尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

立花隆と小林亜星ー2021年6月の訃報①

2021年07月09日 23時27分29秒 | 追悼
 いつものように毎月の訃報特集をまとめて置くけれど、かなり多くの訃報が月末に集中したので数回に分ける。最初に書く立花隆小林亜星はそもそも6月の訃報ではない。この二人には直接のつながりはないけれど、それでも何となくこの二人の名前を聞くと、「昭和」というムードが感じられる。実は4月、5月に亡くなっていたということで、まとめて書くことにする。

 評論家、ジャーナリストの立花隆が2021年4月30日に亡くなっていた。80歳。今「たちばな・たかし」を検索すると、「立花孝志」が出てきてしまう。ジャーナリストの立花隆の名も、そう言えば最近聞かなかった。病気だったという話も聞いたような気がする。本名が橘隆志と言うことを今回初めて知った。樹木葬されたという話。
(立花隆)
 僕も当然この人の名前は、1974年の文藝春秋11月号で知った。その「田中角栄研究」はあまりにも細かくてざっと読んだだけだった。よく田中内閣崩壊のきっかけと言われるが、田中角栄本人はむしろ同時掲載の児玉隆也寂しき越山会の女王」で、越山会(田中角栄後援会)の「金庫番」佐藤昭(さとう・あき)の存在が暴露されたことに衝撃を受けたと言われる。「佐藤昭」というから男かと思っていたら、実は女性で子どもまである愛人だった。細かい金の流れを知っているはずで、野党は国会招致を要求した。それに耐えられなかったのだという。立花の指摘した「金権疑惑」については、よく調査して説明すると言って辞任して、その後何の説明もなかった。今に至るも自民党の政治家は同じ行動をしている。

 1976年には同じ文春に「日本共産党の研究」を連載、戦前の日本共産党のスパイ事件やリンチ事件を追求した。当時共産党委員長だった宮本顕治を取り上げたため、共産党は反撃の大キャンペーンを行った。今回も「赤旗」は訃報を報じなかったというから、まだ遺恨があったのか。戦前の共産党の実情は、今となっては大方の関心を呼ばないだろう。ソ連崩壊で多くの文書が公開され、野坂参三が100歳を越えて除名されたりした。様々な闇が存在したのは間違いない。当時「アメリカ性革命報告」という本も書いていたので、そういう退廃的、反道徳的な関心を抱くものが反共文筆家の本質だと書いてる人がいた。当時の左翼のレベルはそんなものである。
(立花隆の若い頃)
 僕にとって一番役立ったのは1975年の「中核vs革マル」。内ゲバ真っ只中で「革労協」分裂の歴史を追究した勇気ある書だ。田中角栄や日本共産党も大敵だが、ホントに襲撃されそうなのはこっちだろう。詳しくは知らなかったことが、この本で理解出来たことは多い。お互い罵り合っていた両派だが、世紀の変わる頃から同じ集会でビラを配ったりしていた。公表されてないけれど、秘密裏に「手打ち」があったらしいと聞いたことがある。当時の大学生には単行本を買う意味があったが、今では特に読みたいと思うテーマでもないだろう。

 こうして政治的テーマを多く扱った70年代から、一方では朝日ジャーナルに「ロッキード裁判傍聴記」を延々と連載しながらも、次第に科学ジャーナリストとして活動することが多くなった。訃報に「知の巨人」と書いたマスコミが多いが、巨人は立花ではなく立花が取材した相手の方である。立花隆は「知的好奇心の巨人」だが、自ら学問したわけではない。最高に面白かったのが「サル学の現在」(1991)で、利根川進博士にインタビューした「精神と物質」は凄いけれど難しかった。読んでない本が多いが、読んだ中では以上の2作がベストだと思う。なお、ジブリのアニメ「耳をすませば」で父親の声をやっている。政治も科学もどんどん変わるので、父花隆の本がどのぐらい読まれ続けるのか、今の僕には判断できない。

 作曲家、作詞家で俳優、タレントとしても活躍した小林亜星が5月30日に死去、88歳。この人はものすごく有名だったが、そう言えば最近全然名前を聞かなかった。その巨体で知られていたが、1974年にそんな小林亜星を「寺内貫太郎一家」(向田邦子脚本)で俳優として起用したのは、演出の久世光彦である。いや、すごい慧眼だった。僕はドラマはちゃんと見てなかったが、評判はすぐに聞こえてきた。そしてクイズなど多くのテレビ番組に出演した。だから誰でも知ってる人だっただろう。
(小林亜星)
 作曲家としては「北の宿から」が一番有名だと思う。あるいは「ピンポンパン体操」。しかし、一番活躍したのはアニメとCMだった。「狼少年ケン」「怪物くん」「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」など皆この人だった。それ以上に凄いのはCMソング。レナウンの「ワンサカ娘」や「イエイエ」に始まり、「この木なんの木」(日立)、「どこまでもゆこう」(ブリジストン)、「ふりむかないで」(ライオン)、「酒は大関こころいき」、サントリーウィスキー各種…。どれもメロディが浮かんでくる。高度成長はいいことばかりではなかったが、それでも「明日の方が良くなる」と信じていられた時代の多幸感が歌に詰まっている。懐かしいな。
コメント
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