尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

なぜ申請を取り下げたのか-森友学園問題③

2017年03月13日 23時06分15秒 | 政治
 さあ、森友学園問題をもう少し書いておこう。3月10日に、この問題の様相は変わった。森友学園の籠池理事長が夕方に記者会見を行い、小学校の認可申請を取り下げたと突然発表したわけである。それは何故か、どういう意味を持つのか。すべては「小学校を作りたい」ということから始まっていたわけだから、これで「一件落着」なのか。とんでもない。そうではないし、そうさせてはならない。

 「3月10日」は「3・11」の前日である。これは初めから判っているから、各ニュース番組は準備を進めている。キャスターが前日ぐらいから現地入りしていたところも多い。そのうえ、数日前に「韓国憲法裁判所の大統領罷免の可否判断」が10日に出ることが発表された。罷免の可能性が高いと思われていたけど、どっちにせよ普通はこれがトップニュースである。

 さらにWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の一次リーグが始まっていた。日本は2連勝で前日までに1位通過を確定させていたが、必ずキューバ戦で勝つとは決まっていない。実際1点差だった。負けていたら、10日の中国戦にリーグ戦突破がかかっていた。さらに新横綱誕生で人気沸騰の大相撲が12日から開始だから、スポーツニュースもいろいろある時期である。

 ところで、驚くべし、7時のニュースのトップはパク・クネでも森友でもなかった。「南スーダンのPKO、自衛隊撤退へ」という突然の決定だった。「任務終了」というけど、南スーダンの治安状況は「安定」していると強弁し続けていた。稲田防衛相の答弁は、どう見てもよく判らないものだった。2015年の「安保法制」で可能になった「駆けつけ警護」が可能になったばかりだというのに、「任務終了」なのか。

 いまはPKOの問題を突き詰めて書かないけれど、案の定翌日の新聞はPKOや震災や韓国政局でいっぱいだった。それまで毎日のように一面トップだった森友学園問題は、相対的に小さく扱われていた。「それが目的か」とやはり思わないわけにはいかない。野党側が「森友隠し」というのもうなづける。このように「3月10日に、森友に撤退させる」という仕掛けがあったのだろうかと思われる。

 というのは、前日に大阪府の調査が入り、その調査のさなかに籠池理事長夫人が「大阪府職員をケータイカメラで撮る」という行為があり、結果的に「調査はできない」となっていた。調査の結果、認可につながるのなら、学園側がこんなことをするはずがない。仮に夫人が勝手に撮ったとしても、理事長なり他の家族が止めるはずだ。調査不能を受けて、翌日の新聞は「大阪府、小学校不認可へ」と大きく報じていた。僕が思うに、これは「撤退に向けた出来レース」だろうと思う。

 今報じられているニュースでは、建設費に関しては「3つの費用」があるらしい。その他、認可申請の書類に「虚偽」が含まれている可能性が高い。そういう風に私学審議会で認定されると、単に不認可というだけでなく、今後数年間の申請不可処分になる可能性が高い。そういう例としては、「幸福の科学」が申請した「幸福の科学学園大学」のケースがある。大川隆法の「霊言集」を大学で扱うなどが不適当とされ不認可になったが、脅迫めいた言辞があったとして2019年10月31日までは認可しないという処分がなされている。森友学園も同じようなことになったはずである。

 だから、申請取り下げは「現段階における一定の合理的判断」ではある。だけど、この間の経緯はマスコミや外国(つまり中国、韓国だけど)の「陰謀」だと、かなり本気で信じ込んでいるような籠池一家に、そういう合理的判断ができるのか。実際、取り下げによって、国は契約にある「買い戻し」条項に基づき、「森友の負担で更地にして、買い戻す」と言われている。学園側は、そういうことがあっていいのかと訴えている。応援メールが殺到していると称して、「全保守」に向け「愛国教育」を進めるわれわれがこんなことになっていいのかなどといった檄を飛ばしている。

 じゃあ、なんで取り下げたのか。僕が想像するには、「誰かが引導を渡した」のだろうと思う。「首相夫妻に取り返しのつかない迷惑をかけている。ことの是非はともかく、昔なら切腹ものだ」などと誰かがいう。「もう取り下げて、いったんあんたも退任しなさい」などと。そういう風に言ったかどうかは判らないけど、仮にそういうことがあるとすると、次はこうなる。「いずれ、その償いはするから、それまで謹慎していてくれ。国会等には呼ばれても行くなよ。」

 こういう風に動く人が、実際に保守政治の裏側に今もいるのかは知らない。具体的に話を進めた人はいなかったかもしれないけど、「互酬」で結びつく保守政治では、そういう論理で進むのではないかと思う。一度不認可処分を受けてからでは、もう取り返しがつかない。「潔く取り下げる」パフォーマンスは必須である。そうじゃないと、「もう取り下げられたんだから、いいじゃないか」と言えなくなる。政府からすれば、「他にもいろいろ問題はあるでしょ」と言いたいわけだろう。

 そういう風に考えると、この後にも「もう一波乱」が予想できる。それはどういう形を取るか、まだまだ思いがけぬ登場人物が現れてくるのではないかと思っている。まあ安易な予想は止めて、今後の推移を見続けていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする