尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

保立道久「歴史のなかの大地動乱」と「歴史評論」を読む

2012年10月13日 00時49分35秒 |  〃 (歴史・地理)
 岩波新書8月刊の保立道久「歴史のなかの大地動乱」を読んだ。この本とともに、歴史学の雑誌「歴史評論」2012年10月号(校倉書房)を取り上げる。ここでの保立氏の議論は非常に重大である。この雑誌は専門的な学会誌なので、誰もが買う必要はないが。
 
 「歴史評論」の「特集 原発震災・地震・津波-歴史学の課題」という特集号は、保立道久氏のブログ「保立道久の研究雑記」で知った。どの論文も必読で、「歴史学に関心のある人」は読んでおいた方がいいと思う。保立氏は「文理融合」を強く主張し、自分でも地震学の文献を大量に消化して書いている。理系の、特に地学関係の人は頑張って挑戦してみて欲しい。地震と原発についての知識を共有していくことは、理系、文系という枠を超えた、現代に生きる日本人全員に求められている。

 以下の5つの論文が並ぶ。
 (1)石橋克彦「史料地震学と原発震災」
 (2)渡辺治「戦後史の中で大震災・原発事故と復旧・復興を考える」
 (3)西村慎太郎「文書の保存を考える」
 (4)荒木田岳「福島における原発震災後の報道」
 (5)保立道久「平安時代末期の地震と龍神信仰」

 石橋論文は地震学者として著名な石橋氏が、史料読解で並々ならぬ「歴史家」でもあることを示す。渡辺論文は「復旧・復興」が進まない原因を戦後史の中で明快に示している。特に「平成の大合併」で、広域行政となり地方公務員が大削減されていた事情が大きい。きめ細かい取り組みができないはずである。改めて宮城県の地図を眺めてみると、石巻市がやたらと大きく、牡鹿半島が全部石巻なのに、女川町だけが周り全部石巻に取り巻かれながら合併していない。言うまでもなく女川原発があるからで、せっかく補助金でやっていけるのに、他の町に原発の金を取られたくないのだろう。

 保立論文は自ら「先日の『歴史評論』にだした論文は、堀田の『方丈記私記』くらいで感心していては歴史家の名がすたるという気持ちで書いた。」と語っている。作家の堀田善衛「方丈記私記」(ちくま文庫)である。この論文の重大性は、方丈記に描かれる1185年の大地震が日本海に津波を起こしたのではないかと推論していることだ。この年は東国では「鎌倉幕府の実質的成立=守護・地頭の設置」の年、つまり平家が壇ノ浦にほろんだ年である。京都では大地震で白河法皇の作った法勝寺九重塔が倒壊した。京都は地震が少ないイメージがあるが、1596年にも大地震が起こり豊臣秀吉が刀狩で集めた金属で作った方広寺の仏像が倒壊した。

 京都周辺で数百年に一度大地震が起こるなら、それは近づいている可能性がある。保立氏は史料を丹念に検討しながら、その地震は太平洋のプレート地震ではなく、京都から日本海にかけての断層が動いて日本海側で津波が起こった可能性を示している。それを「方丈記」に読み込む。言うまでもなく、これは今唯一稼働している大飯原発を初め日本最多の原発密集地域である若狭湾で大津波が起こっていた可能性を指摘するものである。歴史学で史料を探るには古すぎるので、地震学、地学の方面からの研究が急を要する。この指摘は皆が知っておいた方がいいと思うので、紹介した。

 「歴史のなかの大地動乱」は、東日本大震災で注目された貞観地震(869)を中心に平安時代の地震を追求した書である。(貞観地震という呼び方は避け、「陸奥海溝地震」と呼んでいる。)僕はこの本をよく理解できたという自信がないのだが、「はじめに」にあふれている危機感と情熱は多くの人に知って欲しい気がする。今までの歴史学を振り返り、地震への関心、もっと広く言えば自然災害への関心が薄かった。そのことを自省しつつ、「地震学が貞観津波の危険を明らかにしたにもかかわらず、大部分の歴史学者がそれを知らないなどと言う事態が、今後あってはならない。」「地震学における文理融合は、地震と火山の列島、日本のアカデミーにとって最大の試金石となるに違いない。」
(9世紀の地震)
 僕も江戸時代の浅間山噴火と近代の関東大震災しか授業では触れていない。教科書にも出てこないし、貞観地震仁和地震は知らなかった。この数十年は列島の地震活動が比較的温和な時期で、耐震建築技術も進んでいるから、壊滅的地震はそうは起こらない錯覚を持っていた。人間が同時代的感覚を持てるこの7,80年の間で、日本の民衆にとって最大の悲劇は戦争だったから、「戦争を再び起こさない」「戦争の真実を伝える」が歴史家の最大の任務だと思ってきた。

 基本的には今もそれは変わらないが、列島に生きた人々は、地震、津波、火山噴火、台風などの被害を受けながら、日本の文化、日本の感性を作り上げてきた。そのことの重みを実感してこなかった。それは多分同時代の多くの日本人にも共通なのではないか。だからこそ、この地震列島に54基もの原子力発電所を建設してしまった。この本を読むと、人々は怨霊におびえながら暮らしていた。地震が起こるたびに天皇は恐怖に打ち震え、身の不徳を嘆いた。地震は王の徳がないことを示していた。貞観地震の時の清和天皇は、今まで幼少で位につき初の摂政が置かれたこと、清和源氏の祖になったことのみ知られていた。この本では「大地に呪われた天皇」として描かれている。

 まるまる一つの章が、清和天皇と貞観地震に充てられている。その結果、驚くべし、祇園祭は東北の大地震の「お祓い」のために始められたと実証している。日本文化を考えるうえできわめて重要なことである。天災を祟りと考える時代の心を追って行って何になるかと思うかもしれない。しかし、巨大災害をどう理解するかを当時の人々が真剣に考えて、そうやって日本文化が作られていったのである。日本人の「古層」を探る書である。全体を異様な熱気が覆っていて、今年度屈指の問題作ではないか。ただ、歴史学プロパーの本なので、歴史学に詳しくない人にはチャレンジの本。保立氏は岩波新書「平安王朝」の興奮やNHKブックス「義経の登場」が面白かった。1948年生まれの東大史料編纂所教授。
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免許更新制は「違憲」ではないのか-教員免許更新制再論③

2012年10月12日 22時53分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 法的な問題点を指摘して、この問題の再論を終わることにする。この免許更新制度で失職すると言う事例が相次いだわけだが、それを止める手立てがない。それがどうにも納得できない。勤務状況に問題があったというわけではない。むしろ「優秀な教員」であると報道されている。単なる手続きミスである。それで「失職」するのか。退職ではないので、退職金も出ないという解釈さえ行われている。労働法的な見方からは、考えられない。あってはならない事態である。救済策が何もないのだとしたら、制度そのものが憲法違反ではないのか

 この「失職」規定もそうだが、教員免許のみが10年期限とされている点管理職や一部教員にのみ「免除」される点、どちらも「法の下の平等」に反するのではないか。その問題については、昨年いっぱい書いているので、ここでは再論しない。

 でも一応繰り返しになるが、以下のことは確認しておきたい。これが民間企業だったら、「手続きミスのみで退職させられる」ということは確実に司法で救済される。公務員であっても、何か問題行動があって「懲戒免職」になったのなら、それが重すぎるということで裁判できて、免職処分が取り消しになる判決もいろいろ出ている。「懲戒免職」の方がむしろ裁判しやすいのである。また、民間企業だったら「身分保障の仮処分申請」もできるし、認められるのではないか。ところが、行政の行う「処分」などは、「行政事件訴訟法」の規定により、仮処分はできないのである。
 第四十四条  行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法 (平成元年法律第九十一号)に規定する仮処分をすることができない

 ところで、この「失職」は処分でさえないので、「処分取り消し訴訟」もできない。裁判所に身分保障を求めたり、取り消し訴訟を起こすことも難しいのである。(もちろん、この法律そのものが「憲法違反である」という裁判はできるが…。)

 ところで、何で免許がなくなると「失職」するのだろうか?つまり、「教員免許」がなければ確かに授業はできないことになっている。でも、教員は公務員であって、公務員には教育以外の職員がいっぱいいる。たとえば、事務の仕事に回るとか、公立の体育館や博物館などで働くということはできないのだろうか。これに関しては、争った裁判が昔あって、最高裁で「免許=公務員の地位」という判例が確立されている。教員は「教員採用試験」に合格して採用されたわけだが、その採用試験が受けられる条件は、教員免許があるか、来春卒業とともに取得見込みであることである。このように採用試験の受験条件が免許を有することだったので、その免許が失効すれば受けたときの条件が違ってしまうわけで、だから公務員であるという地位も失うというリクツである。

 だが、この昔の判例も今では古いのではないだろうか。そのときとは教育を取り巻く環境も大きく変わった。大体、最高責任者である校長自身が、教員免許がいらないことになった。教員の仕事も授業はもちろんだが、いじめ問題などを見れば、生活指導、進路指導などの比重が大きくなっている。更新講習に合格したかとか、ましてや手続きをしたとかではなく、長年勤務して経験してきた積み重ねこそが重要なのである。そういう経験を生かすため、定年退職した教員も含め、「いじめ相談員」「進路相談員」「部活指導員」など、授業やクラス担任には当たらない経験者の活用が望まれているのではないか。手続きミスや講習未修などの場合は、そのような「免許を必要としないポスト」を作り、一時的に任命するという形は取れないか。その後、免許が復活すれば、教師に戻る選択ができる。ただ、僕が言いたいのは、そのような「第三者的相談員」を地域住民など免許のない人、退職後の教員などを含めて、創設して欲しいということだ。そっちが先で、そういう職があれば、うっかりミスがあれば一時的にそちらで救済できる可能性ができるのではないかということである。

 過去の判例にとらわれず、新しい発想で救済策を考えて欲しいと思う。もちろん「廃止」が一番望ましいわけだが。また「免除」条件を拡充して、35歳はともかく、45歳、55歳は実質免除する方向も考えられる。というか、教員人生に3回もあるのかと思うだけで、若い人は教員になる意欲が失せるだろう。仮にこの制度を残すとしても、40歳と50歳の2回になるなら、まだだいぶ気持ちが軽くなるだろう。新規採用後の研修があまりにも多い現状では、35歳で一回目の更新というのは早すぎる。現役で大学に入学し、卒業とともに採用されるなどと言う教員は、今はまずいない。20代半ばで採用され、新採から数年間研修漬け、次の学校に異動したら、もう更新時期が間近、では何のための教師なんだろうか。生徒と関わるより行政と関わるだけで10年間が過ぎてしまう。で、バカバカしい講習が嫌だから、早く管理職を目指したりすれば、まあそういう教員を行政は望ましいと思っているのだろうけど、生徒には不幸な出来事である。
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「空気感」と「目線」

2012年10月11日 23時59分29秒 | 気になる言葉
 言葉の問題。東京新聞10月10日、毎日放送が被災地を長期取材した映画「生き抜く 南三陸町 人々の一年」を作ったという記事。映画は13日からポレポレ東中野で上映。
 その中で見出しで「ナレーションなく、空気感はテレビ以上」とある。本文中には「ナレーションがストーリーを導くテレビの手法をやめ、集中して見ていただくことで被災地の空気感をテレビ以上に出せる」。

 この「空気感」という言葉を最近は多く聞くようになった。これに違和感がある。この言葉は最近使われるようになったと見えて、変換しようと思っても一度ではできない。「新明解国語辞典」にも出ていない。「空気」が付く言葉では「空気銃」「空気伝染」「空気ポンプ」「空気枕」が載っているのみ。「空気」の意味を見ると、①地球上の大部分の生物がそれを吸って生きている気体 ②その場の人たちを支配する志向のあり方(雰囲気) の2つ。
 ②の用例としては、「歩み寄りのーが生まれる」「分離独立の-が高まる」「保守的なーが強い」「譲歩するーがかもしだされる」「気まずいーが漂う」「-の読めない人」が挙げられている。やっぱりちょっと変。

 では「空気感」をインターネットで検索してみると、ウィキペディアにあって「空気感(くうきかん)とは芸術表現に用いられる形容の一つ。そのものが直接的に表現されていなくても、間接的な情報のみで存在することが示唆されている様子を表す。写真表現で用いられる場合は、二次元である写真がまるで立体のように見えることを指す。(後略)」
 
 もともとは写真なんかで使われた「芸術用語」=「業界用語」だったということがわかる。現実を映像で切り取って二次的表現として作り上げるときには、「どのように見えるか」という観点が欠かせない。そこで写真やテレビ、映画なんかでは、「現場の状況をいかにリアルに伝えるか」の言葉として「空気感」が使われるのだと思う。でも、被災地の映像を見る我々は、「どのようにすればリアルに見えるかの技術」などは別に見る必要はない知りたいのは被災地の「現実の状況」である。それはすべてを描くことはできない。だから製作責任者(監督)が、自分の目で見て自分で編集した表現を見ることになる。それは「被災地の空気感」ではなく、「被災地の空気」を伝えるものでなくてはいけない。

 それは「新明解」の②の意味の「空気」である。でも、最近「空気感」という言葉がよく使われる。何故かというと、僕が思うに二つある。昔も簡単に写真は撮っていたが、今の方が動画を一般の人が撮る機会が増えた。それもパソコンで編集することが容易になった。「現実」がどう映像に写し撮られるかに関心が高くなっているのだろう。だから、「この場の空気」と言えば済むところを「空気感」という。誰かが携帯かデジカメで写真か動画を撮っているのであろう。皆が集まる場で。

 もう一つが、「空気」は見えないものだったけど、「今は見える」ということだ。現実の空気は見えないから、見えないもののたとえに使われたわけだ。でも、見えなかった雰囲気というものが、今は「見えなければいけないもの」とされてしまった。その場その場で変わっていくから、「空気」「風」と言われたものが、「一度決まってしまったらもう動かない」。その場の雰囲気で決まるのではなく、誰かを排除するという場合は、もうすでに決まっていてそれに従うしかない。「空気」が流動物ではなく固体化してきたのである。町のあちこちに監視カメラがあるような、そういう状況に合わせて、「空気」が読むべきテキストとして眼前にあるようになった。だから、「空気」だけで「感じるもの」に決まっていたものが、今ではさらに「空気感」と言って、あえて「空気というものを感じるという意味を表す言葉」を作らなければいけないようになったのではないか。

 一方、「目線」という不思議な言葉が最近は一般的に使われている。これも本来は「業界用語」である。これは「新明解」にも載っていて、
(舞台、映画撮影などで)演技者やモデルなどの目の向いている方向・位置・目の角度など。[俗に「視線」の意でも用いられるが、「目線」は目の動きに応じて顔も動かす点が異なる。]
ものの見方やとらえ方。「上から[=相手を立場が下だと見くだしたような]-」「子どものーで見る」

 このように、元は映画や演劇の用語だが、それがテレビを通して一般化して行ったのだと思う。だから、その元々の使い方から、「目の動きで演技する」=「受け取られ方を気にして、本心ではないけど、そう見せる」と言うようなニュアンスが出てくる。悪役は本当に悪人なのではなく、演技で目を剥いたりする表現をして、大げさに悪党ぶりを印象づける。その時の観客やカメラを意識した目の動きが「目線」だから、「目線」という言葉を使うと、この「見られていることを意識した動き」という感じが残るわけである。政治家が国民受けするような言葉を発するときも、見聞きする側が「本心ではなく受け狙いだろう」などと思っているから、「国民目線の政治」などと言う表現が普通になってしまったのではないか。

 検察審査会が小沢一郎氏を「強制起訴」=「二度目の起訴相当決議」を行った時も、その理由の中に「市民目線」という言葉が出てきて、僕はビックリしてしまった。この「強制起訴制度」そのものも、「裁判で決着をつける方がいい」という考え方で作られているらしい。でも政治家でも有力財界人でも、国民を起訴するときの基準は同じようなもの(証拠により有罪が完全に証明されると考えられる場合)でなければおかしい。初めから制度が「受け狙い」的なものだった。だからだろうか、「市民目線」で納得できないという言葉が出てくるのだろうと思う。

 ではなんと言えばいいのか。「きっちりとして動かぬ基準で物事を見る」という意味で使うなら、「視点」ということになるだろう。昔は「視座」などと言う言葉をよく使った人もいる。変換したら一度で出たから、今も生き残っているのだろう。「民衆的視座」とか「底辺からの視座」とか言ったけど、別に「視点」と同じではないかと僕は思っていた。物事を自分なりの見方で焦点を合わせようとするときの基準は「視点」ではないか。これも近代ヨーロッパの絵画表現の「遠近法」的な用語だと思うが。「一つの視点」からはもう世界は見えて来ない、自分の「目線」で気になる範囲を切り取るしかないんだと言われるかもしれない。まあ、そういう意味で「近代」が崩れて、「自分がどう見られるか」しか意味がない時代が来たのかもしれない。でも、僕は「目線」ではなく、「視点」を使いたい
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なぜ更新制は廃止されないのか?-教員免許更新制再論②

2012年10月11日 21時39分44秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日に続いて、教員免許更新制について。岩波書店の雑誌「世界」11月号に、池田賢市、大森直樹両氏の「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が掲載されている。中央大の池田さん、東京学芸大の大森さんとは去年一緒に文科省で記者会見を行った。教員免許更新制について、はっきり発言している教育学者である。(ちなみに僕の名前が出てた。)

 この論文の中で、中教審特別部会での藤原和博氏(臨時委員)が「免許更新制はやめるとはっきり書くべきだ」と発言していることが紹介されている。(恐らくそれは「専門免許制への発展・進化」で、形式的な廃止という意味だろうと論文では指摘されているが。)ホームページで確認すると、「教員の資質能力向上 特別部会(第11回)議事録」で確認できる。
 
 一方、10月4日付朝日新聞では「修士はいい先生の条件か」という特集記事を掲載し、陰山英男氏と鈴木寛氏の意見が掲載されている。この中で陰山氏(大阪府教育委員長)は「更新制の悪影響」という見出しの下で以下のように語っている。「あまり知られていないことですが、教員免許更新制のせいで、教師という仕事は、若者にとって魅力が薄れたように思います。私は多くの学生に『教師は面白くて、やりがいのある仕事だよ」と勧めていますが、『途中で免許がなくなるかもしれないような仕事はちょっと』と言って、あまり反応がよくありません。免許更新制をそのままにして、修士レベル化を進めれば、優秀でやる気のある学生はますます教師の仕事を敬遠するように思えるのです。」

 陰山氏は大阪府教育委員長(2008.10~教育委員)、藤原氏は大阪府教育委員会特別顧問(2008.6~)である。「百ます計算」の陰山氏、「よのなか科」の藤原氏、この10年間でももっとも有名な教育関係者に入るだろうが、いずれも2008年1月に大阪府知事に当選した橋下徹氏の協力者である。このように大阪府の教育行政に親和的な両氏でも、教育現場に関心を持っている限り、「教員免許更新制は廃止した方がいい」と思うような制度なのだということがよく判る。

 よく教員免許更新制について「現場の負担」ということが言われる。それは確かで、時間的、金銭的な負担は決して軽くはない。しかし、本質は負担問題ではない。「頭上に垂れ込める暗雲」である。いや、普通に勤務していれば「失効」したりはしないように作られてはいる。しかし、それならそれで、また疑問が募る。普通に勤めていて講習に合格すれば、免許が更新されるというなら、この「更新制度って何?」。とにかく、大学で何十時間も勉強して単位を取得したというのに、その結果として取った教員免許が10年しか有効ではない。10年ごとに「更新」しなければならない。その更新講習そのもの以前に、そういう有期の仕事になってしまったという納得の行かない屈辱感のようなもの。多分、期限が来たら自分はどうなるのだろうと思っている派遣社員、有期雇用の労働者、教育現場にも今はとても多い臨時の職員は、大体そうなんだろうけど、言うに言われぬ「頭上の暗雲」である。

 さらにこれを逃れるすべがある。主幹になり、さらに管理職になるという道である。35歳は仕方ないけど、45歳、55歳は管理職になっていれば「免除」される。そこで自分の教員人生を見通して、今まで以上に自問自答せざるを得ない。授業や部活動に力を入れたりせずに、管理職を目指すべきなのかと。恐らく今まで以上に、適任ではない「講習逃れ」の主幹、管理職が増大していくのだろう。(前に書いたことだが、ここに再度書いておく。「免除」は可能であるというだけで、管理職だったら「免除を申請しなければならない」とされているわけではない。従って、現場教員とともに学校作りを進めていこうと思っている管理職、主幹教諭は、免除申請をせずに自分でも更新講習を受けるべきである。そうしなければ、僕には教育者として認められない。)

 誰にとっても意味がないと思えるわけだが、それは「教育をよくする」という目標を共有している場合である。陰山氏が報告するような学生の事例は、当然学生は「途中で免許がなくなるような仕事は…」と思うに決まっているんだから、もちろん事前に予想していたはずである。だから、そのような事態は「予期に反して」起こっているのではなく、そのような事態を目標にしていたのだと僕は思う。つまり教育には国家として投資しないということである。それは小泉政権、安倍政権で起こった出来事である。

 それに対して、「子ども手当」「高校授業料無償化」を掲げた民主党政権は、当初「教員免許制度の抜本的改正」を掲げていた。それは「大学院義務化」も含む、実現の難しい問題が含まれていたと思うが、更新制度はとりあえず実質的にはなくなるのではないかという期待が現場にはあった。それが実現できなかったのは、一つには確かに「ねじれ国会」があるだろう。教育に限らず、選挙制度改正のような党派を超えて協議しなければならない問題でも、まったく「決められない政治」状態になってしまっている。
 
 もう一つが「更新講習ビジネス」が出来上がってしまったことである。池田・大森論文では「18億円」と試算されている。教師も今はバラバラに競争させられている現状なので、まとまって反対するのが難しい。自分が損しては困るので、何とか楽に講習を受けられないかというのが実情だろう。最初だけ実施して途中でなくなるのは自分が損、10年間はやって一巡して欲しいという声もある。教師がそういう風になってしまえば、「皆でいじめに対処する」など不可能である。つまり、そういう「学校の荒廃」こそが、更新制の結果であり、また目的でもあるということではないか。

 「荒廃が目的」などと言うと言い過ぎかと思うかもしれないが、中教審などでは私立大学、私立高校などの関係者が強い影響力を持っている。この間、株式会社の学校経営などがどんどん認められてきた。教員の大部分は公務員である。「公務員バッシング」と「公立学校はダメだキャンペーン」=「私立優位への誘導」が結びついて進んでいる。大阪では、私立高校の授業料も実質無償化(または10万円程度)を進めている。「私立高校生等に対する授業料支援について」を参照。他地域では案外知られていないだろう。政府の考えでは、公立だけ無償化すれば私立へ通う家庭だけ大変になる、だから同額程度を私立生徒にも援助するという仕組みになっている。しかし、大阪では私立も完全に無償に近くしたほうが、公私立で「競争原理」が働くということを考えたわけである。しかし、これはよく考えて見れば「不平等」である。私立高校は大学へ直結しているところも多い。またほとんどの私立高校で、公立校以前に推薦入学を実施している。タダなら早めに決まった方がいいから、中学生はどんどん私立へ行ってしまうようになっているということだ。公私立を「競争」させたければ、全高校同一日に学力試験を行うという条件にしなければおかしい。

 まあそれはともかく、公立学校に対するテコ入れも行われていないわけではないが、それらは大体「税金で私立学校を作る」というのに近い。中高一貫でエリート育成を図るというようなやり方である。更新制で教員のやる気をそぐとともに、公立学校を意識的に低いままにしておくという政策が進められているのではないかと僕は考えている。(更新制の法的問題を次に。)
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映画「無頼漢」と篠田正浩監督の映画

2012年10月11日 00時32分40秒 |  〃  (日本の映画監督)
 「神保町シアター」で、今日見た「無頼漢」「薮の中の黒猫」は、どちらも僕にとって「長年見逃し」の映画だった。今は「太地喜和子特集」。杉村春子後の文学座を担うと期待されながら、地方興行に行った際、飲み過ぎて乗ってた車が港に転落して脱出できず死んでしまった。48歳。若いときから「妖艶」で知られ、若い男優との恋愛沙汰も多かった。本当に愛したのは三國連太郎だけ、ということだけど。映画にもずいぶん出ていた。特に「男はつらいよ」ベストテン史上最高位の2位になった「夕焼け小焼け」の芸者役は素晴らしかった。太地喜和子が亡くなって、もう20年経つのか

 「無頼漢」(1970)はずっと見たかった。僕は洋画は70年から見ているが、まだ日本映画は見てない。翌年の1971年には高校生になったので、大島の「儀式」、篠田の「沈黙」、寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」などを見た。その寺山が脚本を書き、篠田が監督した作品が「無頼漢」。当時から見たかったけど、一年違いで見逃した。長い間には、篠田監督特集、寺山特集など、何度も「無頼漢」をやっていたが、すべて仕事で行けない時間だった。ようやく、約40年ぶりに見られた

 いや、若いねえ、みんな。70年のこの映画では出演者をほとんど知っている。蜷川幸雄(1935~2016)も役者で出てる。主演の仲代達矢(1932~)、岩下志麻(1941~)。小沢昭一(1929~2012)、丹波哲郎(1922~2006)、渡辺文雄(1929~2004)、芥川比呂志(1920~1981)、米倉斉加年(1934~2014)、中村敦夫(1940~)、山本圭(1940~)。そして太地喜和子(1943~1992)。大人役の芥川比呂志や丹波哲郎はともかく、仲代も30代、岩下、太地はまだ20代である。この顔触れはすごい。この顔触れだけで見た価値はある

 「無頼漢」は河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」(くもにまごううえののはつはな)の映画化である。フリーターみたいな直次郎と吉原の花魁(おいらん)三千歳(みちとせ)の恋愛に加え、奉公先で妾になることを強要されている浪路(なみじ=太地)を河内山宗俊と直次郎などが救出に行く話がテンポよく進んで行く。時は天保の改革で、水野老中が改革の名の下に風俗取締りを進めている。悪党たちは追い詰められ、絶望と退廃のさなかを生きている。道徳は地に落ち、皆色と慾に狂っている。60年代の熱気が失せて、70年代の「混乱と秩序」が生まれるさまを、江戸末期ながら同時代を見るがごとくに描いて行く。非常に興味深いんだけど、人物と筋が絡み合い過ぎて、映画としては完全には成功していない。(ベストテン14位。)

 篠田正浩監督と岩下志麻は67年に結婚して、映画史上に残る素晴らしいコンビとなった。「松竹ヌーベルバーグ」と言われた大島渚は小山明子、吉田喜重は岡田茉利子と結婚したが、大島や吉田は女性映画を作ったわけではない。しかし篠田映画に主演した岩下志麻は、素晴らしい代表作を何本も残した。篠田監督は早稲田大学時代に陸上部で箱根駅伝に出場している。松竹で映画監督になるが、大島、吉田が早々に会社とケンカしたのに対し、政治的、芸術的に会社と対立することは少なかった。でも、自分で作りたいものを芸術的に作るために表現社を作り、「あかね雲」が表現社第1作。69年にATGで作ったベストワンの「心中天網島」が代表作で、岩下志麻も2役で大活躍。
(「あかね雲」)
 シネマヴェーラ渋谷で、「篠田正浩監督特集」がある。最後の作品として作った「スパイ・ゾルゲ」が終わる間際に「武満徹へ」という追悼の献辞が出るが、音楽は武満が担当したものが多い。脚本を寺山が書いたものも多いし、粟津潔の美術など、60年代を代表する若い才能がスタッフに集まっている。武田泰淳原作を石原慎太郎が脚本にした「処刑の島」という不思議な傑作もある。1966年で、まだ自民党参議院議員になる前。岩下志麻がタイトルロールを演じる「卑弥呼」も不思議な映画だった。明らかに失敗だが。坂口安吾の「桜の森の満開の下」なんかも映画化した。不思議な文芸作品がたくさんあって、今一つ評価が難しいのが篠田監督の映画である。
(「卑弥呼」)
 後期になって判りやすい作品が多くなる。「少年時代」(1990、あの井上陽水の歌がテーマ曲の映画で、戦時中の疎開少年を描く)、「瀬戸内少年野球団」(1984)などは大衆的に成功した見事な映画。でも「スパイ・ゾルゲ」「梟の城」などは案外面白くなかった。鴎外の「舞姫」も、篠田監督、郷ひろみ主演で映画化されている。フランキー堺が入れ込んでいた「写楽」も、面白いけど不思議な映画だった。江戸時代を扱った映画がかなりあり、まとめてみるとどうなんだろうか。

 77年の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」も素晴らしい傑作。「乾いた花」「美しさと哀しみと」など60年代の映画も素晴らしいと思うけど、皆違う感じで、特徴がつかみにくい。そして遠藤周作の「沈黙」。原作とラストが違う。それがいいのか、悪いのか。自分なりの解釈というが、「沈黙」をどう理解するかは、日本文化にとって重大な問題である。岩下志麻を主演に、「国家を相対化する」映画を作り続けた中期の作品群が一番面白いと思う。「あかね雲」「おりん」と2本も脱走兵が出てくるが、そういう監督は他にないだろう。(2017.10.31改稿。俳優の没年も書き加えた。)
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「失職」は「想定外」なのか?-教員免許更新制再論①

2012年10月10日 21時04分45秒 |  〃 (教員免許更新制)
 10月10日付朝日新聞の社会面トップに、「教員免許うっかり失効 更新講習受けたのに手続きせず」という大きな記事が掲載されている。記事そのものを載せておく。長い記事なので、上下に分かれてしまった。途中で重なる部分がある。
 

 東京都で失職が相次いだことは、このブログで随時報告してきた。今回の記事で、東京、大阪、千葉で私立の失効例があることがわかった。今回の東京の失職事例は、いずれも「申請がいるとの認識を持っていなかった」と書いてある。にわかに信じられない事態である。本人に認識がなくても、管理職が判っていれば申請を確認するはずなのだから。だから「管理職の責任」がかなり大きい。

 単に申請を忘れただけなのだから、失職した後に申請を済ませて、もう免許は復活して臨時教員などで再雇用されている。では、この「失職」という事態は一体何なのか。教師に対する嫌がらせなのか?そう、「教師という仕事」に対する嫌がらせなのである。他に考えられない。

 「申請を忘れて失効する『想定外』(文科省の担当者)の事態。関連法にも救済策はない。」この問題については、前にすでに書いたので繰り返しになるが、大事なことなので、もう一回書いておきたい。僕は「年度内に失職者が出ること」は確かに「想定外」だったろうと思う。しかし、「申請忘れで失職する」という仕組み自体は、そういう風にわざわざ作ってあるんだから「想定外」のはずがない。免許更新申請の期限は、1月31日である。なんで3月31日ではないのかというと、2月以後は新規大卒者に対する新免許交付の事務があるからである。と同時に、現職者の更新確認期間が必要だからだろう。現に第1回(2011年)は、熊本県で2月になってから更新をしていないということがわかり、退職か失職かを迫られている。そういう事態になったのは、熊本県教委に責任があるが、それはそれとして2月以後の確認作業の結果、「新年度が始まってからの失職」という事態は起こらなかったわけである。

 今年「想定外」だったのは、その確認作業をさぼっていたふざけた教育委員会があったということである。もっとも東京都は大学が多いから新規免許交付者が多く、事務が相当大変なことは考えられる。しかし、更新制では免許の確認は、都道府県教委の責任で行うしかない。それを怠っていた責任は大きい
 
 ところで、今回の記事でも「免許期限だった前年度末にさかのぼって失職した」と書かれている。しかし、(これも前に書いたことだが)、3月31日には免許が有効である。3.31に失職するいわれはない。4月1日になると、確かに申請していないと失効する。だから「4月1日付で失職」なら理解できるのだが、「3月31日にさかのぼっての失職」は法的におかしいのではないか

 また、免許失効が明らかになるまでは普通に勤務していたのに、突然「3月31日付にさかのぼって失職」ということがありうるのか。それができるのなら、「1月31日にさかのぼって、免許更新申請を受け付ける」ことにすればいいのではないか。これは夏に文科省に直接ただす機会があり、検討するということだったがどうなんだろうか。

 もちろん、この更新制そのものがいらない。また、更新講習を受けた後に申請しないと更新されないというあまりにも面倒で、教育のジャマとしか思えない仕組みもいらない。でも、たぶんなくならない。この記事でも「予防策」とか言っていて、仕組みを変えるとは言ってない。何でだろうか?それはこの更新制度が、「教員免許は私的な資格である」ということを徹底させる目的があるからだと思われる。「教育は私的なサービス」であり、「公教育を破壊していく」という大きな目的の一環として、「教員免許を有期制にして、教師の権威を落とす」ということなのだろうと思う。

 「教師という仕事」の魅力をなくし、公教育をダメにしていくというプログラムは、すでにかなり成功を収めている。全国学力テストに対する教員の抵抗はほとんどできないし、いじめ事件が起これば教師が悪いというキャンペーンが行われる。当然教師になりたい人は少なくなるだろう。今回のいじめ問題では、もう教師がダメなのは放っておいて、「教育委員会制度そのものを解体せよ」というキャンペーンが行われている。それは教育委員の公選制度を復活させ住民参加を進めようというような方向ではなく、選挙で当選した政治家が好きなように教育制度を変えられるようにする、という意味らしい。まあ、そういう大きな問題、あるいはなぜ更新制度はなくせないのかなどは、明日以後に。
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「名誉教授」は務めない

2012年10月09日 23時04分02秒 | 気になる言葉
 今日は休もうかと思ったんだけど、ニュースを聞いてて「言葉の問題」。「感動」は貰えるものなのか、とか、「グローバル・フェスタ」っておかしくない?という話を書いたけど、言葉についておかしいんじゃないと思ってることはもっといっぱいある。少し、まとめて書いてしまおうか。

 首都圏のニュースというコーナーで、来年の千葉県知事選挙に共産党推薦の候補が決まったというニュースを報じていた。いやあ、森田健作が当選してからもう3年経ったのか。どうなるのかと思ったけど、石原慎太郎や橋下徹ほど目立ってない。やはり東京や大阪という場所が「中央政府」を過剰に意識させてしまうのか。それはともかく、NHKのWEBニュースを見ると、

 来年4月に任期満了となる千葉県知事選挙に、千葉大学名誉教授の三輪定宣氏が共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。(中略)三輪氏は75歳。高知大学や千葉大学の教授を経て、現在、千葉大学の名誉教授などを務めています。千葉県知事選挙にこれまでに立候補を表明したのは三輪氏だけです。

 別に千葉県知事選の問題ではない。「名誉教授を務めています」の問題。ああ、この記者は「名誉教授」を知らないんじゃないか、と思った。僕も若いときは、助手、講師、助教授(今は准教授という)、教授、名誉教授、なんていう順番があると思っていた。年取ってきて一番偉くなった教授が「名誉教授」で、当然その大学で仕事をしていて、受けたければその先生の講義を聞けたりするもんだと

 でも、本当は違う。「名誉教授」は「称号」に過ぎない。「人間国宝(重要無形文化財保持者)を務めています」なんて言わない。同じように「名誉教授」も、仕事ではないから務めるという表現はおかしい。名誉教授は、その大学(高専も)の教授を辞めた後でしか、もらえない。企業では会長や社長を務めた者に対して、辞めた後も「名誉会長」「相談役」「顧問」などの肩書を付けて、部屋も用意して、まあ代表権はないけど、時々ご高説をうかがうというようなことがよくある。こういうのは、実際にそういう「役職」(特に意味のある仕事はないけど)に任命されているので、「務めている」と言っていい。でも、「名誉教授」はそういう「名誉職」ではなくて、本当に単なる称号なのである

 そして、「名誉教授」は実は学校教育法で決まっている。各大学が勝手にあげた称号ではなく、法に規定されたものなのだ。
 第百六条  大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。

 「勤務した者で」とあるように、現職中になることはない。退職した人に追贈するものなのである。それでも退職後も講義を持つような人もいる。そういう場合も「特任教授」「客員教授」などの役職に別に任命される必要がある。東大や京大などの「有名大学」の教授だった人は、退職して私立大学に務めることもよくあるが、マスコミなんかに出るときは今の仕事ではなく、称号に過ぎない「東大名誉教授」を使ったりすることがある。そういうのもどうかと思うけど。

 今回の三輪氏という人は、他のニュースサイトを見ると、「千葉大学教育学部などで教鞭を取り、現在は帝京短期大学こども教育学科の教授を務めています。」とあった。つまりこの人の正しい仕事の肩書きは「帝京短期大学教授」である。それを現職ではなく、過去にもらった「称号」で表すのは、どうなのかなあ、といつも思っているので、ちょっと。
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「演劇」を見よー「ライブ」の重要性②

2012年10月09日 00時42分17秒 | 若い人へのメッセージ
 間が飛んだけど、「ライブ」を見て欲しいという話で、特に「演劇」の話。演劇といっても幅広いけど、伝統演劇でも新劇でも宝塚でもミュージカルでも、とりあえずはなんでもいい。「生の舞台で人間がドラマを演じる」というのを、若いときから一年に何度か経験しておいて欲しいなあという希望である。いや、大人になっても芝居や映画に行くというのはとてもいいと思う。そういう文化体験が日本の大人の世界に少なすぎる。まあ、長時間労働と遠すぎる遠距離通勤では、とても演劇やコンサートに行けない。フランス映画なんか見てると、夜になってからみんなで劇場へ行ってオペラを見て、そのあと食べて飲んだりしてるけど、どうしてそんなことができるのか。職住接近だということだろう。でもこのままでは日本の政治や経済もさらに貧しくなってしまうだろう。

 僕が生の演劇を特に見て欲しいと思うのは、教育や福祉に関心がある若い人人間は正しいことを言ってれば必ず相手に伝わるということはない。もちろん正しいことを言って伝わる場合もある。その方が多い。一般的には、「いじめはいけない。いじめがあったら先生に相談しなさい」で通じる。でも肝心のいじめられている生徒、いじめている生徒に向かって、そういう「正論」を言っても通じないだろうということはわかると思う。「正しいことを言ってるのに通じない」のではなく、「正しいことを言ってるから通じない」ということも多い。そういう時に押してもダメだから、引いたり、いなしたりして態勢を立て直さないといけない。人間相手の仕事は毎日がドラマ。だから、生のドラマを見て感覚をつかんでおくのが大切なんだろうと思う。「ドラマ感覚」を感じられる身体。これが第一。

 次にコンサートや演劇を見ると、「皆の心をつかむ力」がすごい。まあ、こっちも金払ってるんだから値段分の芸は見せてもらおうというつもりで見てる。教室の生徒は「放っといて寝かせておいてくれ」とか思って教室にいたりする。そういう時は歌手や俳優でも難しいだろう。いや歌ではなく、その歌手が授業をしたらどうかという話だけど。だけど、皆の心をつかんで、圧倒的な感動に盛り上げていくそのテクニック、自分にも欲しいなあと思わないではいられない。別に見てるだけでテクニックが向上するわけではないので、変な期待はせずにただ楽しんでいる方がいい。受けたギャグや小話を自分で披露しても、そういうのは大体すべるに決まってる。でもそういう「ライブ体験」を重ねると、何となく「場のつかみ方」がうまくなるのではないか。少なくともマイナスにはならない。これが第二。

 「人間を見る目を深くする」という意味では、小説でも映画でもいいから、いろいろな人間ドラマに触れることが役立つと思う。自分と違う境遇の人間、例えば難病で学ぶことも困難な生活を送っている10代の少年、あるいはアフリカで内戦に巻き込まれ兵士にされた少年…、そういう人も世界にはいるわけだけど、そのことを知ってるだけで力になる。でも目の前にいる生身の人間を理解するのは大変。そのためには「生身の人間の演じるドラマ」を見てる方が役立つ。テレビや映画でもいいとは思うけど、実際に生身の人間が演じる迫力の方がすごいのは当然である。その意味では、歌舞伎やミュージカルより、人間ドラマを見ておくことが大事だろう。これが第三。

 そして最後に、発声や「立つこと」そのものを意識する必要性のために。時には生徒に声が届かない教師というのがいるものだが、はっきり言って困ったもんだ。教職課程に「ヴォイス・トレーニング」や「演劇レッスン」を取り入れていく必要がある。そして人類は「立つ」ことで人類となった。動物が重力に逆らって立つという難しい作業を意識していないといけない。そういう人間の「所作」はなかなか自分で意識できないが、ダンス、日本舞踊などを見たり(自分でもやったり)、演劇を見ることで意識が格段に高まる。それが教育、福祉、医療などの対象の「身体のゆがみ」を見えやすくする。そういう身体性への意識を高め、自分のゆがみを自覚できるようにする。これが第四。

 僕が考える「演劇を見ておいた方がいい理由」は大体以上である。要するに「楽しいから見ればいい」わけだけど、「人間相手の仕事」なら「人間が演じるドラマを見た体験」が多いほど深い所で役に立つに決まってる。大事なのは、その人の表面ではなく、身体の深い所が発しているメッセージを感じ取れるかどうかである。

 僕は元々小説や映画が好きだった。元々というのは、高校生までの間にという意味。演劇を見たのはひまとカネの問題で、大学生になってから。(自分のカネを出してプロを見たという意味。)最初に見た場所は新宿紀伊國屋書店4階の「紀伊國屋ホール」ではなかろうか、と。もう覚えていないんだけど。下北沢の本多劇場や池袋の東京芸術劇場なんかなかったし、当然紀伊國屋サザンシアターや新国立劇場、世田谷パブリックシアターなんかはない。だから紀伊國屋しかありえないんだけど、まあどこかのテントが最初だったかもしれない。一番感動したのは、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」という宮沢賢治の評伝ドラマである。評伝ドラマの第一作「しみじみ日本・乃木大将」も見てるけど、宮沢賢治が好きだからかもしれないけど、「イーハトーボの劇列車」の感動は大きかった。この劇には「思い残し切符」というものが出てきて、早く死んだ人の「切符」が受け継がれていく。この発想は今でも僕の深い所に残っている。以後、亡くなるまで井上ひさしの新作を何度見たことか。多作だし、全部は行ってないけど、相当見た。なんという豊饒で深い世界だったことだろう。

 そういう劇作家、あるいは映画監督や小説家がいるだけで、ずいぶん自分の世界は広がった感じがする。日本の多くの人が、同時代の知的な共有物として演劇の世界があるといいなあと思う。きっかけは何でもいいけど、口コミか新聞の劇評。でも評判になった時点でチケット売り切れのことが最近は多い。WEBサイトで見ると、当日券があるか、あるいは「チケットぴあ」なんかは売り切れでも劇団に残っていることもある。そういう情報をつかむことも大事だろう。一度行って良かったら、アンケートに今後のチラシ希望と書いてくれば、以後の案内が送られてくる。それで見たいものがあったら、事前に入手できる。しかし、値段が高い。いいところは特に高い。映画は大人一般1,800円。1日4回か5回はやるから、一つの席で8,000円くらいになる。一日1回の公演の演劇では、映画数回分の値段を取らないととてもやってられない。すごい舞台装置を見たりすると、この値段では大変だろうという演劇が圧倒的に多い。公的支援がもっとないとやっていけないだろう。だから高いのは仕方ないけど、安いチケットの公演日もあるし、いろいろ工夫しながら見るわけ。でも去年玉三郎の舞踊公演を劇場の一番上で見たら、小さくて(双眼鏡は持って行ったけど)何だかわからなかった。

 ま、それはともかく、歌舞伎や文楽を一回も見ずに教師になっていいのか、ぐらいは言ってもいいかなと思うんだけど。東京都なんか「日本の伝統」なんて言うんだから、夏休みに教師向け研修で歌舞伎を見せてもいいくらいだ。判るとか判らないではなく、経験しておくということ。それはプロ野球やJリーグや大相撲なんかでも同じかもしれないが、伝統演劇こそある程度強く言わないと見ないで終わる可能性が高い。で、「ドラマ体験」を若い人には是非しておいて欲しいという次第
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桂文治襲名披露公演

2012年10月08日 22時44分43秒 | 落語(講談・浪曲)
 浅草演芸ホールで、落語芸術協会の第11代桂文治襲名披露公演。寄席は上野や新宿に行くことが多いので、実は浅草は初めて。団体客もあり、11時40分に行ったのだが、もう1階は満員。2階で見る。口上に5日までは桂歌丸会長が出るけど、後半は桂米丸最高顧問(いつまでも元気で寄席でトリをとったりしてるのにビックリ。テレビの寄席番組の司会で有名だった)を中心に、三遊亭小遊三(副会長)や兄弟子蝠丸、小文治、笑福亭鶴光など。今日は春風亭昇太も。さらに今日は毒蝮三太夫が特別に登場。なんでも先代文治がまむしプロダクションに所属していたという縁だそう。

 落語は僕は何十年もしっかり聞いてるわけではないので、あまり語れない。「桂文治」という名は、もと上方のものらしいが、その後江戸に来て、桂の宗家にあたる名前だということだ。11代目は1967年生まれで、桂平治を名乗っていた。まだ45で、兄弟子を飛ばしての襲名。前に聞いたこともあるが、明るく陽気な芸風で、重厚さはまだ当然足りないけど、大声で明るく場内の雰囲気をつかんでしまう。応援したくなる芸風で、今後の精進が楽しみ。今日は長野県から団体が来ていたということで、仏教伝来に関する「お血脈」(おけちみゃく)という「地噺」をやっていた。物部守屋が捨ててしまった仏像が善光寺になるという長野県に関連する話。お釈迦様から始まって歴史を語りながら、随所に落語家のエピソードを交えて楽しく演じていた。仏像の長さの話で「丈」を説明するときに、「円丈さん」という落語家がいると話しだしたのがおかしかった。

 「笑点」に出ている昇太小遊三はさすがに知名度も高く盛り上がる。うまいし語り口もいいんだけど、やはり知名度も重要だなあと思う。昇太は10年以上前の、それほど有名でないときからずいぶん聞いてる。今年はなんだかあちこちで聞く機会があり、4回目。落語が続くと、漫才や曲芸、手品などの「色物」がうれしい。そっちに発見がある。ホール落語だと色物がなかなか見られない。ということで、寄席はいいんだけど、昔風の建物だから椅子が小さい。今では疲れる。長いから。シネコンの椅子みたいになることは絶対にないと思うけど、辛いことは辛い。でもまあ椅子はあるわけで、テント芝居よりはいいわけだけど。

 帰りにROXのリブロ(本屋)で、岩波の「世界」を買う。いやあ、今は世界を置いてない所が多くて、浅草にあるかなあと思ったんだけど。朝日新聞の広告を見て、「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が載ってるのに気付いた。池田賢市さん(中央大)と大森直樹さん(学芸大)の、去年一緒に記者会見した方々。読んだら僕の名前が載ってた。この問題もいずれまた、じっくり書きたいと思う。一応、紹介。
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グローバル・フェスタ?-「ブルー・シャトー」問題

2012年10月07日 21時53分47秒 | 気になる言葉
 もう終わったんだけど、例年10月の連休に「グローバル・フェスタ」という催しが東京の真ん中、日比谷公園で行われます。主催は実行委員会だけど、共催に外務省やJICAが入って、後援に政府各省が加わるという公的な催しです。まあ日比谷公園でやる催しは大体そうなんだけど、ブースのテントがいっぱいあって回るのが途中で面倒くさくなる。今日ちょっと行ったんですが、たぶんちゃんと回ると知り合いがいるのではないかと思うんですが、晴れて来て暑くなって早々に退散してしまいました。

 で、そのことではなく。いつも思うんだけど、「グローバル・フェスタ」って何だよ、と名前に違和感を持つのです。何で、フェスタなの?
 ネットの辞書で引いてみれば、フェスタ【(イタリア)festa】祭り。祝祭。祭祀(さいし)。祝日。
 「グローバル」は、global[形] 1 全世界の,地球上の,世界的な(以下省略)

 言うまでもなく、グローバルは「英語」。フェスタは「イタリア語」。
 この「違う言語をくっつけて使う」というところに僕の違和感があります。
 「グローバル・フェスティバル」じゃ、なぜダメなのか。というか「地球祭り」じゃダメなの?
 混ぜるから「グローバル」なのかな。外国語を使わないと、趣旨に反するのか?

 僕は外国語を消化して、カタカナで表記していく現代日本語のあり方に反対ではないです。あまりにも訳の判らないのは困りますが。漢字しかない中国よりも、カタカナで表音表記できる日本語表現の方が、欧米の影響を避けられない現代では便利ではないかと思います。しかし、コンピュータを「電脳」とするような漢字表記も捨てがたいのですが。ただ、僕の感覚では、「英語なら全部英語にして欲しい」と思ってしまうのです。

 まあ、漢字の読みにも「重箱読み」「湯桶読み」があるわけで、混ぜこぜが日本語の特徴なのかも

 この問題を意識したのはずいぶん昔で、僕は「ブルー・シャトー問題」と自分で勝手に呼んでいます。そう、ジャッキー吉川とブルーコメッツが1967年に歌ってレコード大賞を受賞した曲ですね。
 子どもだった僕は、皆と一緒に、「森と(ンカツ) 泉に(ンニク) 囲ーまれて(ンプラ)」と歌っていましたね。大学生になって第二外国語でフランス語をやって気づいたけど、「Blue Chateau」って英語とフランス語の混ぜこぜではないですか。「ブルー・キャッスル」ではダメなのか。いや、ダメですね、それは。森と泉に囲まれている古城は、当時の(今も)日本の言語感覚ではフランス語の「シャトー」の方がロマンティックに聞こえるのは確かです。まあ、青はフランス語でも「bleu」ですが、語順が逆になるはずだと思います。この曲の表記は、「Blue Chateau」らしいから、英語で「ブルーな」と言って、そういう「シャトー」だと表現してる感じがしました。

 まあ、一つの考え方としては「ブルー」は日本に定着し日本語化している外来語。「シャトー」も聞かないではないけれど、意味を分からない人は(特に当時は)多かったでしょう。「ブルーなChateau」という題名と考えるわけです。

 このような言葉の例で有名なものに、「フリーター」があります。ドイツ語の「勤労者」を意味する「アルバイター」(Arbeiter)に、日本で英語の「フリー」を付け、さらに略語となったという複雑な「和製造語」です。これは外国語では正式には何と言うのだろうという問い自体が成り立ちません。「正社員」と「アルバイト」という枠組みがない国では、そういう言葉が必要ないので。

 これも僕は「フリー・ワーカー」ではダメなのか。略語「フリーカー」でいいではないか、と思ったりします。これも一つの解釈は「アルバイト」がすでに日本語化しているとみなすことです。「アルバイター」はなじみがないですが、何となくアルバイトする人の意味だろうとわかるわけです。で、その日本語化した「アルバイト」を「アルバイター」にして、「フリー」を付けて、さらに省略したと。

 こういう言葉に違和感を持つ必要があるのかないのか、自分でも判りませんが、注意してみていると結構あるものです。特にドライブ中に「ラブホテル」の看板を見てると、時々ある。「ホテル・セゾン」とか「クリスタル・シャトー」とかありそうでしょ。

 僕には違和感があるし、何も外務省が言わなくてもいいのでは、と思うわけ。「英語」という表記の問題もあるけれど、今はそれは置き、外国語の国籍混ぜこぜ問題だけ。別にそれほど文化的ナショナリストではないんだけど、できれば「やまとことば」で表現していったほうがいいのではないかという気持ちはあります。僕は「フェスタ」は「まつり」でいいのではないかと思うけど。
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「ライブ」の重要性①-「現場を踏む」こと

2012年10月07日 01時13分53秒 | 若い人へのメッセージ
 若い人向けの話、続き。人は「孤独」も大切である、「本」を読まねばならないという話を書いた。人生には家にこもって本を読みふけるような時間も大事なんではないか。でも永遠に家にいるわけにもいかないし、恋愛小説をいくら読んでも実際の恋愛体験がないのでは意味がない。僕は昔から「書を持って家を出よう」をモットーにしてきた。だから、次には「ライブの重要性」の話。ライブと言うと音楽のコンサート、ライブハウスに行くようなイメージがあるが、ここではもっと広く、「生のもの」という感じで使う。「生」というか「ほんもの」。音楽や演劇に行くのもそうだけど、「絵を美術館に見に行く」も、絵はモノで生きてはいないけど、「本物を実際に見に行く」という意味で、ライブ体験と考える。スポーツも当然ライブ動物園に行くのも「動物のライブショーを見に行く」。皆カネがかかるなあというなら、裁判の傍聴がタダのライブ体験デモや集会もライブである。そういう「現場に身を置く」ことの重要性。(ただし、事件現場を見に行って、テレビカメラに向かって手を振るようなことはなし。樋口祐介「ピース」中公文庫を読むこと。)

 演劇や落語の話は次回回しで、今回はそれ以外の「ライブ」の話。昔、松川事件という冤罪事件で被告人の文集「真実は壁を透して」という本を作った。それを作家の広津和郎が読んで、どうも気にかかる、無実の死刑囚ではないかと思った。そこで面会をしてみて「被告人の目が澄んでいた」と感じた。裁判も傍聴しおかしいと思った。当時は「目を見ただけで有罪無罪が判るのか」と、批判と言うよりむしろカラカイの対象にされたが、中央公論に数年間にわたり「松川裁判」を連載し、裁判のおかしさを追求した。現地調査も行い、幅広い支援運動も広がり、結局無罪判決になる。このように広津を書きたてたのは、間違いなく面会や傍聴と言う「ライブ体験」だったと言える。実際に体を動かして調べるというのは、こうして人生と歴史を変えることもある

 しかし、そういう事例を最初に書くと、人生を変えるような体験が待っているかと思うと気軽に行けなくなってしまうかもしれない。大丈夫である。広津和郎は有名な作家だった。有名でもなんでもない人が集会やデモに参加しても、それっきりで自分で考えないと後は何もない。ただ大学なんかで安易に参加すると、党派的、宗教的なセクトだったりすることもないとは言えない。また商業的な営業でしかなかったということもある。地方から大学に出てきてまだ友人もあまりないなんて時には、「さびしいあなたをねらう企み」も確かにある。そこは注意しておかないといけない。一番大事なことは、配ってるチラシは貰ってもいいけど、怪しい場合はスルーする技術、である。電話も同じ。

 「ライブ」になると他人との関係も生じるので、危ない場合もないわけではないということである。ただし、心配し過ぎると何もできないそれより大きな問題はお金である。何をするにせよ、カネがかかる。最低、交通費はかかる。じゃあ近所の公園まで散歩するのではダメか。それでいいんだけど、それは「ライブ体験」ではなくて、「プチ旅行」と考えたい。「旅のすすめ」はまた別に書くので、その時に。そこで「ライブ体験」という場合、通学・通勤定期がある場合は、それを利用して行けるところを見つけてみようということが基本。僕の場合、学生の時は上野で乗り換えていたので、動物園や博物館にはよく行った。落ち込んでいるときのおススメは、動物園の猿山と国立博物館の仏像コーナー。たまに仏像、ちゃんと見ると心慰められますよ。絶対おススメ。

 それよりなんで「生」を聞く意味があるのだろう。演劇はまあ見るなら生で見るのが普通だが、音楽なんかは普通はCDや携帯プレーヤーで聞く。またはテレビ、ラジオで聞く。洋の東西、歌手の名前は何百人と知ってるけど、生で聞いたことがある人はとても少ないはずである。それを生で聞くというのは、確かに貴重でファンならぜひ聞きたい。そう思う人は多いから、カネは高いしチケットは取れない。それに人気コンサートや演劇は事前にチケットを買っておくことが多いけど、当日の出来は保証されていない。映画なんかだと評判を聞いてから見に行くことができる。それなのになんで行くのか。いや、行かない人も多いわけだけど、僕は何回かは若いときに是非行くべきだと思う

 はっきり言って、その最大の理由は「自己満足体験」だと思う。たまには高い旅館、ホテルに泊まってみるとか、そういうことも大事なんではないか。読書だって、よく判らなくてもドストエフスキーとか挑戦してみた方がいいのと同じ。まずは「自己満足」を求めないと。だから話題のコンサートや演劇を、特にファンでもないけど有名だから高いお金を出しても行ってみようかなというノリも大事だろう。それが何になるかと思う人はやめた方がいいでもその分人生が貧しくならないか。確かに見て時間とカネの損だったと思う時もある。そういうことにこだわってるなら行かない方がいい。「人生にはムダ金が必要」ということを学ぶのも大事。

 それと「伝説を目撃する」ということ。何十年もかけた「人生への投資」である。僕の若い頃は「(古今亭)志ん生がどうこう」「(尾上菊五郎)六代目はどうこう」というような人が結構いた。僕が生で知ってるはずがない。誰かを見てるとそれだけで威張れる時代がそのうちくるのである。そう思って、売れるかもしれないアイドルに通えばいいけど、時の流れに中に消えてしまうかもしれない。わからない。若いときは好きなものしか見ない。僕も紅テントや黒テントは何度も見てるが、杉村春子も森繁久弥も生で見なかった。お金が高いとはいえ、見ようと思えば見れただろう。みんないつか亡くなるし、自分も年を取ると知ってはいたけど、実感がなかった。誰とは言わないが、今のうちに聞いておいた方がいい人は多い。

 外国人の場合は機会が限られているので、かえって見に行く気になりやすい。僕はカラヤンもカール・ベームも行った。行ったからと言って、もう忘れてしまったけど、まあ「聞いたという体験」に「自己満足」できるということだ。また、マザー・テレサの講演会も聞いた。そういう機会を逃さないことが重要だと思う。でもそういう「超大物」の場合は、クラシックでもポピュラーでも、あるいは講演会なんかでも「発見」はないことが多い。

 「生」を聞くことにすごく強い思い入れを持っていると、詰まらなかったり判らなかったりすると、ガッカリ度が高い。イチローも見に行ったけど、見たときに活躍するとは限らない。スポーツの場合はテレビの方が大きくて判りやすいかもしれない。そういうガッカリ体験も含めて、「ライブの面白さ」。何でも見たり聞いたりする好奇心が一番大事。ただ、演劇や落語は他に是非見て置いた方がいい理由がある。それは次回。
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10・6死刑廃止集会

2012年10月06日 23時39分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 10月6日(土)、東京・四谷区民ホールで、「響かせあおう 死刑廃止の声」という集会・今年のパネル・ディスカッションは「原発を考え、死刑を考える」。神田香織、山本太郎、安田好弘、白石草(しらいし・はじめ)
 
 この集会を紹介しておいたが、参加して非常に面白かった。これほど興味深い会も久しぶりだったかも。白石草さんが外国の電波事情を紹介して、諸外国では公共放送の電波回線を市民に開放した「市民チャンネル」がある、そういう国がたくさんあると言っていた。反原発デモをテレビが報じないというような問題意識だけではダメで、報道させればいいのではなく、「われらのチャンネル」を作り出すということが大事なのか。「市民運動」を始めたばかりの山本太郎さんの話も刺激的。原発事故により、日本国民は皆死刑囚の状態と言っていた。僕が前からよく言っているけど、問題は「国家を相対化する」ことではないかと思う。

 集会後半は、「死刑囚の表現」をめぐる公開選評会。連続企業爆破事件で死刑判決が確定した(再審請求中)大道寺将司さんの母、大道寺幸子さんが亡くなった時(2004年)、その残された基金で死刑囚の再審援助や文芸、絵画作品の募集が行われてきた。今年で第8回で、死刑廃止集会では獄中からの絵画(驚くべき才能を示す絵が多い)がよく展示されている。選考委員は、池田浩士(ドイツ文学者)、加賀乙彦(作家)、香山リカ(精神科医・評論家)、川村湊(文芸評論家)、北川フラム(アートディレクター)、坂上香(映像ジャーナリスト)、太田昌国(民族問題研究・編集者)。(順番、肩書はパンフによる。)この顔触れはすごい。坂上氏は欠席だったが、高齢の加賀さんも元気に発言していた。加賀乙彦氏は作家であるが、精神科医として東京拘置所で死刑囚の調査を行ったことでも知られている。死刑廃止集会で何回か話は聞いているが、この集会では欠席の年もあった。この顔触れはすごいとしか言いようがない。この選評会を聞けただけで貴重な体験だった。

 世界には死刑廃止国の方が圧倒的に多い。ほとんど中国とイランと北朝鮮と日本とインドなんかしか死刑を執行している国がなくなってきている韓国は事実上の廃止国モンゴルは正式な廃止国。そういう実情を思うにつけ、「死刑問題」を「ビッグ・イシュー」にする必要を感じる。僕は案外、「死刑廃止論者」が隠れキリシタンのごとく存在しているのではないかと思っているのだが。

 (以下は紹介時(10.2)に書いたまま。)
 6月4日に就任して10月1日に退任した滝実(まこと)法務大臣が、内閣改造で退任する直前の9月27日に死刑執行を行ったのには、驚いた。「虚を突かれた」と言ってもいい。鳩山邦夫元法相じゃあるまいし、8月3日に執行があったばかりなのに、翌月にまた死刑執行をするとは…。しかも、6月の改造で就任した羽田国交相や森本防衛相は再任されているのに、滝法相だけは高齢を理由に再任を自ら辞退したと新聞で報道されていた。これでは、「死刑執行にためにだけ数か月大臣にしてもらいました」という感じではないか。野田内閣が死刑を廃止する方針はないこと。去年は執行がなかったが、小川元法相が再開し、滝法相が続いた。今さら「民主党内閣での死刑執行」には驚かないが、退任を心に決めていたなら、後任に任せるというのが「僕の考える常識」である。

 滝前法相は、「国民は死刑廃止を求めていない」「死刑を廃止した国は、冤罪死刑などの事例がきっかけになっている」「再審にあたる理由がないかどうかは慎重に判断している」などということを発言したと思う。

 これが僕には納得できないのである。僕も「今すぐ日本で死刑を廃止する環境にない」という判断をしている。日本でさえそうなのだから、中国やイランで死刑が廃止される日は限りなく遠いだろう。僕が、あるいは死刑廃止運動が求めているのは、「死刑執行をとりあえず停止し、死刑の実態、世界の廃止状況などをじっくり調べて、国民的に議論すること」である。それなくして、裁判員制度で死刑を国民が判断する制度を作ってしまった日本政府の責務ではないのか。法務官僚は、日本が永遠に死刑を存置できると考えているのだろうか。世界の状況を知ってるだろうに。別に世界がどうなろうが知ったことではないというのでは困る。「世界で死刑廃止が主流になってきているのは、それなりに理由がある」「だからじっくり調べて議論しよう」。これがどうして実現できないのか。

 「再審の理由はない」というのもおかしい。死刑囚の確定死刑判決がなくなるのは、再審だけではない。再審の可否は裁判所が判断するが、もう一つ「恩赦」というものがあるではないか。これは「行政権」の権限である。こっちを検討するのが、まず法相の責務である。「死刑囚の恩赦」はしばらく行われていないから、みんな忘れているかもしれない。でも現憲法下で数件の前例がある。それぞれ特別の事情があった。再審請求(裁判が間違ってたからやり直せ)と恩赦請願(裁判は正しかったけど、何とぞ恩恵を)とは考え方で正反対である。だから原則的には、両方同時にはできない。(法で禁止されているわけではないが。)だから、恩赦を求めて却下されるとすぐ執行の可能性が高く、恩赦請願に踏み切れない死刑囚が多いと思われる。しかし、事件以来長い時間も経ち、恩赦を検討してもいい場合は相当多いのではないか。

 世界にも日本にも問題が多い。「日本は自由で豊かな国になったけれど、世界には戦争や飢餓に苦しむ子供たちや言論の自由がない国が今もある」と僕は昔思った。今も基本はそうだけど、でもそういう日本に「無実の死刑囚」が一杯いた。それを知って僕はビックリして、そのことを忘れずに日本という国を考えたいと思ってきた。確かに死刑囚の大部分は許されざる犯罪を犯した。でも、ノルウェーのように「最高刑が21年」という国が存在する。その違うところは何なのか。日本という「国のかたち」を考えるときに、「日本は死刑制度がある国」というのは、絶対に忘れてはいけないことだと思う。今、死刑について本格的に書く余裕はないけど、とりあえず集会の紹介とともに。
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追悼・大滝秀治

2012年10月05日 21時44分45秒 | 追悼
 劇団民芸の中心俳優として活躍し、映画やテレビでも人生の哀歓にじむ老人などの名脇役を演じた俳優で文化功労者の大滝秀治(おおたき・ひでじ)さんが2日午後3時17分、肺扁平(へんぺい)上皮がんで死去した。87歳だった。(朝日新聞)

 劇団民藝代表で、ホームページにお別れの会の情報が載っている。劇団民藝というのは、戦後に滝沢修宇野重吉が1950年に結成した劇団。大滝秀治は、1948年、今の民藝になる前の民衆芸術劇場時代の養成所第1期生になっている。奈良岡朋子が同期で、ともに代表を務めていた。

 僕は去年主演を務めた民藝公演「帰還」(坂手洋二作)を見ている。今年予定されていた「うしろ姿のしぐれていくか」も楽しみにしていたが、今見直すと4月20日付だが、以下のようなお知らせが民藝のホームページに載った。
 
 お詫びと配役変更のお知らせ 『うしろ姿のしぐれてゆくか』に出演を予定していた大滝秀治は、体調不良のため、残念ながら同舞台に出演できなくなりました。早い復帰をめざして休養することにいたします。ご期待くださった仲間の会のみなさまをはじめ観客の方々には申し訳ないことになりましたが、事情ご了解くださるようお願い申し上げます。 山頭火役は大滝に代わり、内藤安彦がつとめます。

 そして、高齢である故、もう現役俳優として見ることはできないのではないかと予感して悲しくなった。多忙だったから、「巨匠」「らくだ」などの近年の代表作というべき作品も見れなかった。残念だ。それでも最後の主演舞台作品「帰還」を見ておけたのは良かった。

 僕が大滝秀治の名を知ったのは、1970年代半ばの日本映画での大活躍。特に75年に「あにいもうと」(今井正監督)で、キネマ旬報助演男優賞などを取った。この後、日本映画の大作には大体出ている。民藝では長く恵まれず、舞台でも70年代頃から評価されている。1925年生まれで、若いときは俳優としてはパッとせず、45歳以後に年齢と合った老け役でようやく認められたわけである。まあ、滝沢修と宇野重吉がいたから、他の男優は入り込む余地がなかったのだろう。50代になってからの大活躍である。今の岸部一徳や笹部高史などのように、主だった映画を見れば大体大滝秀治が出ていた。

 と同時に、演劇や映画というより、多くの人が大滝秀治を覚えているのは、テレビ作品だろう。特に東芝日曜劇場の「うちのホンカン」シリーズ。「ホンカン」は本官で、倉本聰が北海道の駐在所の巡査を描く。「本官は…」が口癖なので、「うちのホンカン」。飄々とした味わいを基調としながら頑固な巡査像をうまく演じている。演技なんだか、地なんだかよく判らないような境地に達して初めて認められた役者だったと言えるかもしれない。他にもテレビ出演は多く、お茶の間でも知られた俳優だった。ただあまりに多くの作品に出ていて、映画の印象なども実はあまりない。今公開中の「あなたへ」は見てないので、僕には2010年の「春との旅」が最後になった。北海道の家から出て兄弟を訪ね歩く仲代達矢、弟の仲代を追い返す兄を巧みに演じていた。姉を淡島千景が演じていたが、二人とも亡くなってしまった。僕には映画や演劇の前に、テレビで飄々と演じていた初老の役柄が印象に近い。役者だから「あく」が全然ないわけではないが、滝沢修や宇野重吉などほどの「くせ」がなく、そういう戦後を作り上げてきた名優が去っていく中で、名優と言われる活躍をしたという時代都のめぐりあわせを僕は感じていた。
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「古典」を読もう-本を読むこと③

2012年10月04日 00時00分34秒 | 若い人へのメッセージ
 読書の勧め最終回。①②は前置きみたいなもので、本は楽しいとか役に立つ、若いときに読書の習慣をつけましょうという話。一番書きたいことは「古典」の話で、若いうちに「古典」を読んでおかなくてはいけない。ただし、「古典」の意味は時代とともに変わっていくし、今はやるべきことが多い。バイト、就活などで学生も忙しい。勉強にすぐ役立つ本や面白本は読んでもいいけど、すぐに意味がわからない「古典」は面倒だから読まなくてもいいか…。でも、若いときしか「古典」は読めない。本なんかいつでも読めると思うかもしれないが、通勤電車の中でドストエフスキーや旧約聖書を読むのは大変である。何か心に引っかかる出来事(仕事や育児・介護など)を抱えていたら、じっくり本を読めるものではない。定年後にゆっくり読もうかなどと思ってると、目が悪くなって読書意欲も薄れてしまったりする…。

 もちろん他人の下で命令されて生きていけばいいという人は「古典」を読む必要はない。でも自分なりに考えて仕事を作っていって、人間と接しながらリーダー的に働いて行きたいと思うなら、「古典」を読んでおくことは不可欠である。ただ仕事ができるだけでなく、なんだか奥に教養の深さが感じられる「人間力」を鍛えておくということである。氷山は水面上にある部分は少なくて、水面下の氷の方が何倍も大きい。人間の知識や感情も同じ。プロスポーツ選手が「見せない鍛錬」を積み重ねて初めて試合に臨めるように、「普通の人」でも人前で仕事する裏には多くの努力がある。知的な職業では、仕事にすぐ役立つ本ばかりではなく、今当たり前になっていることの始まりからきちんと知っておこうという姿勢が重要だ。(例えば、「民主主義」や「資本主義」の始まり。「第二次世界大戦」や「日本国憲法」の始まりなど。)

 以上は一般論である。では、何を読むべきか。そして読んで面白いのか、そもそも判るのか?いやあ、面白さが判らないのも、そもそも何だか全然判らないのも、たくさんあるのは事実である。だからじっくり準備がいる場合もあって、闇雲に読めばいいというものではない。「日本百名山」みたいな「世界百名著」があって、一つずつつぶしていけば賢くなれるということはない。例えば、近代を知るためにはヨーロッパ文明を知らないと。ヨーロッパを知るためには、ギリシャ文化とキリスト教。まずは、プラトン、アリストテレスと新旧聖書を読んでみよう…というような「さかのぼり」では「始まりから知る」とはいえ、難しくてすぐダウンするのは確実。気になるテーマがあったらまずは解説書や新書本を読んでみて、その本に出てくる(あるいは最後の参考書のところに出てくる)「古典」に挑戦してみるという方が絶対いい。

 今の話は哲学や宗教の話で、小説の場合はもう少し読みやすい。でも長くて大変な小説を突然読み始めても、投げ出してしまうのが落ちだ。読んでも読んでも面白くならない時はどうするか小説の場合は字だけ追って行って、ガマンして読み切る。でも哲学とか思想の本は仕方ないからギブアップする。そして面白エンタメ本で口直しする。でも判らないといっても、解説があれば判ったり、年齢が上がれば判ったりすることもある。一冊読んで判らなかったくらいで、決めつけるようなことは言わない方がいい。

 ところで「古典」とは何か?その分野で高く評価され、長い時間を経て認められていったものが「古典」である。時間の流れは早いから、ある意味では1980年代頃のものも「一種の古典」になっている。これは周囲の大人が大体知ってるので、若い人も知っておいた方がいいという意味。昔は文庫に多数入っていたけど、今はもうほとんどないという作家もいる。石坂洋次郎とか石川達三なんかだけど、「古典」にはなれなかったわけである。でもまた再評価される時が絶対ないとは言えない。またたくさん映画化されていることもあり、「戦後という時代を考える材料」という意味では間違いなく「一種の古典」である。こうして「古典」の意味はどんどん広がっていく

 それは音楽を考えてみれば判る。「古典」とは本来「クラシック」のことであるが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが「古典」かというと、今では「現代音楽」と言われたジョン・ケージなんかも「古典」。ジャズも「古典」と認められるようになり、ロックも今や「古典」だろう。ビートルズの「サージェント・ペッパー…」やビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」なんかは言うまでもなく、僕が当時同世代で聞いていたレッド・ツェッペリンやジャニス・ジョップリンなんかを知らないと、現代世界は考えられない。それどころか、フランスには「シャンソン」、イタリアには「カンツォーネ」があるくらいは知ってたけど、ブラジルでもジャマイカでも、アフリカ、西アジア、東南アジア…世界中で「古典」があるのだった。本の世界でも同様で、「純文学」だけではなく「大衆文学」も「古典」と認められ、マンガも「古典」になっている。これでは到底全部読むわけにはいかない。

 そういうことで「古典」は全部は読めない。読む必要もない。世の中には面白いことも多いし、実際に体験しないと判らないことも多いのに、何百年も前に書かれた本ばかり読んでるわけにはいかない。それでも「古典を読んでおいた方がいい」ということを知ってることが大切だと思う。そして「古典」は時代とともに変わる。親や教師が勧める本はもう古いことも多い。今の自分の興味関心に沿った「自分だけの古典」を見つけていくことも大事である。(私小説作家の西村賢太が「発見」した藤澤清造などという昔の作家がその例である。)今では「古典」となっているけど、同時代的には全然認められなかったスタンダールや宮沢賢治みたいな人もいる。どこで「自分の古典」が見つかるか、判らないと思う

 その上で、あえて必読とお勧めを挙げると
①「日本社会で生きて行く」という前提のうえで、日本の古典のいくつかは「必読」だと思う。
 源氏物語(現代語訳でいい)、平家物語(これは原文でも読める)、枕草子方丈記徒然草おくのほそ道
 大体このあたりか。万葉集や古事記もそうなのかも。西鶴や近松はまあ「全員必読」とは言えないだろう。そうだったら教科書や大学試験にもっと出てる。今挙げたあたりは、日本人の感情の骨格を作ってきたし、今でもたとえ話などに使われる。知ってることが前提になっている場合も多い。ただ「源氏」は長くて、問題意識がないと単なる貴公子の恋愛ものにしか見えないことがある。何かいい解説本を併読した方がいい。レディ・ムラサキはフロイトを読んでいたのか、フェミニストと言えるのかみたいな読み方をできる本で、とても千年前の本とは思えない。でも紛れもなく日本の平安時代の現実が踏まえられている。

ドストエフスキーの何か長いの一冊は。シェークスピアもどれか何冊かは。これは本格的に読むとすごく面白いと同時に、全然読んだ経験がないと語れない世界がある。「戦争と平和」や「失われた時を求めて」は「いやあ、長いからまだ読んでないんです」で通ると思うけど、ドストエフスキーを読むというのは単なる「読書好き」というのではなく、「思想的な問題を若いときに考えました」体験とも言えるので。

宗教的な本は難しい。教典ははっきり言って読みにくいので、無理して読まなくてもいいと思う。聖書やコーランを読むより、いい解説書を読めばいいと思う。信者なら別だけど。でも日本の葬式でよく使われるし、常識という意味で短い「般若心経」は読んでおいた方がいい。「歎異抄」(たんにしょう)も一種の「悩める青年の友」なので、必読に近い。でもここにある親鸞像は魅力的すぎて危険でもある。思想書としては読んでもいい。

④本格的な本は難しいけど、自伝なら読みやすい。「文明論之概略」でなくても「福翁自伝」を読めば福沢諭吉をかなり理解できる。(これは新聞記者の聞き書きだけど。)だから、思想家なんかはまず自伝や伝記を読んでみるというのもいいと思う。

⑤僕が好きな本。僕も読んでない本が多いけど。面白いもので言えば、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」。これはすごく面白いです。メルヴィルの「白鯨」もちゃんと読んだ人は少ないのではないかと思うけど、常識を超えた迫力だし、すごい本だと思う。最近の本ではガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。これはすごい小説ですね。僕は小説に偏っているので、思想関係では挙げることができない。日本の近代小説では島崎藤村「夜明け前」。これも長くて最後まで読んだ人は少ないと思うけど、すごい歴史小説である。戦後文学では挙げることもないだろう。まだ文庫本で手に入る本が、つまり読み継がれてきた本と言っていい。
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本を読むこと②-「エンタメ本」の勧め

2012年10月03日 00時53分57秒 | 若い人へのメッセージ
 「若い人向け」なんて明示してしまったからか、かえって全然読まれていない感じもするけど、とりあえず読書のすすめを書いてしまう。(続いて、映画、生を見ること、旅行なども続ける予定。)

 前回書いたように、僕は「本の最大の存在理由」は「知識の伝達」だと思ってる。でも、確かに知識を得るためだけだったら、読書はつまらなくなるだろう。前にいじめ問題で書いたように、「人間は楽しいことしか続かない」ので、「読書は楽しい」という経験を積んでないと、読書は続かない。他の人や次の世代に続けていくこともできない。だから僕は今まで生徒向けに「読書の勧め」を作ったこともある。(松江二中と六本木高校。)だけど、僕は娯楽という意味では、音楽鑑賞やテニスや手芸やガーデニングなんかと読書は等価だと思う。この4つはこの前書いた時にたまたま思いついただけで、僕の趣味でもなんでもないけど、自分が好きで他人に迷惑でない趣味なら、みな同じように意味があるもんだと思う。

 その中で読書はこれからも特権的な位置を占めることができるだろうか。僕の小さい頃は、映画を家で(ビデオやDVDで)見られるなんて、ありえない夢でしかなかった。音楽も高いレコードを買うしかなく、簡単にダウンロードしたり、持ち歩いて聞くということは考えられなかった。LPレコード(大きいレコード)は、まあお年玉を貰ったら年一回買えるもの、毎月のお小遣いではシングルレコード(ヒット曲が表裏に入ってる小さいレコード)を一枚買えるかどうか。そんな状況でどうやって音楽を聞いてたかというと、ラジオを聞いてせっせとリクエスト葉書を書いていたわけである。そんな時代では、どうしたって「本」の位置が今より大きいわけである。パソコン、ゲームなどが発達した現在とは全く違う。じゃあ、今では楽しみとしての読書は意味が少ないのか。どうもそうでもなさそうである。映像やインターネットが発達すると、本はいらなくなるようなことを言ってた人もいたけど、映画やテレビ、ゲームなんかの「元ネタ」、原作は本であることが多い。やはり、本があって、その二次利用があるということが今でも多い。(その逆もかなりあるけど。)言語による創造が先にあって、それを実体化(このドラマを映像で見てみたい、この本の中の風景を映像で見たい…)してみたいと思うことが今でも多いように思っている。

 さて、僕は「楽しみとしての読書」は3つのレベルに分けて考えている。①子供向け②男のたしなみ③ミステリー、である。「楽しみとしての読書」は、自分で得意の分野を作ってそれを深く掘っていくということが多い。鉄道ファンが全線乗車とか駅弁制覇を考えるように、ミステリが好きなら、アガサ・クリスティを全部読むとか、何か目標を作るわけである。趣味の世界なんだから、どうしてもそうなる。それがうっとうしいと思うと、趣味としては深くならないけど、でも本の世界が自分を支えてくれることは多い。面白本の見つけ方を心得ていると人生が豊かになるのは間違いない。

 ①「子供向け」というのは、絵本、児童文学や岩波ジュニア新書など、若い人向けの本。少し大人になって大学で専門勉強を始めたりすると、専門論文やらマルクス、ウェーバー、フロイトなどに無鉄砲に挑戦してしまい、「読書の楽しみ」を忘れてしまうことがある。でも、みんな親や学校に与えられた子供向けの本が読書の始まりだったはずである。男でも女でも、仕事や育児が忙しい時期は読書の時間がない。ないのは仕方ないけど、それでは自分の心が乾いてしまうと思う人もいる。そういう時は、児童文学がいい。とにかく絶対に判りやすい。スラスラ読める。「前衛的児童文学」なんてあるんだろうか。子どもが理解できなければ意味がないから、少なくとも難解な本はまずない。それと大事なことは、「自分の中の子どもの部分」を時々思い出してみる大切さである。

 もちろん今や児童文学のジャンルに入る本でも「古典」として皆が読んでいる本も多い。トールキン、C・S・ルイス、ル・グィンなんかの、つまり「指輪物語」「ナルニア国物語」「ゲド戦記」など。ミヒャエル・エンデの「モモ」「はてしない物語」なんかも必読ですよね。大体岩波少年文庫にあるので、児童文学のコーナーを見ることが大事。ケストナーの「飛ぶ教室」、サン・テグジュペリの「星の王子様」などは、第二次世界大戦前に大人向けの作家が書いた子供向けの作品。そこからサン・テグジュペリの「夜間飛行」「人間の土地」なんかに進んで行くといいと思う。日本でも、梨木香歩「西の魔女が死んだ」など現代の児童文学の中に「多くの人に勇気を与える」作品がたくさんある。最近は「ヤング・アダルト」というジャンルができていて、若い人は漱石、鴎外なんかはいいから、そういうのをまず読まないと。僕のお勧めは、森絵都「永遠の出口」佐川光晴「おれのおばさん」「おれの青空」である。それと僕の若い頃は非常に大きな影響力を持った、灰谷健次郎「兎の眼」「太陽の子」などは今の若い人が読むとどうなんだろうか。絵本も含めて、僕は若い頃は子ども時代に近いわけだし、日本や世界、社会や人間を理解するのに絶対役立つから、子供向けの本を心がけて読んで、次の世代に伝えていくべきだと思う。

 ②「男のたしなみ」としての読書。変な言い方だけど、司馬遼太郎や池波正太郎を読んで、池波さんの好きだったお店を知ってるというようなことである。これは30代を超えるころから、ゴルフや英会話なんかより大きな意味を持つかもしれない。何しろ企業のトップには歴史小説、時代小説や企業小説なんかが大好きな人が多い。これをバカにして読んでないと、話についていけない。でも司馬遼太郎しか読んでないと、頭が「司馬史観」で塗り込められてしまい、想像力がかえってしぼむ人がいる。素晴らしく面白い青春小説である「竜馬がいく」も、もう半世紀前の作品で、「高度成長時代の日本の精神史」の材料であって、明治維新の研究はもっと進んでいる。一番まずいのは、知らず知らず「下級武士史観」になってしまい、「脱藩志士」を気取るのはいいけど、農民や商工民、被差別民衆を忘れてしまう人が多いことだ。僕は藤沢周平をきちんと読むことを絶対条件として勧めたい。それと「企業小説」「経済小説」。今はそういう分野の小説がすごく多い。そして面白いのである。多くの小説では、男は大恋愛したり不倫したりしてるけど、実際は時間のほとんどは嫌でも仕事してるわけで、その仕事が小説に出てこない。そういう不満にこたえる経済小説の分野があって、これが読むとすごく面白いのである。まあ、不平たらたら、リストラされそうな主人公ではないけど。でもバリバリ仕事してたら、罠に落ちて左遷、会社の危機に立ち上がり…みたいな話は面白いし、社会勉強にもなる。僕は進路研究としても、高校や大学で使える企業小説、業界小説の登場を待ち望んでいる。大人の娯楽読書は、この分野が落とせない。若いときも業界研究の意味で、様々な小説を地域の図書館で探してみるといい。(学校の図書館にはほとんどないはずである。)

 ③ミステリー。若いときはSFも読んだけど、今は自分の娯楽本はほとんどこれ。それは今まで読んできたから、その分野の本は読みたい。でも宮部みゆきさんの新作とか、みな日本ミステリーは長くなり過ぎ。枕にしても高い、みたいなのはどうなのか。こういうのは「ジャンル小説」というわけだが、好きなジャンルを読めば、それなりに役立つ。ミステリーを読んでると、「全然犯人じゃないと思ってたら犯人だった」「全然犯人じゃないと思わせるように書いてるから、本当は犯人なんじゃないか」「全然犯人じゃないように書いてるから、犯人の可能性もないわけではないけど、たぶんこの書き方では犯人じゃないだろう」とか、いろいろ読んでるうちに「深読み技術」が発達してくる。これが学校のいじめ事件の真相を探るとか、会社の派閥抗争の行く末を占うとか、そんなときに自然に役立つのである。

 ミステリーも長くなって、有名なものは「古典」である。ダシール・ハメットの「マルタの鷹」(最近新訳あり)やチャンドラーの「ロング・グッドバイ」など。アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」などは、有名なトリックなので一度読んでおいた方がいい。実際敵だ敵だと思ってたドイツとソ連が手を結んだり、アメリカが中国に密使を派遣(1971年のキッシンジャー)したりすることが現実にある。世界はミステリーなので、ミステリー的世界観もある程度は有効である。(行き過ぎると、すべては誰かの陰謀だという思い込みになりやすいが。)僕の最近の超おススメは、スウェーデンの「ミレニアム」シリーズである。(ハヤカワ文庫で全6冊)。これはスウェーデンとアメリカで映画になった。(アメリカ映画はまだ第一作しか公開されてないけど。)この映画と見比べると、小説というのは情報量がいかに多いかがよく判る。本は第1部から第3部まで、それぞれ上下2冊ずつ。これは2時間では読めません。でもそれを映画では2時間でやってる。どこを削るか。設定を変えているところも。しかし、そういう小説の面白さの面ばかりでなく、スウェーデン社会の暗部の勇敢に挑戦していく自由な魂が感動的なのである。日本のミステリーも世界的に優れたものを生み出している。読んでる人も多いと思うけど、人名が覚えにくい外国ミステリーを敬遠する人は多いだろう。でも絶対面白いから挑戦を。ジェフリー・ディーヴァーの本なんて、厚くて嫌になるけど、読み始めたら止められない面白さ。日本のお勧めもあるけど、それは自分で探せばいい。これらは好きで読んでるので、別に読まなくてもいいとは思う。でも「ミレニアム」なんかは、マジメ本やテレビ、ゲーム、コミックなんかではまず得られない深い読後感が残ると僕は思う。
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