日野啓三の作品を読むシリーズの最終回。芥川賞受賞作の「あの夕陽」を初め、代表的な短編を集めた「あの夕陽 牧師館」という本が講談社文芸文庫にある。今は新刊としては書店で入手できないようだけど、電子書籍で出ている。講談社文芸文庫は単行本一冊買うのと変わらない値段なので、「これで文庫かよ」と思いつつも、他で出ていない本が多いから結構買うことになる。2002年に出たこの本も出た時に買ってあって、15年して読んだ。

その中に「風を讃えよ」という18頁ほどの短編が入っている。1986年1月の「文學界」に発表され、単行本には収録されずに「日野啓三短編選集(上巻)」に収められたと出ている。
そういう短編だから、読んだ人はとても少ないんじゃないかと思う。でも、これはものすごく素晴らしい「風の小説」だった。「風の小説」なんて、一体なんだと言われるだろうけど、僕は風が好きなのである。ボブ・ディランが「風に吹かれて」をうたい、五木寛之が同名のエッセイを出している。五木寛之は今じゃなんだか抹香くさい印象が強いけど、若いころは「荒野」とか「デラシネ」とかいう題名の本を出していた。五木「風に吹かれて」は1968年に読売新聞社から出版された初のエッセイである。
ここで言う「風」は、どこにも所属せずどこにでも現れる精神のあり方を示すイメージである。世界を転々とし、一つところに執着しない。その反対語は「穴」である。堕ちてしまって閉じこもり、そこを深く掘っていく。だから、「風の小説」と「穴の小説」がある。穴に落ちてしまう「不思議の国のアリス」が典型的な「穴の小説」。村上春樹は「風の歌を聴け」から出発したけど、だんだん「穴の小説」を究める方向に進んでいくようになったと思う。
日本で書かれた最高の「風の小説」は、多分「風の又三郎」だと思うけど、今回読んで「風を讃えよ」も同じぐらい凄いと思った。「風の強い町である」と力強く始まり、町外れにある元石切場に住みついた謎の男、そして彼とただ一人心を通わせる少年を印象的に描いていく。男は出張の途中で偶然その町を知り、子どもの時に見た巨石遺跡を思い出す。そして、一人でストーンサークルを作り始めた。そして、風に意識を集中させて生きている。
虚弱で周囲に溶け込めない少年は、小さなころから風の声を聞いていた。そして男の様子を見つめ「風男」と名付けていた。二人は偶然知り合うことになる。少年は「風は息してるよ」という。「風はいつも同じ強さで吹いていないよ。ほら間をおいて切れ目があるでしょう。僕は切れ目の方が好き」と語る少年。男はビックリする。その通りだと思う。「風の本質は、吹くことではなく吹かぬことにあるのか。」
と言うように、現実社会から外れた大人と子どもが「風」を通して出逢い、風をめぐって世界を理解する。どこにも幻想的描写はないリアリズムで描かれているけど、印象としてはファンタジーや寓話、あるいは神話的な喚起力を持った作品である。こういう小説があったのか。改めて日野啓三という作家の「引き出しの多さ」に驚いた。こういう小説を書ける人は他にいないだろう。なお、日本の「風の小説」としては、梅崎春生「風宴」とか坂口安吾「風博士」などがあると思う。忘れた作品、読んでない作品も多いだろうけど、「風」という視点で読んでみるのも面白いと思う。
また映画には、ヨリス・イヴェンス(1898~1989)というドキュメンタリー監督の遺作「風の物語」(1988)がある。オランダ人でフランスで活躍した人で、「セーヌの詩」という映画が知られている。中国やベトナムで撮った映画も多く、レーニン平和賞を受けた左翼系作家だけど、最後の「風の物語」は、まさに「風」を主題にした不思議な記録映画だった。たしかユーロスペースで公開されたと思うけど、「風の小説」もあるなあと思ったのは、その映画を見たからである。

その中に「風を讃えよ」という18頁ほどの短編が入っている。1986年1月の「文學界」に発表され、単行本には収録されずに「日野啓三短編選集(上巻)」に収められたと出ている。
そういう短編だから、読んだ人はとても少ないんじゃないかと思う。でも、これはものすごく素晴らしい「風の小説」だった。「風の小説」なんて、一体なんだと言われるだろうけど、僕は風が好きなのである。ボブ・ディランが「風に吹かれて」をうたい、五木寛之が同名のエッセイを出している。五木寛之は今じゃなんだか抹香くさい印象が強いけど、若いころは「荒野」とか「デラシネ」とかいう題名の本を出していた。五木「風に吹かれて」は1968年に読売新聞社から出版された初のエッセイである。
ここで言う「風」は、どこにも所属せずどこにでも現れる精神のあり方を示すイメージである。世界を転々とし、一つところに執着しない。その反対語は「穴」である。堕ちてしまって閉じこもり、そこを深く掘っていく。だから、「風の小説」と「穴の小説」がある。穴に落ちてしまう「不思議の国のアリス」が典型的な「穴の小説」。村上春樹は「風の歌を聴け」から出発したけど、だんだん「穴の小説」を究める方向に進んでいくようになったと思う。
日本で書かれた最高の「風の小説」は、多分「風の又三郎」だと思うけど、今回読んで「風を讃えよ」も同じぐらい凄いと思った。「風の強い町である」と力強く始まり、町外れにある元石切場に住みついた謎の男、そして彼とただ一人心を通わせる少年を印象的に描いていく。男は出張の途中で偶然その町を知り、子どもの時に見た巨石遺跡を思い出す。そして、一人でストーンサークルを作り始めた。そして、風に意識を集中させて生きている。
虚弱で周囲に溶け込めない少年は、小さなころから風の声を聞いていた。そして男の様子を見つめ「風男」と名付けていた。二人は偶然知り合うことになる。少年は「風は息してるよ」という。「風はいつも同じ強さで吹いていないよ。ほら間をおいて切れ目があるでしょう。僕は切れ目の方が好き」と語る少年。男はビックリする。その通りだと思う。「風の本質は、吹くことではなく吹かぬことにあるのか。」
と言うように、現実社会から外れた大人と子どもが「風」を通して出逢い、風をめぐって世界を理解する。どこにも幻想的描写はないリアリズムで描かれているけど、印象としてはファンタジーや寓話、あるいは神話的な喚起力を持った作品である。こういう小説があったのか。改めて日野啓三という作家の「引き出しの多さ」に驚いた。こういう小説を書ける人は他にいないだろう。なお、日本の「風の小説」としては、梅崎春生「風宴」とか坂口安吾「風博士」などがあると思う。忘れた作品、読んでない作品も多いだろうけど、「風」という視点で読んでみるのも面白いと思う。
また映画には、ヨリス・イヴェンス(1898~1989)というドキュメンタリー監督の遺作「風の物語」(1988)がある。オランダ人でフランスで活躍した人で、「セーヌの詩」という映画が知られている。中国やベトナムで撮った映画も多く、レーニン平和賞を受けた左翼系作家だけど、最後の「風の物語」は、まさに「風」を主題にした不思議な記録映画だった。たしかユーロスペースで公開されたと思うけど、「風の小説」もあるなあと思ったのは、その映画を見たからである。