尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

木下恵介監督の「この天の虹」、50年代の八幡製鉄所

2021年07月03日 23時27分16秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで木下恵介監督の「この天の虹」(1958)という映画を見た。もう上映は終わっているのだが、記録しておきたい。木下作品の中でも上映機会が少なく、今回初めて見た。傑作を発見したわけではなく、むしろ時の経過に伴って「トンデモ映画」化していると思う。日本が本格的に高度成長する直前をタイムカプセルに詰めたような映画だった。1901年に作られた官営八幡製鉄所を受け継ぐ1958年の八幡製鉄所のすべてを描くような映画で、「映像考現学」的な価値がある。
(この天の虹)
 「この天の虹」という題名はなんだろうと思うと、製鉄所から出る七色の煙を虹とみなすということだった。カラー映画で本当に色の付いた煙が出ている。しかし、これはまずいでしょ、公害でしょ、色が付いてる煙なんておかしいと思ったが、当時の労働者はその虹を誇りに思っているというトーンで映画が進行する。冒頭から5分程度はドラマに入らず、工場見学である。溶鉱炉の作業がきちんと紹介されていく。これは記録的価値が高いと思うが、劇映画としてはどうなんだろうか。ところどころで、登場人物が山に登って八幡全景を見下ろすが、その煤煙の様子を今では肯定的に見ることが難しい。
(映画の中に出て来る八幡全景)
 映画の本筋に入る前に解説しておくと、八幡(やはた)は映画製作当時は一つの市だった。1963年2月10日に小倉門司戸畑若松と対等合併して北九州市となった。県庁所在地以外で初の政令指定都市だった。今は八幡東区、八幡西区に分かれている。官営八幡製鉄所は1934年に民営化されて「日本製鐵」となった。戦後の1950年に八幡製鉄富士製鉄分割されたが、1970年に合併が認められ「新日本製鐵」となった。2012年に住友金属と合併し「新日鐵住金」、2019年4月1日に名称変更して再び「日本製鉄」と改名した。120年の歴史の中で20年しかなかった「八幡製鉄」時代の工場や労働者の生活が映画に残されている。

 笠智衆田中絹代が演じる影山という夫婦のアパート(社宅)に、相良修高橋貞二)とその母(浦辺粂子)が仲人を頼みに来る。今では仲人を頼むとしても、結婚が決まった後のことだろう。しかし、この映画ではまず結婚の申し込みを仲人に頼むのである。相手は帯田千恵久我美子)である。影山、相良、帯田の父(織田政雄)と兄(大木実)は皆現場の工員だけど、千恵は秘書課に務める事務員である。千恵の母親は(夫と息子も同じなのに)工員風情に嫁にやれるかといって断る。断られるのは相良も覚悟の上なのだが、思いが募って申し込みだけはしたいと思ったのである。彼は職員旅行で京都・奈良を訪ねた時に千恵を見初めたのである。

 千恵は大学出の有望な若手職員町村田村高廣)と一緒にダンスホールへ行って踊ったりしている。千恵は結婚したいらしいが、町村にはまだそんな気がしないらしい。興味深いのは独身寮があるのに、町村は下宿していること。下宿先の奥さん(小林トシ子)は町村を好きになってアタックしている。一方、影山家にも下宿人がいて、須田川津裕介)は相良を先輩として慕っていて、千恵が結婚を断った話を聞いてしまい怒ってしまう。そんな時に影山家の一人息子(小坂一也)が仕事を辞めて帰ってきてしまう。彼は身体的条件で八幡製鉄を受けられず、須田たち工員になれた人はうらやましいと言う。しかし、須田は毎日同じような仕事が続く仕事に飽きている。そんな中で相良先輩の恋が実ることだけが希望だったのである。
(職員食堂の千恵)
 ここで判ることは、製鉄所には「職員」「工員」「工員以下」という紛れもない「身分差別」があったのである。それは当たり前すぎて誰も相対化出来ないぐらい身に染みついている。工員たちは「恵まれた社宅アパート」に住んでいる。それは今見ると驚くほど狭くて、とても恵まれていると思えないが、当時としては「社員の特権」だったのだ。しかし、当然「定年退職」の後には出なくてはならない。だから下宿人を置いたりしているんだろう。職員と工員の「文化格差」を象徴するのは、カレーライスの食べ方だ。相良は須田と出掛けた時にカレーライスにソース(つまり食堂に置いてあるウスターソースを)ジャブジャブ掛ける。須田はそういう食べ方は田舎者の食べ方だと千恵が言っていたと注意する。いやあ、昔はソースを掛けて食べる人がいたのか。

 有望社員である町村には部長が姪と会ってみないかと勧めてくる。実質上の見合いは毎年会社が夏に開く「水上カーニバル」。会社の福利厚生事業で行われるフェスティバルらしい。そこで姪(高千穂ひづる)と会ってみるが、ピンと来ないで抜け出してしまう。翌日姪と一緒に河内ダムにドライブする。これは八幡製鉄所の工業用水を確保するためのダム湖なんだという。そこにレクリエーションセンターという建物がある。ここはアントニン・レーモンド(帝国ホテル建設時にライトに付いてきて、日本で日光のイタリア大使館別荘や東京女子大本館など多くの建物を設計した人)が設計したと解説される。この建物は今は西南女子大というところが所有するが「廃墟」化しているらしい。そこで姪も見合いと思わず来たと告げる。
(レーモンド設計のレクリエーションセンター)
 町村はブラジル行きがほぼ決まっているが、それを千恵には告げていない。しかし、町村は今になって千恵が結婚相手にふさわしいと思う。一方、相良の申し込みを何故断ったのかと須田が乗り込んできて、千恵を責め立てる。まあ、その後も多少のすったもんだが続くのだが、もういいだろう。「結婚相手をどう決めるのか」という小津安二郎的テーマが語られるんだけど、小津の映画では初めから同じ階層どうしの結びつきが前提になっている。しかし「この天の虹」では八幡製鉄所をめぐる重層的な階級関係が語られている。しかし、いくら何でも「仲人を立てて打診をする」なんて当時としてもおかしくはないか。上司のお膳立てじゃなくて、自分が好きになったんだから。そこが「50年代」であって、すでに「太陽族映画」はあったけれど実情はそんなものだったのか。

 この映画では溶鉱炉や社宅以外に社員用病院、社員用スーパーマーケット、社員食堂などが紹介される。時々公園に行って町の全景を見せる。劇映画としてはマイナスだろうが、記録的価値を高めている。当時の結婚や仕事に関する考え方も今では興味深い。ブラジルに行くというのは、ベロオリゾンテに合弁で作られたウジミナス製鉄のことで、今もブラジル2位の製鉄会社となっている。木下恵介はものすごい多作で作風も多彩だから、まだ見てない映画が何本かある。「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」などで知られるが、感涙映画ではないシビアな映画にも傑作が多い。なお、主演の一人相良を演じた高橋貞二は戦後の松竹で佐田啓二、鶴田浩二と並ぶ「松竹三羽烏」と言われ、50年代の松竹映画では活躍していた。1959年11月に飲酒運転でベンツを横浜市電に衝突させて亡くなった。今では古い映画を見る人しか知らないだろうが、惜しい人だった。
コメント (1)
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