尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「無観客五輪」と「偽善」の応酬ー東京五輪①

2021年07月20日 23時38分43秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪の開会式(23日)が近づいてきた。最近ずっと五輪について書いてなかったけれど、ここで何回か「招致」に遡りながら考えてみたい。僕は開会式には何の関心もないけれど、それにしても最後までゴタゴタが付きまとったのには驚いた。小山田圭吾という人のことは全然知らなかったから、「いじめ告白」という記事を読んで、昔はこれが印刷できたんだと驚いた。僕は小山田氏問題と関係なく「開会式を止めればいい」と思う。五輪が(東京を初めほとんどの地域で)無観客になり、聖火リレーも道を走らなかった。「これでは単なる競技会だ」と言った人がいたが、オリンピックはもともと「世界最大の競技会」に過ぎないではないか。

 最初に書いておくけど、僕は五輪の中止を求める立場ではない。まあ著名な人物が自分の考えの表明として「五輪には最後まで反対する」と言うのには意味もあるだろう。しかし、五輪反対電子署名運動を行っても、五輪が中止にはならないことは「リアル・ポリティックス」の観点からは自明のことだ。それを判っていて「だけど署名運動をやる」というならいいけれど、本当に中止できると思わせたなら問題だ。僕はどうせ「無観客開催」だろうと思っていたから、こんなところだろうと思っている。
(バッハIOC会長の歓迎会)
 IOCのバッハ会長の歓迎会を迎賓館でやったのは驚いた。飲食なしの「サロン・コンサート」だったと言うけど、ならばますます開催の意義を見出せない。「迎賓館」が特に重大というのもおかしいが、これでは「国賓待遇」に近いではないか。まあ、そういう会をやる感覚も判らないんだけど、それと同時に「反対デモ」をするのも僕には判らない。いや、デモはどんなときにも認められるべき基本的人権である。それを前提にして言うが、「コロナ禍」を理由に五輪中止を求める人が街頭で「密」を作るのはどうなのと僕は思うわけである。開会式当日もデモの呼びかけがあるらしいが、人流を抑えるべき時に「リアル反対運動」もどうなんだろうか。
(歓迎会反対デモ)
 オリンピックのような大イヴェントは、どうしても「タテマエ」が前面に出やすい。招致した東京都・日本政府が「復興五輪」「アンダー・コントロール」と言ってたわけで、これは誰がどう見ても「ウソ」と「偽善」である。それを受けてしまうのかどうか、「反対派」もどうも理解出来ない。朝日新聞社は5月26日に付で「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」という社説を掲載した。それはそれで今読んでも重要なことが書いてあるけど、でもなあと思わないだろうか。五輪はダメなのに、何で夏の高校野球はいいのだろうか。五輪中止を政府に求めるなら、まず甲子園大会を中止にすべきではないのだろうか。

 プロ野球もJリーグも大相撲も「有観客」で開催されていた。五輪以前に東京の感染は相当のスピードで拡大している。しかし、野球のオールスターゲームも大相撲の千秋楽も観客がいるし、ディズニーランドも客数を減らしながら開場している。そっちの方には反対運動をしないのだろうか。「五輪は特別なのか」と言う人がいるが、実は反対運動の側も「五輪は特別」と思っているのではないだろうか。そうじゃないと、このようなダブル・スタンダードにはならない。東京は「緊急事態」でも「ロックダウン」はしていない。東京の感染者数を見れば、全国から五輪観戦に東京に人が集まるのは無謀だろうが、「無観客」ならば許容範囲なのではないか。

 その理由はいくつかあるが、誰もあまり言わないから最初に「おカネ」のことを書いておく。無観客で五輪は相当の赤字になるらしい。さらに中止になれば、テレビの放映権料がなくなるから、膨大な赤字になるのは確実だ。その赤字分は誰が負担するのか。契約上の問題は知らないが、もちろんIOCも相応の負担をするべきである。だが日本側の負担がゼロということはないに決まってる。その場合、無観客の決断は菅首相がしたと思うが、招致を言い出したのは東京である。もし反対派に都民以外がいたならば、赤字分は全額国庫負担にして増税してもいいと言って欲しい。でも多分、「東京は金持ちだから東京が負担すればいい」と腹で思いつつ「人命と金は引き換えに出来ない」と「正論」を言うんだろうな。

 もう一つ、スポーツも文化である。ゴルフやテニスや男子サッカーのように、世界最高の大会が五輪じゃない競技は僕にはどうでもいい。しかし、五輪こそが最高の名誉となっている、日本ではあまり盛んではないマイナー競技もいっぱいある。今後東京大会の赤字によって、JOCからの補助が減らされ存続の危機に陥る競技が出て来るだろうと思う。僕は寄席ミニシアターライブハウスがなくなって欲しくないのと同じように、そのようなマイナー競技に頑張っている人に参加の場を与えて欲しいのである。去年の高校野球、インターハイ、全国総文祭はいずれも集まっての開催は実施されなかった。人生に一回の機会を奪われた人もいただろう。五輪の場合は、全世界に4年に一度の機会のために努力を重ねている選手がたくさんいる。出来るだけ開催して欲しいなと思う。

 他に幾つもあるだろうが、最後に「人流抑制効果」である。東京の感染者の年齢別内訳を見てみると(東京都のサイトに出ている)、ほぼ高齢世代の感染者はいない。これはワクチン効果が出ているとしか考えられない。現在は若い世代(20代、30代)が多いのは間違いない。この世代は元気で活動性が高いから、夏休みにいろいろと出掛けるだろう。オリンピックをやってて、そこで同世代が活躍しているとなれば、家でテレビを見ようという人が出て来る。間違いなく「無観客開催」がそれ以外の場合に比べて「若い世代のステイホーム効果」が一番高いと僕は思うんだけど、違うだろうか。

 「オリンピックだから国民こぞって応援して盛り上がろう」というのは、僕にはうっとうしくて嫌である。競技を見るのは好きだが、開会式なんかどこの五輪でも見たことがない。ヴァラエティ番組と同じく、僕には時間のムダ。でもだからといって「今回の五輪は納得できないから、見る気はない」みたいな言い方も嫌だなと思う。見たい人は見ていいんだし、逆方向の抑圧的な言動もやめたいと思う。世の中には結構スポーツ観戦に関心がない人も多い。野球やサッカーなどはルールを知らない人も多いし。でも見れば面白い競技は多いし、少しは見る方が自然でしょ。(しかし、自国開催だからこそ、時間的に見にくいのが困る。)招致の問題は次回に。
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