尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「核」をめぐる大冒険、「アトミック・ボックス」-池澤夏樹を読む⑥

2017年03月20日 20時21分59秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹「アトミック・ボックス」(角川文庫)は、ものすごく面白いドキドキ冒険小説だった。それと同時に、いまの日本で「核兵器」や「原発」をどう考えるべきか、非常に重要な議論を行う小説でもある。池澤夏樹に関しては、2月初めにまとまって記事を書いた。著者に関しては「池澤夏樹を読む①」を参照。その時に書いた「カデナ」「光の指で触れよ」「氷山の南」などは、一度読み始めたら止められない面白さの「冒険小説」である。今回の「アトミック・ボックス」もそれらに負けぬ大冒険小説。

 また、「アトミック・ボックス」は、「ポスト3・11小説」という、もう一つの意味を持っている。東日本大震災に関しては、大津波による死者に関しては「双頭の船」という小説を書いた。一方、原発事故に触発されたテーマを扱うのが「アトミック・ボックス」。2012年9月から翌年7月まで毎日新聞に連載され、2014年に単行本として出版された。2月に文庫化されたので早速買って、やっと読み始めた。

 舞台の大部分は瀬戸内海の島々。内容は「国家的陰謀」に関して、警察の目をかいくぐって東京を目指す、若い女性研究者の大冒険である。ある漁師が亡くなり、娘にCDに入った遺書と秘密のデータを残す。父の過去など何も知らなかったのだけど、漁師になる前の前半生に何か大きな秘密があるようだ。死後に「誰か」がその秘密を回収に来ることになっているが、「秘密」をそのままに葬っていいのかと悩んだ父親は、事前にコピーを取って娘に託した。そして、実際に回収に来た公安警察(意外な人物)に秘密を全部渡さずに、娘は逃げることにしたのである。

 この娘、宮本美汐は、高松の大学で講師をしている新進の社会学者という設定。「同性のゆかり」で若い時に民俗学者宮本常一に手紙を出したというのが効いている。そして離島に住む独居老人の話を聞き集め、論文にまとめて評価された。その時に知り合った老人たちに助けられながら、国家権力に抗い続ける。「村上虎一」という老人は、海賊村上水軍の末裔を自称し、権力を恐れない。

 他にも、父のところによく来ていた新聞記者、昔からの友人など、さまざまな人が出てきて助けてくれる。現在はケータイ電話(スマホ)なくしてはいろいろと不便である、あるいは現金はそれほど持たず、ATM(現金自動支払機)を利用することがほとんど。だけど、ケータイやATMを使えば一発で場所を特定される。自動車があったとしても、高速道路や主要国道にはNシステムなる監視カメラが整備されているのは周知のことである。これらを使わずに逃げることは可能なんだろうか。

 さて、その「秘密」をまったく書かないと先に進めないので、簡単に触れておく。それは80年代半ばに、秘密裡に「原爆開発のシミュレーション研究」が行われたというのである。コンピュータ研究者だった父は、その研究に携わった。父は完全にノンポリだったのである。完全に秘密を要求される、その研究はなぜか途中で止められる。その理由、今も秘密とされる理由は最後に明かされる。父は広島で体内被爆していたことを研究終了後に知る。そして「3・11」を迎え、人間は原子力とは暮らせないと考え、自分が当時何も考えずに研究に参加したことを罪だったと深く後悔した。67歳と若くしてガンになったことも罰と考え、データの扱いを娘にゆだねたのである。

 この小説は、最後に種が割れると、「冒険小説」というより「政治小説」になる。そして、原発をなぜ日本が放棄しないのか、保守政界の大物を通して語られる。非常にリアルで、なんだか本当にあったことのように思えてしまう。そういう意味で、単に面白いというだけでは読めない小説だ。むしろ、理系というか工学系に読んでほしい小説。池澤夏樹は物理学専攻だっただけあり、設定はリアルである。軍事研究をめぐって、研究者の倫理が問われる現在こそ、非常に重要な意味を持つ。

 この小説を読むと、瀬戸内海の美しさ、豊かさ、歴史的な重要性も印象的だ。実際にある島もいっぱい出てくる。主人公が住んでいた凪島(なぎしま)はフィクションらしいけど、本島犬島などは実際にあるし、印象的な「瀬戸内国際芸術祭」というアートの祭典ももちろん実際にある。行ってみたいなあと思わせる魅力である。主人公が連絡に使う時に「映画のロケで使った分校」というから、小豆島の「二十四の瞳」かと思うと、伊集院静原作「機関車先生」のロケというから、細部のこだわりがうれしい。

 小説としての面白さだけなら、「氷山の南」の方が上かもしれない。でも、完全に現実の日本を舞台にした「逃亡劇」という意味で、この小説のリアルさはすごい。こういう風にできるのか。と同時に、ここで提出されているテーマ設定が、まるで現実のように思えるのが不気味である。「原子力とどう向き合うか」という意味で必読。趣味と友人は大事だというのも教訓かな。
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