岩波新書8月刊の保立道久「歴史のなかの大地動乱」を読んだ。この本とともに、歴史学の雑誌「歴史評論」2012年10月号(校倉書房)を取り上げる。ここでの保立氏の議論は非常に重大である。この雑誌は専門的な学会誌なので、誰もが買う必要はないが。
「歴史評論」の「特集 原発震災・地震・津波-歴史学の課題」という特集号は、保立道久氏のブログ「保立道久の研究雑記」で知った。どの論文も必読で、「歴史学に関心のある人」は読んでおいた方がいいと思う。保立氏は「文理融合」を強く主張し、自分でも地震学の文献を大量に消化して書いている。理系の、特に地学関係の人は頑張って挑戦してみて欲しい。地震と原発についての知識を共有していくことは、理系、文系という枠を超えた、現代に生きる日本人全員に求められている。
以下の5つの論文が並ぶ。
(1)石橋克彦「史料地震学と原発震災」
(2)渡辺治「戦後史の中で大震災・原発事故と復旧・復興を考える」
(3)西村慎太郎「文書の保存を考える」
(4)荒木田岳「福島における原発震災後の報道」
(5)保立道久「平安時代末期の地震と龍神信仰」
石橋論文は地震学者として著名な石橋氏が、史料読解で並々ならぬ「歴史家」でもあることを示す。渡辺論文は「復旧・復興」が進まない原因を戦後史の中で明快に示している。特に「平成の大合併」で、広域行政となり地方公務員が大削減されていた事情が大きい。きめ細かい取り組みができないはずである。改めて宮城県の地図を眺めてみると、石巻市がやたらと大きく、牡鹿半島が全部石巻なのに、女川町だけが周り全部石巻に取り巻かれながら合併していない。言うまでもなく女川原発があるからで、せっかく補助金でやっていけるのに、他の町に原発の金を取られたくないのだろう。
保立論文は自ら「先日の『歴史評論』にだした論文は、堀田の『方丈記私記』くらいで感心していては歴史家の名がすたるという気持ちで書いた。」と語っている。作家の堀田善衛「方丈記私記」(ちくま文庫)である。この論文の重大性は、方丈記に描かれる1185年の大地震が日本海に津波を起こしたのではないかと推論していることだ。この年は東国では「鎌倉幕府の実質的成立=守護・地頭の設置」の年、つまり平家が壇ノ浦にほろんだ年である。京都では大地震で白河法皇の作った法勝寺九重塔が倒壊した。京都は地震が少ないイメージがあるが、1596年にも大地震が起こり豊臣秀吉が刀狩で集めた金属で作った方広寺の仏像が倒壊した。
京都周辺で数百年に一度大地震が起こるなら、それは近づいている可能性がある。保立氏は史料を丹念に検討しながら、その地震は太平洋のプレート地震ではなく、京都から日本海にかけての断層が動いて日本海側で津波が起こった可能性を示している。それを「方丈記」に読み込む。言うまでもなく、これは今唯一稼働している大飯原発を初め日本最多の原発密集地域である若狭湾で大津波が起こっていた可能性を指摘するものである。歴史学で史料を探るには古すぎるので、地震学、地学の方面からの研究が急を要する。この指摘は皆が知っておいた方がいいと思うので、紹介した。
「歴史のなかの大地動乱」は、東日本大震災で注目された貞観地震(869)を中心に平安時代の地震を追求した書である。(貞観地震という呼び方は避け、「陸奥海溝地震」と呼んでいる。)僕はこの本をよく理解できたという自信がないのだが、「はじめに」にあふれている危機感と情熱は多くの人に知って欲しい気がする。今までの歴史学を振り返り、地震への関心、もっと広く言えば自然災害への関心が薄かった。そのことを自省しつつ、「地震学が貞観津波の危険を明らかにしたにもかかわらず、大部分の歴史学者がそれを知らないなどと言う事態が、今後あってはならない。」「地震学における文理融合は、地震と火山の列島、日本のアカデミーにとって最大の試金石となるに違いない。」
(9世紀の地震)
僕も江戸時代の浅間山噴火と近代の関東大震災しか授業では触れていない。教科書にも出てこないし、貞観地震、仁和地震は知らなかった。この数十年は列島の地震活動が比較的温和な時期で、耐震建築技術も進んでいるから、壊滅的地震はそうは起こらない錯覚を持っていた。人間が同時代的感覚を持てるこの7,80年の間で、日本の民衆にとって最大の悲劇は戦争だったから、「戦争を再び起こさない」「戦争の真実を伝える」が歴史家の最大の任務だと思ってきた。
基本的には今もそれは変わらないが、列島に生きた人々は、地震、津波、火山噴火、台風などの被害を受けながら、日本の文化、日本の感性を作り上げてきた。そのことの重みを実感してこなかった。それは多分同時代の多くの日本人にも共通なのではないか。だからこそ、この地震列島に54基もの原子力発電所を建設してしまった。この本を読むと、人々は怨霊におびえながら暮らしていた。地震が起こるたびに天皇は恐怖に打ち震え、身の不徳を嘆いた。地震は王の徳がないことを示していた。貞観地震の時の清和天皇は、今まで幼少で位につき初の摂政が置かれたこと、清和源氏の祖になったことのみ知られていた。この本では「大地に呪われた天皇」として描かれている。
まるまる一つの章が、清和天皇と貞観地震に充てられている。その結果、驚くべし、祇園祭は東北の大地震の「お祓い」のために始められたと実証している。日本文化を考えるうえできわめて重要なことである。天災を祟りと考える時代の心を追って行って何になるかと思うかもしれない。しかし、巨大災害をどう理解するかを当時の人々が真剣に考えて、そうやって日本文化が作られていったのである。日本人の「古層」を探る書である。全体を異様な熱気が覆っていて、今年度屈指の問題作ではないか。ただ、歴史学プロパーの本なので、歴史学に詳しくない人にはチャレンジの本。保立氏は岩波新書「平安王朝」の興奮やNHKブックス「義経の登場」が面白かった。1948年生まれの東大史料編纂所教授。
「歴史評論」の「特集 原発震災・地震・津波-歴史学の課題」という特集号は、保立道久氏のブログ「保立道久の研究雑記」で知った。どの論文も必読で、「歴史学に関心のある人」は読んでおいた方がいいと思う。保立氏は「文理融合」を強く主張し、自分でも地震学の文献を大量に消化して書いている。理系の、特に地学関係の人は頑張って挑戦してみて欲しい。地震と原発についての知識を共有していくことは、理系、文系という枠を超えた、現代に生きる日本人全員に求められている。
以下の5つの論文が並ぶ。
(1)石橋克彦「史料地震学と原発震災」
(2)渡辺治「戦後史の中で大震災・原発事故と復旧・復興を考える」
(3)西村慎太郎「文書の保存を考える」
(4)荒木田岳「福島における原発震災後の報道」
(5)保立道久「平安時代末期の地震と龍神信仰」
石橋論文は地震学者として著名な石橋氏が、史料読解で並々ならぬ「歴史家」でもあることを示す。渡辺論文は「復旧・復興」が進まない原因を戦後史の中で明快に示している。特に「平成の大合併」で、広域行政となり地方公務員が大削減されていた事情が大きい。きめ細かい取り組みができないはずである。改めて宮城県の地図を眺めてみると、石巻市がやたらと大きく、牡鹿半島が全部石巻なのに、女川町だけが周り全部石巻に取り巻かれながら合併していない。言うまでもなく女川原発があるからで、せっかく補助金でやっていけるのに、他の町に原発の金を取られたくないのだろう。
保立論文は自ら「先日の『歴史評論』にだした論文は、堀田の『方丈記私記』くらいで感心していては歴史家の名がすたるという気持ちで書いた。」と語っている。作家の堀田善衛「方丈記私記」(ちくま文庫)である。この論文の重大性は、方丈記に描かれる1185年の大地震が日本海に津波を起こしたのではないかと推論していることだ。この年は東国では「鎌倉幕府の実質的成立=守護・地頭の設置」の年、つまり平家が壇ノ浦にほろんだ年である。京都では大地震で白河法皇の作った法勝寺九重塔が倒壊した。京都は地震が少ないイメージがあるが、1596年にも大地震が起こり豊臣秀吉が刀狩で集めた金属で作った方広寺の仏像が倒壊した。
京都周辺で数百年に一度大地震が起こるなら、それは近づいている可能性がある。保立氏は史料を丹念に検討しながら、その地震は太平洋のプレート地震ではなく、京都から日本海にかけての断層が動いて日本海側で津波が起こった可能性を示している。それを「方丈記」に読み込む。言うまでもなく、これは今唯一稼働している大飯原発を初め日本最多の原発密集地域である若狭湾で大津波が起こっていた可能性を指摘するものである。歴史学で史料を探るには古すぎるので、地震学、地学の方面からの研究が急を要する。この指摘は皆が知っておいた方がいいと思うので、紹介した。
「歴史のなかの大地動乱」は、東日本大震災で注目された貞観地震(869)を中心に平安時代の地震を追求した書である。(貞観地震という呼び方は避け、「陸奥海溝地震」と呼んでいる。)僕はこの本をよく理解できたという自信がないのだが、「はじめに」にあふれている危機感と情熱は多くの人に知って欲しい気がする。今までの歴史学を振り返り、地震への関心、もっと広く言えば自然災害への関心が薄かった。そのことを自省しつつ、「地震学が貞観津波の危険を明らかにしたにもかかわらず、大部分の歴史学者がそれを知らないなどと言う事態が、今後あってはならない。」「地震学における文理融合は、地震と火山の列島、日本のアカデミーにとって最大の試金石となるに違いない。」
(9世紀の地震)
僕も江戸時代の浅間山噴火と近代の関東大震災しか授業では触れていない。教科書にも出てこないし、貞観地震、仁和地震は知らなかった。この数十年は列島の地震活動が比較的温和な時期で、耐震建築技術も進んでいるから、壊滅的地震はそうは起こらない錯覚を持っていた。人間が同時代的感覚を持てるこの7,80年の間で、日本の民衆にとって最大の悲劇は戦争だったから、「戦争を再び起こさない」「戦争の真実を伝える」が歴史家の最大の任務だと思ってきた。
基本的には今もそれは変わらないが、列島に生きた人々は、地震、津波、火山噴火、台風などの被害を受けながら、日本の文化、日本の感性を作り上げてきた。そのことの重みを実感してこなかった。それは多分同時代の多くの日本人にも共通なのではないか。だからこそ、この地震列島に54基もの原子力発電所を建設してしまった。この本を読むと、人々は怨霊におびえながら暮らしていた。地震が起こるたびに天皇は恐怖に打ち震え、身の不徳を嘆いた。地震は王の徳がないことを示していた。貞観地震の時の清和天皇は、今まで幼少で位につき初の摂政が置かれたこと、清和源氏の祖になったことのみ知られていた。この本では「大地に呪われた天皇」として描かれている。
まるまる一つの章が、清和天皇と貞観地震に充てられている。その結果、驚くべし、祇園祭は東北の大地震の「お祓い」のために始められたと実証している。日本文化を考えるうえできわめて重要なことである。天災を祟りと考える時代の心を追って行って何になるかと思うかもしれない。しかし、巨大災害をどう理解するかを当時の人々が真剣に考えて、そうやって日本文化が作られていったのである。日本人の「古層」を探る書である。全体を異様な熱気が覆っていて、今年度屈指の問題作ではないか。ただ、歴史学プロパーの本なので、歴史学に詳しくない人にはチャレンジの本。保立氏は岩波新書「平安王朝」の興奮やNHKブックス「義経の登場」が面白かった。1948年生まれの東大史料編纂所教授。