尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

いま見るべき映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」

2017年03月24日 21時34分04秒 |  〃  (新作外国映画)
 ダニエル・ブレイク、59歳。イングランド東北部のニューカッスルで、40年間大工をしてきた。長いこと妻を介護し、看取った後で自分も心臓を悪くする。病気だから働けないし、医者からも働くなと言われているのに、なぜか継続審査の結果、雇用支援手当てを受けられくなる。「就労可能」とされてしまったのだ。だから、「職業安定所」に行って求職者手当の申請をせざるを得なくなった。

 ダニエル・ブレイク、あなたは素晴らしい。僕はあなたを尊敬する。自分の状況も大変だというのに、職業安定所で見かけた名も知らぬ子連れの若い女性に手を差し伸べた。彼女はロンドンから来たばかりで、バスの路線も判らなかった。下の子どもも大変で、面接の時間に30分遅刻したのである。どうしても給付金が必要なのに、「時間厳守は大切だ」として給付金は受け取れず、減額処分になる違反審査にかけると言われた。彼女は納得できず、つい言葉も大きくなる。

 そんな彼女を周りの人々は「見て見ぬふり」をしていたのに、ダニエル・ブレイクは思わず立ち上がる。おかしいじゃないか、ひどいじゃないか。彼女の話を聞いてやれと。なんでみんな黙って見ているんだ。誰にもできそうだけど、じゃあ、その場にいたら自分はできたか。今まで何度もそうだったように、その時も「なんか面倒そうな人たちだな」と見て見ぬふりをしたのではないか。

 もっとも、やはり声を上げた結果、二人とも追い出されてしまった。これ以上騒ぐと警察を呼ぶと言われて。だけど、その後、二人は知り合いになり、手助けしあえるようになる。本当に? 人間は一番肝心な時に、助けを求められない。一番助けが必要な時につい助けを求めて断られ、数少ない友人を失ってしまうのが怖いから。あるいは、そんなに困っていると知られて、自分の最後の誇りまでズタズタになってしまうのが怖いから。彼女の名前はケイティ。一度交わった二人の人生はどうなるか?

 イギリスを代表する映画監督、ケン・ローチ。80歳にして、満身の怒りを込めて現代社会を撃つ映画を作った。2006年の「麦の穂をゆらす風」に続いて、ケン・ローチに二度目のカンヌ映画祭パルムドールをもたらしのが、「わたしは、ダニエル・ブレイク」(I,Daniel Blake)である。これほど心から感動する映画には何本も出会えない。一貫して左派として活動し、イギリスの階級社会を描いてきたケン・ローチが、今もなお元気で素晴らしい映画を作った。これを見ずして、何を見るのか。

 映画、というかアート一般には様々な意味合いがある。社会派じゃなければダメというつもりはないけれど、特に多くの人に見てもらえる劇映画というジャンルには、非常に大事な役割がある。人々が「いま」の世の中について考えるきっかけとなり、自分たちの社会を考えることにつながる。そんな力を持つ映画も何本も作られてきたと思う。「わたしは、ダニエル・ブレイク」はそんな映画である。

 ダニエルは大工として生きてきて、パソコンは使えない。だけど、様々な申請書はウェブ申請のみとなっている。苦情もメールのみ。連絡用の電話番号にかけても、全然つながらない。1時間以上も待って、やっとつながって、苦情を言うと「コールセンターに言われても」となる。仕方なくパソコンの使い方を教えてもらうと、「マウスを画面の上で動かして」と言われ、実際にマウスそのものをディスプレイの真上で動かしてみる。やっと申請書を出して書き込んで送信すると、何かが間違っていてエラーとなる。何度もエラーになって、タイムアウトになってしまって申請はなかなかできない。

 いや、もう僕自身はもっとパソコンができる。若い人たちは、生まれた時からパソコンがあり、学校の授業でも教わる。だけど、もっと年長の世代はそうではない。見様見真似でパソコンを始めた時は、やっぱりそんなものだったから、フリーズしたり、エラーになった時の理不尽さは想像できる。ダニエルの場合、そもそも求職手当を申請すること自体がおかしい。だから、怒りに駆られるのもよく判る。そんなダニエルが自分の問題を抱えながら、ケイティ一家を手助けしようとする。困ってる隣人を手助けすることは当たり前じゃないかと言うように。でも、もちろんダニエル一人では世界を変えられない。

 経過そのものはいちいち書かないけど、非常にいろいろなことを考えさせられる。「フードバンク」のシーンは衝撃的。ケイティは通信制大学で学んでいたが、18歳の時に「運命の人」と思った人の子どもができる。(この子の父はアフリカ系である。)だけど別れた後で、また違う人の子どもを産んで、貧しいシングマザーとなった。下の子どもは発達障害で、なかなか集中できない。大家に雨漏りの苦情を言ったら追い出され、ホームレス施設に。そこも狭くて2年で限界に達し、ロンドンから遠いけど新しい土地を紹介された。でももう、電気代を払う余裕もない。貧困が人の尊厳を奪っていくことがよく判る。

 小さなシーンにも印象に残ることが多い。上の女の子の靴を安い接着剤でなおし、学校で壊れていじめられたという話。ダニエルは妻の介護で生活が夜型になり、夜にラジオを聞いている。それが「ラジオ深夜便」みたいな感じで、そこで流れていた曲が気に入って録音してよく聞いている。そんな細部が心に残る。でも、神ならぬ人がいかに努めても、結局はこうなるしかないのかという展開になっていく。そして最後のシーン、人がいかに生きるか、あらためて深い感動が心に残る。ダニエル・ブレイク、あなたの小さな勇気を忘れないでいよう

 ダニエル役はデイヴ・ジョーンズという人で、イギリスではそれなりに知られたコメディアンだという。実に存在感ある演技だけど、父親は大工だったという。ケイティはヘイリー・スクワイアーズという新人。ケン・ローチとしては、イギリスを舞台にした映画としては「ケス」と並ぶ傑作だと思う。社会派で通してきたケン・ローチだけど、近年は「エリックを探して」や「天使の分け前」など、ユーモラスな作品も多い。だけど、今回は「全身社会派」という感じだ。山田洋次やクリント・イーストウッドより、骨がある。

 なお、この映画の上映権のある30年間、「ダニエル・ブレイク基金」が活動していくという。映画の収益の一部を、貧困に苦しむ人々を援助する団体に助成する。でも、監督はチャリティ活動は一時的なもので、社会システムを変えるための政治的運動も欠かせないと述べている。東京ではヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、立川シネマシティで上映中。他の地域はホームページで確認を。
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