トランティニャンがファシズム幹部をやってる「暗殺の森」との類似点も興味深い。
一方、「鞄を持った女」は、クラウディア・カルディナ―レが「だまされた女」で登場し、だました兄の16歳の弟が親切に対応しているうちに恋に落ちる。その若い恋の初々しさ。そして、カルディナ―レの庶民的というか、ちょっと「お品がない」感じの演技が素晴らしい。カルディナ―レは「山猫」が代表だけど、「庶民的」をウリにする美人だった。この映画は中でも一番魅力的に撮られている映画かもしれない。どっちの映画も音楽がステキで、50年代頃の良質の日本映画っぽい感じもある。
他にも「イタリア式喜劇の笑み」としてアントニオ・ピエトランジェリ監督の映画が2本。これは全く知らないので書きようがない。「現代の巨匠パオロ・ソレンティーノの初期傑作」も2本。他にもやるけど、僕はズルリーニ、ボロリーニの映画が楽しみ。イタリア映画は全般的に好きなんだけど、このように二度と見れないと思っていた映画をやるのはうれしい。政治情勢や巨匠のアートではない、恋愛映画の傑作。そういうのも大事だろう。
11日に、さっそくヴァレリオ・ズルリーニの「鞄を持った女」と「激しい季節」を見て、陶然となって帰還した。いや、素晴らしい。もう一人、マリオ・ボロニーニの「狂った夜」「汚れなき抱擁」「わが青春のフロレンス」も楽しみだ。イタリアにかつて、フェリーニやヴィスコンティという巨匠がいたことは知っていても、ズルリーニとかボロリーニとか名前を憶えている人もほとんどいないだろう。
この中でボロリーニの「わが青春のフロレンス」は、71年のキネ旬4位になっていて、僕は当時見ている。匂い立つような世紀末のフィレンツェで、階級闘争の中を生き抜く若い夫婦を絵画のような映像美に描き出した映画。時々思い出して、この映画とか「エボリ」など昔見たイタリアの素晴らしい映画をもう一回見ることはできるんだろうかと思ったりした。それが簡単に実現しちゃんだから、世の中は面白い。でも、知らなきゃ見る人もいないだろうから、少し宣伝しておく次第。
ヴァレリオ・ズルリーニ(Valerio Zurlini、1926~1982)は、56歳で亡くなってしまって今ではあまり知られていないだろう。でも「激しい季節」(1959)と「鞄を持った女」(1961)は、いずれも「年上の女」に憧れる若き男を情熱的に描き出した映画。今も力強い魅力を持っている。前者はジャン=ルイ・トランティニャン、後者はジャック・ぺランと「フレンチ・イケメン」を起用した点でも似ている。ちなみに、ヴィスコンティもアラン・ドロンを重用したけど、イタリア映画で有名になったフランス俳優は結構いる。
「激しい季節」は、1943年のムッソリーニ失脚の日、海辺のリゾート、リッチョーネで戦争未亡人がファシスト幹部の息子と運命的な出会いをする。若者たちのようすと未亡人を取り巻くようすをていねいに描き出し、感銘深い。パッショネートな熱情は、戦時下の不穏と相まって、否応なく高まっていく。トランティニャンがファシズム幹部をやってる「暗殺の森」との類似点も興味深い。
一方、「鞄を持った女」は、クラウディア・カルディナ―レが「だまされた女」で登場し、だました兄の16歳の弟が親切に対応しているうちに恋に落ちる。その若い恋の初々しさ。そして、カルディナ―レの庶民的というか、ちょっと「お品がない」感じの演技が素晴らしい。カルディナ―レは「山猫」が代表だけど、「庶民的」をウリにする美人だった。この映画は中でも一番魅力的に撮られている映画かもしれない。どっちの映画も音楽がステキで、50年代頃の良質の日本映画っぽい感じもある。
他にも「イタリア式喜劇の笑み」としてアントニオ・ピエトランジェリ監督の映画が2本。これは全く知らないので書きようがない。「現代の巨匠パオロ・ソレンティーノの初期傑作」も2本。他にもやるけど、僕はズルリーニ、ボロリーニの映画が楽しみ。イタリア映画は全般的に好きなんだけど、このように二度と見れないと思っていた映画をやるのはうれしい。政治情勢や巨匠のアートではない、恋愛映画の傑作。そういうのも大事だろう。