** 10/14 記 **
昨日は先週につづいて クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回を聴きに行ってまいりました。
感想はまた前回とまとめてあらためて書こうと思いますが、 取り急ぎ 思いつくことだけ書き留めておきましょう… (いつものようにクラシック素人の感想です)
ウルバンスキさんの振るショスタコーヴィチは 2019年の東響さんとの4番を聴いていますが、 あの春の日のサントリーホールからの帰り道の、 緊張の余韻がずっと残ったままの 心臓のどきどきが治まらない苦しいような心地良さを今でも思い出します。
昨日のミューザからの帰り道では、 (あぁ ウルバンスキ氏が振るこの6番を、 5番でも10番でもなく6番を 東響さんとの演奏で聴けたのは本当に良かったな…)と とても貴重な演奏を聴くことが出来た感慨でいっぱいでした。
来期、 東響さんのラインナップにウルバンスキ氏がいなかったのは 多忙になる氏のことだからと納得していたのですが、 まさか都響で振ることになっているとはとてもびっくりしました。 都響で振ることになるのは5番。 この意味については今感じていることがやがて明らかになるのでしょう… 来年の5月、、 あっという間です。。 聴くことができると良いのですけれど…
***
前半のラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 たしかこの春のニコ響さんでも同曲を視聴させていただきました。 あの時の演奏も素晴らしかったですが、 またあの時とは全く異なる情感の2番でした。
デヤン・ラツィックさんの粘りやうねりのある変幻さを持ったピアノ、 (同行の友人がプログレファンだったこともあり わかる人にしかわからない喩えなんですが) ピアノ界のエイドリアン・ブリュー♪という表現に大きく頷いでしまった私。。 ウルバンスキさんとのコンタクトも的確、、(ウル氏もプログレファンみたいですし…)
前半、後半とも 東響さんのオケの各パートさんには感動しきりでした。 通して感じていたのは 東ヨーロッパの音色、、 ロシアでもない 西側ヨーロッパでもない、、 東欧の音色。 震えるような 揺らぐようなフルートさんの不安を誘う音色や、 憂いをおびた木管陣の音色や、、
いつもながら見事なティンパニさんの音色が ピアノの打音(⁉)になっていたことも衝撃的な感動でした。
そして微細に 幽かに 消え入る寸前でふるえつづける弦の哀しさや、、
ウルバンスキ氏に導かれた東響さんの名演と ラツィックさんとの競演で、 今回の2曲が聴けたことは またずっとずっと忘れないでしょう。。
20日(日)までニコ響さんで視聴できることも嬉しいかぎりです。 また感動を再確認したいと思います。
三連休最終日、 どうぞよい休日を…
** 10/16 追記 **
東京交響楽団 名曲全集第200回 10月5日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
コネッソン:輝く者-ピアノと管弦楽のための
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
ピアノ:小林愛実
アンコール:シューマン 子供の情景より「詩人のお話」
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
小林愛実さんのピアノを生で聴くのは初めて。。 ショパンのしっとりと聞かせる印象が強かったので、 今回のような緩急の変化の激しい曲を聴くのは楽しみでした。 私はピアノの技術のことは何もわかりませんが、 愛実さんが沢山のリサイタルやオケとの共演を続けられる中で、 このコネッソンの激しい曲とラヴェルの2曲というのはなかなかチャレンジングな曲目だったのではないでしょうか…
ラヴェルはやはり、 愛実さんの奏でる第二楽章の ゆったりとした実に叙情的な部分がいちばん愛実さんのピアノには合っている気がして、、 また、第二楽章の表現力があまりに際立っていて、 第一、第三楽章では時にジャズのように大きく揺れ動くピアノとオケとのタイム感が 少し合っていない感じが多々あって、 ウルバンスキさんもタイミングを合わせようとしていた様子が感じられました…
アンコールのシューマンの抒情性は愛実さんの真骨頂のように思えました。
ところで、 (帰宅後)パンフレットを読んで知ったのですが、 この曲はラヴェルの母方のルーツであるスペイン、バスク地方の音楽を取り入れているということで、、あぁ なるほど、 冒頭のムチの一擲から始まる疾走感とか、 あの異国風の雰囲気はバスク、から来ているのですね。。(個人的に はつい先日、バスクの作家さんの読書記を書いたばかりだったので、 バスク繋がり! と嬉しくなりました。
後半の「展覧会の絵」
、、この夏 あぁ次回はミューザでこれを聴くのね、と思っていた頃、 ウクライナとロシアの間で越境攻撃が始まり、 プーチンが核をも辞さない などと言い始めたこともあり、 (これを聴く頃、キーウが破壊されてしまっていたらどうしよう…)と考えたりしていました。 今期のプログラムが発表された当初には、 (これが演奏される頃、もう戦争は終わっていたらいいな…)とも思いましたし、、
この日、 出掛ける前には 最晩年のマルケヴィチがN響さんを振る演奏を見ていました。 キレッキレの「展覧会の絵」、、 あの緊張感のある荘厳な演奏もとても好きなのですが、 たぶんウルバンスキさんは全く違う感じでなさるのでは…? とも思っていました。
想像通り、 というか 想像していなかったほど 人間味のある、いろいろな絵をウルバンスキさんは見せてくださいました。 この曲が 友人の画家ハルトマンが見た旅先の風景であるということ、 その画家はすでに故人となっていて、「展覧会の絵」はじつは「遺作展の絵」なのだということ、、 今まで解説のなかでだけ理解していた事を、 初めて音としてありありと感じ取ることが出来ました。
冒頭のファンファーレのようなプロムナード。 思い切りの良いトランペットの響きは、 今は亡き友人の回顧展がとうとう開かれる、 そこへやって来たよ!という感動と高揚感なのだと気づきましたし、、
イタリアの古城のおごそかな佇まいや、 公園で遊ぶ子供たちの姿、、 市場の喧騒、、 東響さんの各パートさんの丁寧な演奏によって ほんとうに絵がうかぶ感じがしました。
そして、 バーバ・ヤーガからキエフの大門にかけて、、 非常にゆっくりと想いを溜めるように、 それから いきなり大音響になるのではなくて 何度も 何度も こみ上げてくるように音楽が湧き上がってくる演奏には こちらも感慨がこみあげて来るようで涙が出そうでした。
今回、 ウルバンスキさんの「展覧会の絵」を聴いて、 これが亡き友をしのぶ「回顧展」を歩いている、という意味を実感として音の中にしっかりと感じられましたし、 それと同時に現在のかの地を思い、 かの地への「祈り」のような意味もあるようだと、 最後にステージの左右から鳴り響く鐘の音を聴きながら 感じていました。 素晴らしい演奏でした。
定期演奏会について つづきはまた、、
::** 10/18 追記 **
東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回 10月13日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
ピアノ:デヤン・ラツィック
アンコール:ショスタコーヴィチ 3つの幻想的舞曲より2.Andantino.
ショスタコーヴィチ:交響曲 第6番 ロ短調 op.54
クロアチア出身のデヤン・ラツィックさんが弾く、 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 大好きな曲ですし とにかく沢山の名ピアニストさん達が演奏される曲。 弾くのがとても難しい曲、と言われていますが…
今回聴いた第2番は ピアノばかりでなく音楽としての美しさを強く強く感じました。 なにか壮大な映画の名場面が迫って来るような…。 そんな大雑把は言い方ではうまく表せませんが、テンポは極めてゆっくりと、 微細な音も、超速弾きの部分もあくまでメロディの美しさを確かめるように、、
この楽曲の、どこか異国風の(ロシア的でない)旋律、、 オーケストラ全体の演奏と共に、 古代ローマとか、むしろ西アジアを想わせるような(?)情景をともなって美しく脳裡に広がってくるようで、、 自分でもとにかく不思議でした。 あとでラフマニノフ自身が弾いたこの曲も聴いてみたのですが、、コロコロキラキラとめくるめく速さで奏でられるピアノの音を追うことに耳が傾いて、、(思い込みかどうかはわかりませんが) 眼を閉じるとちゃんとサンクトペテルブルクの冬のような光景が感じられる… とっても不思議。。(小さい頃からレコードを聴くと風景を感じてしまうのは自分でも何故だかよくわからないけど…)
ラツィックさんのピアノは 大きく溜めが入ったりして、 ウルバンスキさんが身体を斜め後ろに傾けてピアノを窺っている様子が何度もありましたが、 それが不安定なリズムの揺らぎではなくて、 なんと言うんだろ… 音楽的な揺らぎで 聴いていても不安定さは全然なくて…
この曲をラツィックさんは、 2008年にキリル・ペトレンコさんの指揮でライブCD録音をされていて、 そちらの方も聴いてみました。 こちらも素晴らしく情感豊かな演奏で、 最終楽章、ペトレンコさんがオケをぐいぐい引っ張って行くのに対して、ラツィックさんの溜めのピアノが少し遅れてついていく感じも、これもまた味がありました。
聴き直すと、 ウルバンスキさんとの演奏の方が、 さらにさらに溜めが入っていて、 年を重ねた分のラツィックさんの思いが加わっているみたいで面白く感じました♪
(ちなみに、 ペトレンコさんとの演奏では、 第一楽章後のアタッカはありませんでした。 ウルバンスキさんが指揮棒を上げたまま、 弦か幽かに鳴り続けて 同じ音の第二楽章へ入っていく、、あれはとても素敵だと思いました)
演奏後、 大満足の表情でウルバンスキさんとガシっと抱擁したラツィックさん。 退場後 拍手に応えてステージに現れた時には、 ピアノの椅子をガーっと音を立ててどかして、ウルバンスキさんと並ぶスペースを作るあたり、、なんか勇ましくてエネルギッシュでした(笑)
2009年に王子ホールでリサイタルされた時のインタビューがあって(王子ホール>>) ウルバンスキさんとの意外な共通点を発見しました、 《サッカー》です。 オーケストラとサッカーってもしかしたら共通点あるのかも…。。 ハーフタイムはさんで45分+45分、集中力を保ち続けるところとか、 演奏者相互間のパス回しとかアシストとか、。 ウルバンスキさんもラツィックさんも、とても運動能力の高い音楽家さんだと感じましたし、、 なんだか妙に納得してしまいました。
youtubeにはデヤン・ラツィックさんのチャンネルもあって、、 モーツァルトやブラームスや本当に多彩な曲を演奏されるのですね。 ラヴェルのピアコンもあって、、 あとで観てみよう~ ♪
後半のショスタコーヴィチ:交響曲 第6番
初めて6番を聴いた時(他の指揮者さんで)、、 言葉が悪くてスミマセンなのですが、、 なんだかヤケくそみたいな曲だなと思って…。
暗鬱な、とても不安定な感じのする長い長い第一楽章から、 性急な第二楽章になって、 第三楽章はもうヤケくそみたいに終わる、、 どうしてこんな構成なんだろう…と。。 ショスタコーヴィチ自身の説明では 「春、喜び・・・」などと書かれているけれど全然そんな感じはしない…。 明るい高音かと思えば マイナーな低音へどーっと下がるし、、。 ウィキとかに書かれているベートーヴェンの6番「田園」のショスタコ版、、みたいなことは私は全然そう思えなくて、、
ウルバンスキさんも始まりからずっと厳しい表情で指揮をしておられました。 第一楽章の不安をさそうような、心の震えのような フルートさんやピッコロさんの音色、、 配信で聴くとそんなに強く感じられませんが、 ホールの静けさの中ではとても緊張感のある、 憂愁を感じる第一楽章でした。 高まっていく弦の哀しい響きは なんだかバーバーの弦楽のためのアダージョみたいで… そこへ打楽器の砲撃みたいな打音が降って来て…
この曲が書かれたのは1939年。
1982年ポーランド生まれのウルバンスキさんにとって、その時代的な意味は欠かせないのでは… とあくまで私の推測なのですけれど…。 1939年のポーランド侵攻によって第二次大戦が始まる、、 ショスタコーヴィチにとっては、この後 あの3年にもおよぶレニングラード包囲戦へと繋がっていく… ソ連にとっても、ポーランドにとっても《地獄の始まり》、、 その時代的な意味と、現代のロシアと東欧をめぐる状況を重ね合わせないわけにはいきません…
ちょっと話は逸れますが、 村上龍さんの『海の向こうで戦争が始まる』という1977年の小説がありますが、 このショスタコーヴィチの6番の特に第二、第三楽章を聴くと、あの小説が思い出されるのです。。 海の向こうで戦争が起こっているのにこちらの浜辺では何事もなく、男女が幻影を見るように戦争を眺めている、、 現在でも、どこかで戦争が起こっていても少し離れた町では人々が賑やかに買い物をし、行楽をし、日常を送っている… どうすることも出来ない隔たりのようなもの…
この曲の第二、第三楽章へと高まっていく混沌、 カオス状態を聴くと、どうにもできない人間の右往左往にも聞こえます。 やっぱり〈春〉とか〈喜び〉なんて情感はまったく感じられなかったです。。 会場ではラスト、 わりとすぐにブラボーの声が起こったのですが、 私は固まったまま すぐには拍手も出来なかったなぁ… そういう緊張状態のかた、結構いらしたと思います。
.
演奏後は 絶賛の拍手が響いて 楽団員さんを称えるウルバンスキさんも笑顔、 指揮者を称える楽団員さんも足を踏み鳴らす大きな音、、 このひとときが大好きです。
ひとつになって音楽を創り出そうとする皆さんに拍手を送れる喜び。。 コンサートホールへ足を運べる幸せ。。 それが出来るという状況を、しみじみと有難く思い、 その気持ちは年々高まっていきます。。 平和で、、そして災害の無い日々を…
***
来年、 都響でウルバンスキさんがショスタコーヴィチ5番と共に指揮する ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」、、 この作曲家のことを知らなかったので検索をしたら…
クシシュトフ・ペンデレツキはポーランドの作曲家で、 2013年に ペンデレツキの80歳を祝したコンサートが開かれ、 シャルル・デュトワさんやワレリー・ゲルギエフさんといった大指揮者と共に、 当時31歳だったウルバンスキさんが「 広島の犠牲者に捧げる哀歌」を指揮していらしたのですね。。 アンネ=ゾフィー・ムターさんのヴァイオリンの指揮もされている…
解説が載っていたので HMVのサイトにリンクしておきます>>『ペンデレツキへの捧げもの~80歳記念コンサート』
ゲルギエフさんも大好きな指揮者だったのに・・・
ひとりの指導者が世界を 音楽家を 変えてしまう… 嫌なことですね…
それにしても、 この2013年からウルバンスキさんを首席客演指揮者に迎えた東京交響楽団さんの慧眼は素晴らしいです。 来年は東響さんとは演奏されないけれど、、 また必ず東響さんを振って欲しいな… ウルバンスキさん。
充実した2週間をありがとうございました。
昨日は先週につづいて クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回を聴きに行ってまいりました。
感想はまた前回とまとめてあらためて書こうと思いますが、 取り急ぎ 思いつくことだけ書き留めておきましょう… (いつものようにクラシック素人の感想です)
ウルバンスキさんの振るショスタコーヴィチは 2019年の東響さんとの4番を聴いていますが、 あの春の日のサントリーホールからの帰り道の、 緊張の余韻がずっと残ったままの 心臓のどきどきが治まらない苦しいような心地良さを今でも思い出します。
昨日のミューザからの帰り道では、 (あぁ ウルバンスキ氏が振るこの6番を、 5番でも10番でもなく6番を 東響さんとの演奏で聴けたのは本当に良かったな…)と とても貴重な演奏を聴くことが出来た感慨でいっぱいでした。
来期、 東響さんのラインナップにウルバンスキ氏がいなかったのは 多忙になる氏のことだからと納得していたのですが、 まさか都響で振ることになっているとはとてもびっくりしました。 都響で振ることになるのは5番。 この意味については今感じていることがやがて明らかになるのでしょう… 来年の5月、、 あっという間です。。 聴くことができると良いのですけれど…
***
前半のラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 たしかこの春のニコ響さんでも同曲を視聴させていただきました。 あの時の演奏も素晴らしかったですが、 またあの時とは全く異なる情感の2番でした。
デヤン・ラツィックさんの粘りやうねりのある変幻さを持ったピアノ、 (同行の友人がプログレファンだったこともあり わかる人にしかわからない喩えなんですが) ピアノ界のエイドリアン・ブリュー♪という表現に大きく頷いでしまった私。。 ウルバンスキさんとのコンタクトも的確、、(ウル氏もプログレファンみたいですし…)
前半、後半とも 東響さんのオケの各パートさんには感動しきりでした。 通して感じていたのは 東ヨーロッパの音色、、 ロシアでもない 西側ヨーロッパでもない、、 東欧の音色。 震えるような 揺らぐようなフルートさんの不安を誘う音色や、 憂いをおびた木管陣の音色や、、
いつもながら見事なティンパニさんの音色が ピアノの打音(⁉)になっていたことも衝撃的な感動でした。
そして微細に 幽かに 消え入る寸前でふるえつづける弦の哀しさや、、
ウルバンスキ氏に導かれた東響さんの名演と ラツィックさんとの競演で、 今回の2曲が聴けたことは またずっとずっと忘れないでしょう。。
20日(日)までニコ響さんで視聴できることも嬉しいかぎりです。 また感動を再確認したいと思います。
三連休最終日、 どうぞよい休日を…
** 10/16 追記 **
東京交響楽団 名曲全集第200回 10月5日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
コネッソン:輝く者-ピアノと管弦楽のための
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
ピアノ:小林愛実
アンコール:シューマン 子供の情景より「詩人のお話」
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
小林愛実さんのピアノを生で聴くのは初めて。。 ショパンのしっとりと聞かせる印象が強かったので、 今回のような緩急の変化の激しい曲を聴くのは楽しみでした。 私はピアノの技術のことは何もわかりませんが、 愛実さんが沢山のリサイタルやオケとの共演を続けられる中で、 このコネッソンの激しい曲とラヴェルの2曲というのはなかなかチャレンジングな曲目だったのではないでしょうか…
ラヴェルはやはり、 愛実さんの奏でる第二楽章の ゆったりとした実に叙情的な部分がいちばん愛実さんのピアノには合っている気がして、、 また、第二楽章の表現力があまりに際立っていて、 第一、第三楽章では時にジャズのように大きく揺れ動くピアノとオケとのタイム感が 少し合っていない感じが多々あって、 ウルバンスキさんもタイミングを合わせようとしていた様子が感じられました…
アンコールのシューマンの抒情性は愛実さんの真骨頂のように思えました。
ところで、 (帰宅後)パンフレットを読んで知ったのですが、 この曲はラヴェルの母方のルーツであるスペイン、バスク地方の音楽を取り入れているということで、、あぁ なるほど、 冒頭のムチの一擲から始まる疾走感とか、 あの異国風の雰囲気はバスク、から来ているのですね。。(個人的に はつい先日、バスクの作家さんの読書記を書いたばかりだったので、 バスク繋がり! と嬉しくなりました。
後半の「展覧会の絵」
、、この夏 あぁ次回はミューザでこれを聴くのね、と思っていた頃、 ウクライナとロシアの間で越境攻撃が始まり、 プーチンが核をも辞さない などと言い始めたこともあり、 (これを聴く頃、キーウが破壊されてしまっていたらどうしよう…)と考えたりしていました。 今期のプログラムが発表された当初には、 (これが演奏される頃、もう戦争は終わっていたらいいな…)とも思いましたし、、
この日、 出掛ける前には 最晩年のマルケヴィチがN響さんを振る演奏を見ていました。 キレッキレの「展覧会の絵」、、 あの緊張感のある荘厳な演奏もとても好きなのですが、 たぶんウルバンスキさんは全く違う感じでなさるのでは…? とも思っていました。
想像通り、 というか 想像していなかったほど 人間味のある、いろいろな絵をウルバンスキさんは見せてくださいました。 この曲が 友人の画家ハルトマンが見た旅先の風景であるということ、 その画家はすでに故人となっていて、「展覧会の絵」はじつは「遺作展の絵」なのだということ、、 今まで解説のなかでだけ理解していた事を、 初めて音としてありありと感じ取ることが出来ました。
冒頭のファンファーレのようなプロムナード。 思い切りの良いトランペットの響きは、 今は亡き友人の回顧展がとうとう開かれる、 そこへやって来たよ!という感動と高揚感なのだと気づきましたし、、
イタリアの古城のおごそかな佇まいや、 公園で遊ぶ子供たちの姿、、 市場の喧騒、、 東響さんの各パートさんの丁寧な演奏によって ほんとうに絵がうかぶ感じがしました。
そして、 バーバ・ヤーガからキエフの大門にかけて、、 非常にゆっくりと想いを溜めるように、 それから いきなり大音響になるのではなくて 何度も 何度も こみ上げてくるように音楽が湧き上がってくる演奏には こちらも感慨がこみあげて来るようで涙が出そうでした。
今回、 ウルバンスキさんの「展覧会の絵」を聴いて、 これが亡き友をしのぶ「回顧展」を歩いている、という意味を実感として音の中にしっかりと感じられましたし、 それと同時に現在のかの地を思い、 かの地への「祈り」のような意味もあるようだと、 最後にステージの左右から鳴り響く鐘の音を聴きながら 感じていました。 素晴らしい演奏でした。
定期演奏会について つづきはまた、、
::** 10/18 追記 **
東京交響楽団 川崎定期演奏会第97回 10月13日
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18
ピアノ:デヤン・ラツィック
アンコール:ショスタコーヴィチ 3つの幻想的舞曲より2.Andantino.
ショスタコーヴィチ:交響曲 第6番 ロ短調 op.54
クロアチア出身のデヤン・ラツィックさんが弾く、 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。 大好きな曲ですし とにかく沢山の名ピアニストさん達が演奏される曲。 弾くのがとても難しい曲、と言われていますが…
今回聴いた第2番は ピアノばかりでなく音楽としての美しさを強く強く感じました。 なにか壮大な映画の名場面が迫って来るような…。 そんな大雑把は言い方ではうまく表せませんが、テンポは極めてゆっくりと、 微細な音も、超速弾きの部分もあくまでメロディの美しさを確かめるように、、
この楽曲の、どこか異国風の(ロシア的でない)旋律、、 オーケストラ全体の演奏と共に、 古代ローマとか、むしろ西アジアを想わせるような(?)情景をともなって美しく脳裡に広がってくるようで、、 自分でもとにかく不思議でした。 あとでラフマニノフ自身が弾いたこの曲も聴いてみたのですが、、コロコロキラキラとめくるめく速さで奏でられるピアノの音を追うことに耳が傾いて、、(思い込みかどうかはわかりませんが) 眼を閉じるとちゃんとサンクトペテルブルクの冬のような光景が感じられる… とっても不思議。。(小さい頃からレコードを聴くと風景を感じてしまうのは自分でも何故だかよくわからないけど…)
ラツィックさんのピアノは 大きく溜めが入ったりして、 ウルバンスキさんが身体を斜め後ろに傾けてピアノを窺っている様子が何度もありましたが、 それが不安定なリズムの揺らぎではなくて、 なんと言うんだろ… 音楽的な揺らぎで 聴いていても不安定さは全然なくて…
この曲をラツィックさんは、 2008年にキリル・ペトレンコさんの指揮でライブCD録音をされていて、 そちらの方も聴いてみました。 こちらも素晴らしく情感豊かな演奏で、 最終楽章、ペトレンコさんがオケをぐいぐい引っ張って行くのに対して、ラツィックさんの溜めのピアノが少し遅れてついていく感じも、これもまた味がありました。
聴き直すと、 ウルバンスキさんとの演奏の方が、 さらにさらに溜めが入っていて、 年を重ねた分のラツィックさんの思いが加わっているみたいで面白く感じました♪
(ちなみに、 ペトレンコさんとの演奏では、 第一楽章後のアタッカはありませんでした。 ウルバンスキさんが指揮棒を上げたまま、 弦か幽かに鳴り続けて 同じ音の第二楽章へ入っていく、、あれはとても素敵だと思いました)
演奏後、 大満足の表情でウルバンスキさんとガシっと抱擁したラツィックさん。 退場後 拍手に応えてステージに現れた時には、 ピアノの椅子をガーっと音を立ててどかして、ウルバンスキさんと並ぶスペースを作るあたり、、なんか勇ましくてエネルギッシュでした(笑)
2009年に王子ホールでリサイタルされた時のインタビューがあって(王子ホール>>) ウルバンスキさんとの意外な共通点を発見しました、 《サッカー》です。 オーケストラとサッカーってもしかしたら共通点あるのかも…。。 ハーフタイムはさんで45分+45分、集中力を保ち続けるところとか、 演奏者相互間のパス回しとかアシストとか、。 ウルバンスキさんもラツィックさんも、とても運動能力の高い音楽家さんだと感じましたし、、 なんだか妙に納得してしまいました。
youtubeにはデヤン・ラツィックさんのチャンネルもあって、、 モーツァルトやブラームスや本当に多彩な曲を演奏されるのですね。 ラヴェルのピアコンもあって、、 あとで観てみよう~ ♪
後半のショスタコーヴィチ:交響曲 第6番
初めて6番を聴いた時(他の指揮者さんで)、、 言葉が悪くてスミマセンなのですが、、 なんだかヤケくそみたいな曲だなと思って…。
暗鬱な、とても不安定な感じのする長い長い第一楽章から、 性急な第二楽章になって、 第三楽章はもうヤケくそみたいに終わる、、 どうしてこんな構成なんだろう…と。。 ショスタコーヴィチ自身の説明では 「春、喜び・・・」などと書かれているけれど全然そんな感じはしない…。 明るい高音かと思えば マイナーな低音へどーっと下がるし、、。 ウィキとかに書かれているベートーヴェンの6番「田園」のショスタコ版、、みたいなことは私は全然そう思えなくて、、
ウルバンスキさんも始まりからずっと厳しい表情で指揮をしておられました。 第一楽章の不安をさそうような、心の震えのような フルートさんやピッコロさんの音色、、 配信で聴くとそんなに強く感じられませんが、 ホールの静けさの中ではとても緊張感のある、 憂愁を感じる第一楽章でした。 高まっていく弦の哀しい響きは なんだかバーバーの弦楽のためのアダージョみたいで… そこへ打楽器の砲撃みたいな打音が降って来て…
この曲が書かれたのは1939年。
1982年ポーランド生まれのウルバンスキさんにとって、その時代的な意味は欠かせないのでは… とあくまで私の推測なのですけれど…。 1939年のポーランド侵攻によって第二次大戦が始まる、、 ショスタコーヴィチにとっては、この後 あの3年にもおよぶレニングラード包囲戦へと繋がっていく… ソ連にとっても、ポーランドにとっても《地獄の始まり》、、 その時代的な意味と、現代のロシアと東欧をめぐる状況を重ね合わせないわけにはいきません…
ちょっと話は逸れますが、 村上龍さんの『海の向こうで戦争が始まる』という1977年の小説がありますが、 このショスタコーヴィチの6番の特に第二、第三楽章を聴くと、あの小説が思い出されるのです。。 海の向こうで戦争が起こっているのにこちらの浜辺では何事もなく、男女が幻影を見るように戦争を眺めている、、 現在でも、どこかで戦争が起こっていても少し離れた町では人々が賑やかに買い物をし、行楽をし、日常を送っている… どうすることも出来ない隔たりのようなもの…
この曲の第二、第三楽章へと高まっていく混沌、 カオス状態を聴くと、どうにもできない人間の右往左往にも聞こえます。 やっぱり〈春〉とか〈喜び〉なんて情感はまったく感じられなかったです。。 会場ではラスト、 わりとすぐにブラボーの声が起こったのですが、 私は固まったまま すぐには拍手も出来なかったなぁ… そういう緊張状態のかた、結構いらしたと思います。
.
演奏後は 絶賛の拍手が響いて 楽団員さんを称えるウルバンスキさんも笑顔、 指揮者を称える楽団員さんも足を踏み鳴らす大きな音、、 このひとときが大好きです。
ひとつになって音楽を創り出そうとする皆さんに拍手を送れる喜び。。 コンサートホールへ足を運べる幸せ。。 それが出来るという状況を、しみじみと有難く思い、 その気持ちは年々高まっていきます。。 平和で、、そして災害の無い日々を…
***
来年、 都響でウルバンスキさんがショスタコーヴィチ5番と共に指揮する ペンデレツキ「広島の犠牲者に捧げる哀歌」、、 この作曲家のことを知らなかったので検索をしたら…
クシシュトフ・ペンデレツキはポーランドの作曲家で、 2013年に ペンデレツキの80歳を祝したコンサートが開かれ、 シャルル・デュトワさんやワレリー・ゲルギエフさんといった大指揮者と共に、 当時31歳だったウルバンスキさんが「 広島の犠牲者に捧げる哀歌」を指揮していらしたのですね。。 アンネ=ゾフィー・ムターさんのヴァイオリンの指揮もされている…
解説が載っていたので HMVのサイトにリンクしておきます>>『ペンデレツキへの捧げもの~80歳記念コンサート』
ゲルギエフさんも大好きな指揮者だったのに・・・
ひとりの指導者が世界を 音楽家を 変えてしまう… 嫌なことですね…
それにしても、 この2013年からウルバンスキさんを首席客演指揮者に迎えた東京交響楽団さんの慧眼は素晴らしいです。 来年は東響さんとは演奏されないけれど、、 また必ず東響さんを振って欲しいな… ウルバンスキさん。
充実した2週間をありがとうございました。