1回目は文化大革命まで書くつもりが途中で終わってしまった。「栄光と悲惨」の悲惨まで行けなかった。僕が幼い頃には中華人民共和国は「文化大革命」の真っ最中で、「紅衛兵」のニュースが新聞やテレビにあふれていた。「紅衛兵」は「毛主席語録」を手に掲げながら「造反有理」を主張して革命の最前線に立っていた。というか、そういう風に見えていた。だから、ある種「カッコいい」存在に見えたのは間違いない。「紅衛兵」がいかにとんでもない暴力を振るって、知識人を圧迫して殺したか。党内の抗争に利用されて、殺しあったか。それどころか、「紅衛兵」の中にも身分差別が横行していたか。そういうことを僕はまだ知らなかったのである。
(毛主席語録を掲げる紅衛兵)
僕はその「毛主席語録」を中学生の時に読んでみたことがある。別に少年マオイストだったわけではなく、単に世界中で評判になっていたから、どんなものか知りたかったのである。日本でも本屋の店頭に並んでいて、「赤尾の豆単」をもう少し小さくした程度だから中学生にも買える値段。しかし、これは全く面白くない本だった。まあ抗日戦争期の延安で行われた講話は、戦時中だから割り引いて読むべきかもしれないが、まったく「自由」とか「人権」という発想がないのである。こっちも何も判ってないけれど、この世界では生きていけないと直感させるものがあった。
(毛主席語録)
今になってみると、中国共産党は中華人民共和国建国以来、権力争いに明け暮れていた。文化大革命だけが間違っていたのではなく、50年代の「反右派闘争」こそ最大の誤りだった。その時期の「大躍進」政策で数千万人が餓死したと言われる。1959年に開かれた廬山会議で毛沢東を批判して解任された彭徳懐国防部長の方が正しかった。彭徳懐がいかに硬骨漢だったか、「彭徳懐自述」という自伝が残されている。しかし、そのような「悲惨」をもたらした最大要因は何なのだろうか。毛沢東の独走を止められなかったのは、「共産主義」に原因があるのか。それとも中国の歴史的、政治的、文化的要因によって毛沢東が事実上の「皇帝」になったからだろうか。
この「中国共産党の統治」は事実上中国史に続く「皇帝政治」なのだと言う人はかなりいる。初代皇帝が毛沢東で「建国」をした。二代皇帝が鄧小平で「改革開放」で強国への道を開いた。そして第三代皇帝を目指しているのが習近平だという理解になる。ソ連が崩壊してロシアになっても、結局プーチンの独裁みたいな政治が続くわけだから、結局は「歴史的伝統」の方が強いという考え方も一理ある。僕にははっきりとした結論が出せない。ソ連だけでなく世界中のどこでも、「社会主義」を目指す党が権力を握った後で起こったのは「伝統的国家主義」への転向のようなものだった。
(1978年10月に来日した鄧小平)
本来マルクス主義では共産主義社会では「国家の廃絶」が実現するはずだった。共産主義と言えば「インターナショナル」のはずだ。国際的な階級的連帯を誇っていたはずが、現実には中国共産党が典型だが「愛国」を呼号している。「愛国」の名の下に異論を封じている。これは「共産党」なのだろうか。しかし、共産党(系の政党)が今も政権を握る中国、ヴェトナム、朝鮮、キューバなどでは、そもそも帝国主義時代には「国家」がなかった、あるいは事実上の植民地だった。共産党が権力を握ることによって、世界史の中で初めて本格的な「国民国家」を創設できたのだった。
「共産主義」というのは、非圧迫民族が国家を作り「富国強兵」を実現するためのイデオロギーとして一番機能するということだろうか。だがそれは「共産主義」と言えるのだろうか。いや、別に定義の問題には関心がなく、「これは本当の共産主義ではない」とか言う気はない。ただ言葉の正確な意味として、「市場経済」を進め株式市場が存在する中国は「資本主義」だろう。名前は「共産党」だけど、共産主義革命を進める前衛政党ではなく、経済発展を進める「愛国政党」、つまり日本で言えば自由民主党みたいな政党になっていると思う。中国の現段階は「国家独占資本主義」に近く、このままでは「内在的な要因」による「破滅」、まあ日本の「バブル崩壊」のようなものを避けられないのではないか。
ただし、中国の方が用心深く、強権的で、最後には人民に武器を使用する「唯銃主義」を発動できる。ここまで大きくなった中国経済が「崩壊」したときの世界的な影響は計り知れない。残された問題は「戸籍差別」「ジェンダー」「格差」だろう。中国を支配する共産党の最高指導部、それは中央政治局常務委員会である。現在は7人いるが全員男性。それどころか歴代で女性は一人もいない。閣僚や報道官には女性も起用されるが、本当の奥の院は「女人禁制」なのか。昔の日本には「中国には公害問題はなく、女性差別もない」などと大真面目に主張している人がいたのである。共産党が何でも解決したと本気で思い込んでる人がいた。革命幻想が消えてみれば、中国共産党は国家主義政党になったと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/de/8b5a52d2af993e9392a1b26576c2cbf8_s.jpg)
僕はその「毛主席語録」を中学生の時に読んでみたことがある。別に少年マオイストだったわけではなく、単に世界中で評判になっていたから、どんなものか知りたかったのである。日本でも本屋の店頭に並んでいて、「赤尾の豆単」をもう少し小さくした程度だから中学生にも買える値段。しかし、これは全く面白くない本だった。まあ抗日戦争期の延安で行われた講話は、戦時中だから割り引いて読むべきかもしれないが、まったく「自由」とか「人権」という発想がないのである。こっちも何も判ってないけれど、この世界では生きていけないと直感させるものがあった。
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今になってみると、中国共産党は中華人民共和国建国以来、権力争いに明け暮れていた。文化大革命だけが間違っていたのではなく、50年代の「反右派闘争」こそ最大の誤りだった。その時期の「大躍進」政策で数千万人が餓死したと言われる。1959年に開かれた廬山会議で毛沢東を批判して解任された彭徳懐国防部長の方が正しかった。彭徳懐がいかに硬骨漢だったか、「彭徳懐自述」という自伝が残されている。しかし、そのような「悲惨」をもたらした最大要因は何なのだろうか。毛沢東の独走を止められなかったのは、「共産主義」に原因があるのか。それとも中国の歴史的、政治的、文化的要因によって毛沢東が事実上の「皇帝」になったからだろうか。
この「中国共産党の統治」は事実上中国史に続く「皇帝政治」なのだと言う人はかなりいる。初代皇帝が毛沢東で「建国」をした。二代皇帝が鄧小平で「改革開放」で強国への道を開いた。そして第三代皇帝を目指しているのが習近平だという理解になる。ソ連が崩壊してロシアになっても、結局プーチンの独裁みたいな政治が続くわけだから、結局は「歴史的伝統」の方が強いという考え方も一理ある。僕にははっきりとした結論が出せない。ソ連だけでなく世界中のどこでも、「社会主義」を目指す党が権力を握った後で起こったのは「伝統的国家主義」への転向のようなものだった。
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本来マルクス主義では共産主義社会では「国家の廃絶」が実現するはずだった。共産主義と言えば「インターナショナル」のはずだ。国際的な階級的連帯を誇っていたはずが、現実には中国共産党が典型だが「愛国」を呼号している。「愛国」の名の下に異論を封じている。これは「共産党」なのだろうか。しかし、共産党(系の政党)が今も政権を握る中国、ヴェトナム、朝鮮、キューバなどでは、そもそも帝国主義時代には「国家」がなかった、あるいは事実上の植民地だった。共産党が権力を握ることによって、世界史の中で初めて本格的な「国民国家」を創設できたのだった。
「共産主義」というのは、非圧迫民族が国家を作り「富国強兵」を実現するためのイデオロギーとして一番機能するということだろうか。だがそれは「共産主義」と言えるのだろうか。いや、別に定義の問題には関心がなく、「これは本当の共産主義ではない」とか言う気はない。ただ言葉の正確な意味として、「市場経済」を進め株式市場が存在する中国は「資本主義」だろう。名前は「共産党」だけど、共産主義革命を進める前衛政党ではなく、経済発展を進める「愛国政党」、つまり日本で言えば自由民主党みたいな政党になっていると思う。中国の現段階は「国家独占資本主義」に近く、このままでは「内在的な要因」による「破滅」、まあ日本の「バブル崩壊」のようなものを避けられないのではないか。
ただし、中国の方が用心深く、強権的で、最後には人民に武器を使用する「唯銃主義」を発動できる。ここまで大きくなった中国経済が「崩壊」したときの世界的な影響は計り知れない。残された問題は「戸籍差別」「ジェンダー」「格差」だろう。中国を支配する共産党の最高指導部、それは中央政治局常務委員会である。現在は7人いるが全員男性。それどころか歴代で女性は一人もいない。閣僚や報道官には女性も起用されるが、本当の奥の院は「女人禁制」なのか。昔の日本には「中国には公害問題はなく、女性差別もない」などと大真面目に主張している人がいたのである。共産党が何でも解決したと本気で思い込んでる人がいた。革命幻想が消えてみれば、中国共産党は国家主義政党になったと思う。