2021年7月1日に、中国共産党結党100周年の祝賀集会が北京の天安門広場で行われた。そうするとまるで1921年7月1日に結党されたように思ってしまうけれど、中国共産党第一次全国代表大会(と今呼ばれている秘密集会)は7月23日から31日にかけて行われた。公開で開ける集会ではないから、上海のフランス租界にあった党員の自宅で開かれた。初代の委員長に陳独秀が選ばれたが、大会には出席していない。当初のメンバーには日本への留学経験者が多かったが、留学体験のない毛沢東も長沙代表として出席していた。各省の代表13名に加えて、コミンテルンの代表2人も出席していた。当時において、共産党を結成するというのは、ソ連が指導する国際共産主義運動の一国支部を作ると言うことだった。
(結党100年祝賀集会)
うっかり勘違いしている人もいるかもしれないが、中国は「中国共産党の独裁」だけれども、「中国共産党の一党独裁」ではない。「人民共和国」だから(つまり「社会主義共和国」ではない段階だから)、共産党と協力関係にある「民主党派」が存在する。共産党と民主諸党派は「全国人民政治協商会議」というのを開いて、政治的な重要決定を行うことになっている。民主党派というのは、中国国民党革命委員会、中国民主同盟、中国民主建国会など全部で8つある。僕が不思議なのは、タテマエとは言え未だそれらの党派は存続していることだ。革命前の段階ならともかく、現在ではそんな党派に入るよりも、みんな共産党に入党したいだろうに。
習近平指導部になって、2018年の憲法改正で「中国共産党の指導は、中国式社会主義の最も本質的な特徴である」とされた。この「共産党の指導性」は、実はそれまでは憲法上明記されていなかった。この問題は単なるタテマエ上の問題ではないと思う。中華人民共和国が中国共産党の指導の下、いかに素晴らしい経済成長を遂げたとしても(「社会主義市場経済」が成果を挙げたとしても)、「台湾省」が「未解放」のままでは「社会主義段階に到達した」とは宣言出来ないだろう。習近平体制が国家主席として3期目に入るとするならば、「台湾問題」が解決すべき重大問題として浮上するのは間違いない。それがどういうものかは安易な想定は出来ないが。
(祝賀集会で演説する習近平主席)
ところで中国共産党の100年をどう考えるべきだろうか。本来ならマルクス主義では高度に発達した資本主義国家で、資本主義の矛盾が最高度に達して革命が起きるはずだった。しかし、現実に起きた社会主義革命は、遅れた農業国や植民地にされた地域が多かった。ロシア自体がヨーロッパでは遅れた国家で、第一次世界大戦に事実上敗北する中でロシア社会民主労働党(多数派)のクーデタが起こったのである。1922年にロシアを中心に「ソヴィエト社会主義共和国連邦」が出来た。ソ連は世界革命を目指し各国の共産党を「指導」した。それは「事実上の命令」関係で、中国共産党もその例の一つである。そして間違った指導で、多くの混乱が起こり指導部は絶えざる抗争と分裂が起こった。1935年の遵義会議で毛沢東の指導が確立し、真の意味での中国共産党結党はその時点だろう。
(共産党の「長征」)
何で中国共産党が政権を獲得できたのか。それは「抗日戦争」があったからだ。日本の侵略に対して、国民党と合作して抵抗するという方針を打ち出したことで都市知識層・学生らの支持を集めた。また規律正しい軍隊が農民の支持を集めた。日本の兵隊の残した記録では、敵としては「八路軍」(「新四軍」もあったが、日本兵はまとめて「パーロ」と呼んだ)が恐ろしいと認識されていた。日本軍が「点と線」しか支配できない中、共産党系の支持が広がっていった。特に華北で共産党の根拠地が多く作られたが、それは長いこと掛けて日本軍が「満州国」に隣接した華北の国民党勢力を弱体化させていったのだから当然だろう。(しかし、南部では米軍の援助を受けた国民党軍の戦闘力も侮れず、今まで国民党の抵抗が軽視されてきた部分もあると思う。)
(1949年に中華人民共和国建国を宣言する毛沢東)
日本の敗戦後は「満州国」にソ連が侵攻して、そのまま支配した。事実上共産党の「根拠地」がソ連の軍事力で作られたのと同じである。これが共産党が内戦に勝利した最大要因だろう。結局日本軍が中国革命をもたらしたのである。この歴史のアイロニーを理解せず、「歴史認識」問題を起こして中国共産党を「支援」する「保守派」が日本にはいっぱいいる。そういう「保守派」が中国を批判しても、中国にとっては追い風みたいなもんだろう。「抗日戦争」に勝利したことが、中国共産党の最大の存在価値となっているのである。そして成立した中華人民共和国は「中華人民」にとって何だったのだろうか。毛沢東なくして革命はならなかったが、毛沢東が最高指導者だったために何億人が無惨な死を迎えたことだろう。(続く)
(結党100年祝賀集会)
うっかり勘違いしている人もいるかもしれないが、中国は「中国共産党の独裁」だけれども、「中国共産党の一党独裁」ではない。「人民共和国」だから(つまり「社会主義共和国」ではない段階だから)、共産党と協力関係にある「民主党派」が存在する。共産党と民主諸党派は「全国人民政治協商会議」というのを開いて、政治的な重要決定を行うことになっている。民主党派というのは、中国国民党革命委員会、中国民主同盟、中国民主建国会など全部で8つある。僕が不思議なのは、タテマエとは言え未だそれらの党派は存続していることだ。革命前の段階ならともかく、現在ではそんな党派に入るよりも、みんな共産党に入党したいだろうに。
習近平指導部になって、2018年の憲法改正で「中国共産党の指導は、中国式社会主義の最も本質的な特徴である」とされた。この「共産党の指導性」は、実はそれまでは憲法上明記されていなかった。この問題は単なるタテマエ上の問題ではないと思う。中華人民共和国が中国共産党の指導の下、いかに素晴らしい経済成長を遂げたとしても(「社会主義市場経済」が成果を挙げたとしても)、「台湾省」が「未解放」のままでは「社会主義段階に到達した」とは宣言出来ないだろう。習近平体制が国家主席として3期目に入るとするならば、「台湾問題」が解決すべき重大問題として浮上するのは間違いない。それがどういうものかは安易な想定は出来ないが。
(祝賀集会で演説する習近平主席)
ところで中国共産党の100年をどう考えるべきだろうか。本来ならマルクス主義では高度に発達した資本主義国家で、資本主義の矛盾が最高度に達して革命が起きるはずだった。しかし、現実に起きた社会主義革命は、遅れた農業国や植民地にされた地域が多かった。ロシア自体がヨーロッパでは遅れた国家で、第一次世界大戦に事実上敗北する中でロシア社会民主労働党(多数派)のクーデタが起こったのである。1922年にロシアを中心に「ソヴィエト社会主義共和国連邦」が出来た。ソ連は世界革命を目指し各国の共産党を「指導」した。それは「事実上の命令」関係で、中国共産党もその例の一つである。そして間違った指導で、多くの混乱が起こり指導部は絶えざる抗争と分裂が起こった。1935年の遵義会議で毛沢東の指導が確立し、真の意味での中国共産党結党はその時点だろう。
(共産党の「長征」)
何で中国共産党が政権を獲得できたのか。それは「抗日戦争」があったからだ。日本の侵略に対して、国民党と合作して抵抗するという方針を打ち出したことで都市知識層・学生らの支持を集めた。また規律正しい軍隊が農民の支持を集めた。日本の兵隊の残した記録では、敵としては「八路軍」(「新四軍」もあったが、日本兵はまとめて「パーロ」と呼んだ)が恐ろしいと認識されていた。日本軍が「点と線」しか支配できない中、共産党系の支持が広がっていった。特に華北で共産党の根拠地が多く作られたが、それは長いこと掛けて日本軍が「満州国」に隣接した華北の国民党勢力を弱体化させていったのだから当然だろう。(しかし、南部では米軍の援助を受けた国民党軍の戦闘力も侮れず、今まで国民党の抵抗が軽視されてきた部分もあると思う。)
(1949年に中華人民共和国建国を宣言する毛沢東)
日本の敗戦後は「満州国」にソ連が侵攻して、そのまま支配した。事実上共産党の「根拠地」がソ連の軍事力で作られたのと同じである。これが共産党が内戦に勝利した最大要因だろう。結局日本軍が中国革命をもたらしたのである。この歴史のアイロニーを理解せず、「歴史認識」問題を起こして中国共産党を「支援」する「保守派」が日本にはいっぱいいる。そういう「保守派」が中国を批判しても、中国にとっては追い風みたいなもんだろう。「抗日戦争」に勝利したことが、中国共産党の最大の存在価値となっているのである。そして成立した中華人民共和国は「中華人民」にとって何だったのだろうか。毛沢東なくして革命はならなかったが、毛沢東が最高指導者だったために何億人が無惨な死を迎えたことだろう。(続く)