今年1年がんばった自分へのご褒美…(なにを頑張ったかよくわからないけど、ともかくちゃんと生きたから) すこし早いクリスマスプレゼント。
日曜日、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演を聴きに行って来ました。 いつものようにちゃんとした感想など書けませんから、 思い出だけのこしておきます。
思えば、 2020東京。 あれはオリンピック関連の特別な企画だったのですね、、 ドゥダメル指揮のベルリン・フィル@新宿御苑での第九、 という本当に夢のようなコンサートを夢見て、 コロナ禍で夢と消えたあの日以降…
今年、キリル・ペトレンコさん指揮での来日公演があると知って、、秋の旅行予定をキャンセルする気でチケット争奪戦へ。。 ほんとに瞬殺の勢いでした、、 求めるのはもちろんP席、、ただひとつ取れたのが最終日だったのはラッキーでした。 できたらBプログラムも行きたいと思っていましたけれども、それは神さまの思し召し。。 一夜かぎりでも至福の時でした。
キリル・ペトレンコ指揮 11/26 (日) サントリーホール
モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201
ベルク:オーケストラのための3 つの小品 Op.6
ブラームス: 交響曲第4 番 ホ短調 Op.98
***
2020年、 コロナのロックダウン・自主隔離を経て大変な努力をして来てくださったウィーン・フィル、 その演奏を聴いた時の驚きは前のこのブログに残っていますが(>>)、
今回、とっても不思議だったのが、 ウィーン・フィルとベルリン・フィル、どちらも世界最高峰のオーケストラ。 だけど、その音色をはじめて耳にした時の感じ方がそれぞれまったく違っていたことがとても不思議でした。 さらに言えば、 小澤征爾さんが指揮されたドイツ・グラモフォン・ガラ・コンサート、 あの時のサイトウキネンの印象とも、、それぞれみんな異なっていて…
ウィーン・フィルは以前の感想にも書きましたが、まるで光が目の前ではじけるような印象。。 そしてサイトウキネンは、喩えて言うなら波。 音の波がコンマ何秒かの差で右へ左へ動くようなさざ波。 もちろん、楽曲もそれぞれ異なるので音色がちがうのは当然なのかもしれませんが…
今回、 ベルリン・フィルは…?
1曲目のモーツァルトが始まった時にやっぱり驚きました。。 なんだろう… 私が感じていたのは「霧」みたいなもの。。 音が奏でられる、というより、湧きあがってくる… 生まれてくる… なんだかおおきな塊になって、、だけどかたい物質的なものじゃなくて霧のように私を包み込む、、形を自由に変えて、、湧きあがって、、全身を包み込んだかと思えばふっと遠ざかる…
特に音の立ち上がりが今まで聴いたどの楽団さんとも全然ちがっていました。 立ち上がり、って書きましたけど 立ち上がりじゃないの、、 湧きあがる感じ。。 その場所の空気のなかに音楽が湧きあがる。。 ウィーン・フィルの時にも、楽器を聴いているのではなくて 魔法がつぎつぎにあらわれているみたい、と感じましたが、 あのときのきらめく魔法とはまた違って、 深いゆたかな霧につつまれた大きな森にいるみたいで…
ぜんぜん音楽の感想になっていませんけど、、それが正直な感想でした。
キリル・ペトレンコさんの指揮は初めて。。 要所をおさえて余り大きな振りはされない感じで、 実際には拝見したことないけれどティーレマンさんに似た感じ…?
ブラームス4番は 前に私の大好きなウルバンスキさん指揮の東響さんを聴いていて、 きっちり明確に指示をとばすウルバンスキさんとペトレンコさんでは 全く雰囲気は真逆みたいなのですが、意外とブラ4の表現には近いものがあるように私には感じられて… それも不思議でした。 緻密に細かく指示を出さなくても、 ペトレンコさんの指先やてのひらの微妙なニュアンスでこういう最高度の楽団員さんたちには伝わっているのかと… 素人の私にはそんなことも驚きで。。
特に弱音の抒情的な部分をゆっくりゆっくりと 繊細に聴かせて下さって、それがとても印象的でした。
低音弦の深み、、 金管隊の充足感、、 フルートさんのソロ、、 息をのんで聴き惚れていましたが、、 やっぱり思うのは全体から湧きあがってくる一体となった音楽の 霧のような深み、、柔らかいのに圧倒される重み、、
ベルリン・フィルは 壮麗な「霧」でした。
日曜日、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演を聴きに行って来ました。 いつものようにちゃんとした感想など書けませんから、 思い出だけのこしておきます。
思えば、 2020東京。 あれはオリンピック関連の特別な企画だったのですね、、 ドゥダメル指揮のベルリン・フィル@新宿御苑での第九、 という本当に夢のようなコンサートを夢見て、 コロナ禍で夢と消えたあの日以降…
今年、キリル・ペトレンコさん指揮での来日公演があると知って、、秋の旅行予定をキャンセルする気でチケット争奪戦へ。。 ほんとに瞬殺の勢いでした、、 求めるのはもちろんP席、、ただひとつ取れたのが最終日だったのはラッキーでした。 できたらBプログラムも行きたいと思っていましたけれども、それは神さまの思し召し。。 一夜かぎりでも至福の時でした。
キリル・ペトレンコ指揮 11/26 (日) サントリーホール
モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201
ベルク:オーケストラのための3 つの小品 Op.6
ブラームス: 交響曲第4 番 ホ短調 Op.98
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2020年、 コロナのロックダウン・自主隔離を経て大変な努力をして来てくださったウィーン・フィル、 その演奏を聴いた時の驚きは前のこのブログに残っていますが(>>)、
今回、とっても不思議だったのが、 ウィーン・フィルとベルリン・フィル、どちらも世界最高峰のオーケストラ。 だけど、その音色をはじめて耳にした時の感じ方がそれぞれまったく違っていたことがとても不思議でした。 さらに言えば、 小澤征爾さんが指揮されたドイツ・グラモフォン・ガラ・コンサート、 あの時のサイトウキネンの印象とも、、それぞれみんな異なっていて…
ウィーン・フィルは以前の感想にも書きましたが、まるで光が目の前ではじけるような印象。。 そしてサイトウキネンは、喩えて言うなら波。 音の波がコンマ何秒かの差で右へ左へ動くようなさざ波。 もちろん、楽曲もそれぞれ異なるので音色がちがうのは当然なのかもしれませんが…
今回、 ベルリン・フィルは…?
1曲目のモーツァルトが始まった時にやっぱり驚きました。。 なんだろう… 私が感じていたのは「霧」みたいなもの。。 音が奏でられる、というより、湧きあがってくる… 生まれてくる… なんだかおおきな塊になって、、だけどかたい物質的なものじゃなくて霧のように私を包み込む、、形を自由に変えて、、湧きあがって、、全身を包み込んだかと思えばふっと遠ざかる…
特に音の立ち上がりが今まで聴いたどの楽団さんとも全然ちがっていました。 立ち上がり、って書きましたけど 立ち上がりじゃないの、、 湧きあがる感じ。。 その場所の空気のなかに音楽が湧きあがる。。 ウィーン・フィルの時にも、楽器を聴いているのではなくて 魔法がつぎつぎにあらわれているみたい、と感じましたが、 あのときのきらめく魔法とはまた違って、 深いゆたかな霧につつまれた大きな森にいるみたいで…
ぜんぜん音楽の感想になっていませんけど、、それが正直な感想でした。
キリル・ペトレンコさんの指揮は初めて。。 要所をおさえて余り大きな振りはされない感じで、 実際には拝見したことないけれどティーレマンさんに似た感じ…?
ブラームス4番は 前に私の大好きなウルバンスキさん指揮の東響さんを聴いていて、 きっちり明確に指示をとばすウルバンスキさんとペトレンコさんでは 全く雰囲気は真逆みたいなのですが、意外とブラ4の表現には近いものがあるように私には感じられて… それも不思議でした。 緻密に細かく指示を出さなくても、 ペトレンコさんの指先やてのひらの微妙なニュアンスでこういう最高度の楽団員さんたちには伝わっているのかと… 素人の私にはそんなことも驚きで。。
特に弱音の抒情的な部分をゆっくりゆっくりと 繊細に聴かせて下さって、それがとても印象的でした。
低音弦の深み、、 金管隊の充足感、、 フルートさんのソロ、、 息をのんで聴き惚れていましたが、、 やっぱり思うのは全体から湧きあがってくる一体となった音楽の 霧のような深み、、柔らかいのに圧倒される重み、、
ベルリン・フィルは 壮麗な「霧」でした。