尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「新しい人よ眼ざめよ」、障がい児と生きるー大江健三郎を読む⑤

2021年07月27日 22時12分52秒 | 本 (日本文学)
 先月に引き続き大江健三郎を読んでいる。書いてもほとんど読まれないんだけど、数ヶ月続けて読み切って自分の記録として書くつもり。新たに買ったり借りたりすることなく、溜まっているから読むと前に書いたけど、著作が多いので持ってない本も多かった。大江健三郎の中期作品はとても読みにくい本が多いが、その中で「障がい児と暮らす一家」、つまり大江健三郎一家がモデルかなと読者が思って読む作品群は比較的読みやすい。そういう作品を先に読もうかと思ったら、案外持ってなかったので買うことにした。
(「新しい人よ眼ざめよ」)
 1983年の「新しい人よ眼ざめよ」は講談社文庫と講談社文芸文庫の両方で入手可能。1982年から83年に掛けて書かれた7つの作品による連作短編集である。題名はイギリスの詩人・画家のウィリアム・ブレイク(1757~1827)の「預言詩」から取られている。だから英語表記では「Rouse up, O, Young men of the New Age !」になる。(ジョン・ネイスンによる訳がある。)中期の大江作品には外国作家の詩や小説が原語で引用され注釈がなされることが多い。ブレイクだけでなく、ダンテイェイツのときもある。

 ブレイクの引用が難解なんだけど、この作品はとても感動的な傑作だ。でも時々難しすぎると思う。そのブレイクをめぐる部分を抜いても作品は成立するだろう。そうすれば感動的な家族小説になると思うが、それでは浅い感じもする。ブレイクをめぐる部分があって、障がい児を抱える作家の生活が全体的に描かれるとも言える。ブレイクをめぐる話が必要なのは、この物語が「死と共生」をめぐる思索エッセイでもあるからだ。

 主人公「」には「イーヨー」という障がいを持つ長男がいる。これは間違いなく大江光(1963.6.13~)がモデルで、彼の下に長女、次男がいることも実際の一家と同様。また堀田善衛三島由紀夫武満徹山口昌男中村雄二郎などがイニシャルで出て来る。だから一読すると、家族エッセイみたいにも思えるけれど、実際には子どもの造形にはフィクション化がかなりなされているらしい。「イーヨー」(Eeyore)という名前は、特に70年代の作品によく使われたが、これはA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出て来る「ペシミストのロバ」から。実際にそう呼ばれていたのではなく、小説だけの呼び方らしい。
(大江光)
 作家の「僕」はヨーロッパやアジアなど世界を旅することが多い。その中で考えたことと障がい児「イーヨー」が幼児から大きくなりつつある現状をどう考えるかがリンクする。イーヨーは「死」を理解するか、イーヨーは「夢」を見るか。イーヨーが性的衝動を抱えて暴発することはありうるか。イーヨーは昔から鳥の鳴き声を聞きわけるなど音に対して敏感だった(「洪水はわが魂に及び」)。やがてラジオで毎日クラシックを聴くようになり、作曲の勉強もするようになる。(その後広く知られたように、大江光はCDを出して高く評価された。)

 イーヨーの作曲の才能を見込んで、軽井沢の施設からクリスマス会用の音楽を頼まれたりもするが、父の通うプールで溺れかけたりもする。また台風が来るというのにイーヨーが伊豆の別荘に行くと言い張り、結局父が一緒に行って台風さなかの別荘で過ごす(「蚤の幽霊」)。父のところに来る若い政治運動家に「誘拐」されて東京駅に放置されたり(「鎖につながれたる魂をして」)、イーヨーの日々は危機とドラマに満ちていた。

 そんな中で養護学校の「寄宿舎」に入る時期がやってきた。これは必須の「行事」だということだが、次に帰宅した時に「イーヨー」と呼び掛けても答えない。次男がもうあだ名でなく本名で呼んで欲しいんじゃないかと「光」と呼ぶと答える。こうして寄宿舎生活を経て「自立」していくのだった。それがブレイクの詩と連動して深い感動を与えることになる。エッセイだか小説だか判らないように進展して、最後に見事に着地する感じだ。

 この小説はいかにも大江的な世界だと思う。学者のような論考の奥に、作家が抱える幼少期からの深い悩みが見え隠れする。その一方で障がい児を抱えて行きていることで、様々な悩みや鬱屈を抱える。イーヨーは理解可能なんだろうか。と同時に、彼がいることで家族がまとまり、障がい児が周りを明るくすることもある。そういう暮らしが、相当に知識人世界に偏っていはいるけれど重層的に語られる。イーヨーは「自閉症」と考えられるが、「癲癇」(と思われる)の発作も時々起こす。障がい児と生きることをこれほど深く伝えた小説は世界でそれまで書かれなかった。読んでない人は一度、読んでいる人も折に触れ読んでみていい本だ。大佛次郎賞受賞。
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