尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「戦後教科書運動史」を読み、俵義文氏を追悼する

2021年07月08日 22時33分38秒 | 追悼
 2021年6月7日に俵義文氏が亡くなった。80歳。「子どもと教科書全国ネット21」事務局長を長く務め、人生のほとんどを教科書問題に尽力した人である。俵氏には多くの著書、パンフ等があるが、教科書や政治状況は変わってしまうので、今読むのも大変だ。しかし、2020年12月に平凡社新書から「戦後教科書運動史」が刊行された。これは俵氏の集大成的な本だが、出たときには分厚いので敬遠してしまった。(新書ながら400頁を越え、値段も1600円もする。)訃報を聞いて追悼の意味で読んだが、戦前からの教科書の歴史を簡潔に学ぶことが出来る。長くて大変だけど、類書がないので多くの人に一読を勧めたい本だ。

 類書がない第一は教科書労働者の視点で書かれていることだ。僕の場合、教科書問題への関心は「歴史教員」としてだが、俵氏の場合は教科書会社に勤務したことから関わりが始まったのである。僕は教科書会社の労働者の立場から教科書問題を考えたことがなかった。教科書会社で働く人が、文部省(当時)の検定方針に合わせて、どんどん労働強化されていった様は驚くしかない。俵氏が自分の会社だけでなく、採択のライバルである他社の労働組合とも連帯して闘った経過が書かれている。
(俵義文氏)
 俵氏は1965年に起こされた家永三郎氏の教科書訴訟を支援し、その経過を感動的に振り返っている。家永氏は実証主義的な学風で知られる日本思想史家だが、戦争に反対出来なかった自らの過去を厳しく見つめていた。多くの教科書執筆に関わり、そのたびに理不尽な検定に振り回されていた。その内容があまりにもひどいので、教科書検定の違憲違法性を正面から問う裁判を始めたのである。家永氏の提訴した教科書訴訟は、第1次、第2次、第3次と3回あるが、第2次訴訟の判決が1970年7月に最初に出た。(第一次訴訟は検定制度そのものの憲法判断を問題にしたが、第二次訴訟は具体的な検定意見を問題にしたので早く出たのである。)

 その第1審判決(杉本判決)は原告側全面勝訴だった。「教育権は国ではなく、国民にある」と明確に判断して教育行政にも大きな影響を与えた。裁判所に駆けつけた多くの支援者が、判決を聞いていかに感動したか、俵氏は多くのケースを書き留めている。特に杉本裁判長の記者会見の内容は永遠に伝えていくべきものだ。「先生方が困難な環境で教育にあたっておられる。その姿勢は大切にしなくてはならない。(中略)みんなが、国も、われわれも、先生方をバックアップしていくことが大切ではないか。」という言葉は、今こそ傾聴すべきものだろう。

 それにしても、それまでの検定は実にいい加減なもので、戦争の悲惨な面を教えさせないという露骨なホンネが見て取れる。長くなるからここでは触れないが、是非本書で確認して欲しいと思う。教科書訴訟は戦後史の中でも非常に大きく重要な裁判だった。しかし、国の生活保護行政を告発した朝日訴訟は教科書にも載っているのに対し、文部省の検定を訴えた教科書訴訟は載っていない。終結して20年以上経つので、社会科教員でも詳しく知らない人がいるだろう。かつては多くの本が出ていたが、コンパクトに紹介する本書の意義は大きい。こういう裁判があったことも伝えていきたいと思う。
(家永三郎氏)
 教科書訴訟はその後最高裁で検定は合憲という判決になってしまった。しかし、具体的な検定意見には違法があったことが最高裁で確定した。裁判の支援組織を改組して「子どもと教科書全国ネット21」となり、俵氏が事務局長を務めた。そして2000年に長く勤めた教科書会社を定年2年前に早期退職して専従となった。その頃右派勢力「新しい歴史教科書をつくる会」が自ら教科書をつくる動きがあって、その教科書が検定に合格しそうだという段階にあった。これに危機感を覚えて、大きな反対運動を起こす必要を痛感したからである。

 僕もこの「つくる会」には大きな危機感を覚えた。教科書は市販されたが、とても検定に合格できるようなものとは思えなかった。歴史の教員として見逃せないと思って何度か集会にも参加したと思う。そこで俵氏の講演も聞いたが、とても情熱的で判りやすいものだった。2001年の採択では、公立では東京都と愛媛県の養護学校(=当時、現在は特別支援学校)に止まった。まさかその後に東京都が中高一貫校を大量に作り、都立だから都教委が採択する=「つくる会」教科書を説明なく採択するということになるとは思わなかった。そして中高一貫化される最初の学校が、自分の母校(白鴎高校)だったことから、自分もこの問題に直接関わることになった。

 自分のことはここではこれ以上触れないが、本書では今も続く問題の焦点が簡潔に押さえられている。俵氏のエネルギッシュな活動が今も思い浮かぶ。本書で判ることは、右派勢力は戦後ずっと「戦前への回帰」を目論見続けてきたということである。特に1979年に「元号法制化」に成功してから、右派勢力は「日本会議」等にまとまって戦略的に一歩一歩進めてきて、「教育基本法」の改悪、そして最終的には「憲法改正」へとプログラムを持っていることだ。それは「陰謀」ではなく、あからさまに語られていることだ。日本の戦後教育史を左派的な立場で総括した本だけど、立場を越えて読まれる必要がある。これを読んで初めて判ることも多いと思う。まさに今必要な本を最後に残してくれたことに感謝したい。最後は病床でまとめられた貴重な本である。
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