星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

読書展望…

2024-11-25 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
おだやかな晴天のつづく東京です。

このような11月、12月の時間が あと5倍くらい長かったらいいのに。。 そうしたら、本もたくさん読めて 美術館へも行って 色づいた樹々のなかをお散歩もして やりたいことがみんな出来るのに。。

今年もあとひと月すこし…だなんて、 短すぎます…

 ***


『深夜の人・結婚者の手記』室生犀星 講談社文芸文庫 2012年

「犀星文学の大正六年から昭和初期までの作品群の中から構成した」(解説)という、詩や随筆、日記、書簡、小説など、、とくに芥川龍之介との交流に関するものが第二章にまとめられている。

犀星さんといえば、『愛の詩集』や『抒情小曲集』など、詩人としての方面しか触れたことがなかったので、 芥川さんとの交流のことも殆ど知らずにいました。 この文庫のように ひとつの時代とテーマに沿って作品がまとめられているものは 当時の事や文壇の変遷のことなど知らない者には有難いです。


 芥川龍之介君が亡くなってから八年経つ、早いものだといいたいが漸と八年しか経っていないのに驚く、もうだいぶ昔のような遠い気持になる。経済界や政界の重要な人物がこの三四年の間に暗殺された数だけでも、十人をかぞえるくらいまでに時勢が変り… (略)
 芥川君の生きていた時分の世は実に太平であった。死んだのは夏ではあったが桜がさいているような平穏な年だった。今のようにトゲトゲしい時勢ならもちろん自殺なぞしなかったであろう、あと一年遅れてもまず止めていたかも知れぬ。…
    「澄江堂忌」室生犀星 『深夜の人・結婚者の手記』所収



芥川の自死は昭和2年。 関東大震災が大正12年。
上記の文中で犀星さんが 「太平」「平穏」とあらわしている昭和2年の時代の様相のことは私には明らかに実感することは出来ないし、「あと一年遅れてもまず…」と室生さんが思われるのが はたしてそうなのかどうなのかというのも何とも言えないけれど…

一昨年あたりから、、芥川さんについて (戦間期のパリにでも行ってしまえば良かったのに…)などと感じた想い(2月の日記>>)は、 あれからもずっと頭のなかに漂っていて、、 今回ふと室生犀星さんのこの文章に出会ったこともあって、、

それでこの「トゲトゲしい時勢」、、大戦へ向かって急速に変化していく時代に書かれたものを もっとなにか読んでみたいと思うようになりました。 関東大震災以後~昭和十年代くらいまでの。。 ほんとうに何も知らないのです、この時代の日本の文学のこと、、

ここ数日 そのことでいろいろ検索したりしていました。 そうしたらいくつか興味深い本が見つかってきました、、 ここ数年なんとなく関心の続いていた戦間期の外国文学にも若干結びついてくれそうな… そんなリストがいくつか、、


 ***

晴れた朝…

外気に冷やされて曇った窓硝子に、朝陽がキラキラと乱反射している。。 そんな時間にいただく熱い珈琲がとりわけ美味しく感じられる季節です。 ほんとうに、 この季節があと5倍、10倍も長くつづいたらいいのに…

そしたらゆっくりと本が読めるのに…。 これからの師走は文字通りいくつかの用事にさいなまれそうで 読書の時間もままなりません。。 でも 気持ちはゆっくり こつこつと… 
これから来年へ向けての読書の展望がみえてきたことを励みに…


できるだけ 元気でいることも大事…



風邪ひかないでいましょうね。

アンドリス・ネルソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 11月16日サントリーホール

2024-11-20 | LIVEにまつわるあれこれ
17日に(また書きます)などと書いて… それから日一日と過ぎていく中で、 私などには何も書けないと思い至りました…ほんと (^ ^;

前回2020年、ゲルギエフさん指揮のウィーン・フィルが初めての体験(そのときの日記>>) あのときに《これは魔法》だとか《楽器じゃない美そのもの》とか書いてますが じつは今回すこし怖かったのです、、 あのときそんな風に感激していたことが(あれ?そうでもない…)なんて醒めてしまったらどうしよう…と。。

今回は曲目で行く日を選びました。 マーラーも 「英雄の生涯」も聴きたかったけれど、 英雄の生涯は東響さんでのニキティンさんの演奏の思い出をまだ取っておきたかったし…
今回の3曲とも とても美しい曲ばかりなので(これらがウィーン・フィルで聴けるなんて)と楽しみにしていました。



ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ 編曲):オペラ『ホヴァンシチナ』第1幕への前奏曲「モスクワ河の夜明け」
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 作品70

ドヴォルジャーク:交響曲第7番 ニ短調 作品70(B 141)


アンドリス・ネルソンス指揮 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


〈アンコール〉
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『我が人生は愛と喜び』作品263
J.シュトラウスⅡ世:『トリッチ・トラッチ・ポルカ』作品214



どの曲が、、 どのパートが、、 などと本当に何か言えるような知識も耳も持っておりません… ただ前回同様、 (ウィーン・フィルだから)という思い込みはせず まっさらな状態で聴こう… そう思って、、

だけどやっぱり驚きました。。 《魔法?》とは思わなかったけれど、 楽器を聴いているという感覚が全然しないのです。 ベルリンフィルの時にも書いたけれど、 とつぜん音楽が湧きあがってくるのです、、(ジャーン)と奏でられるという表現では無くて、 ネルソンスさんの指揮とともに《音楽がそこに現れる、存在する》、、、なぜ??

弦の艶 とかいう表現も、もはや弦の気配すらしない、、 美しい音楽がそこに在る。。 フルートさんとかも ふっと息を吹き込むそういう気配というのが大抵感じられると思うのだけど、純粋な《音》しか出てこない、、音というか《色彩》みたいなもの。。 例えば、森の中で小鳥のさえずりを耳にする時、 小鳥のくちばしとか呼気とかの気配などせずに、空間に《声》だけが立ち現れるでしょう…(あ、鳥!)って。。 それと同様、ピッコロさんの音色なども楽器じゃない、、声?鳥? そんな感じ。

そういうことが不思議でふしぎで、、。 
それで サントリーホールの公式Xに、今回の公演のマーラーの動画が載っていたので(こちら>>)、ウチのわりと良いイヤホンで聴いてみたのです、、たしかに迫力ある美しい演奏なんですけどやっぱりこれは〈演奏〉として感じられる、〈楽器〉として聞こえる、、ホールで感じたのと全然違う、、 なぜ?

空気を伝わってくる波動とか、 楽器相互の配置とか共鳴とかホールの奥行とか、 音の周波数をこちらの耳だけでなく肉体全部が受けとるその響きとか、、 《生》で体感することの特別さが不思議でならなかったです。。

「モスクワ河の夜明け」の弦とチェレスタの煌めきや、 
ショスタコのフルートやピッコロの色彩、、 手でシンバルを持って奏でた時の《光》そのもののような音色、、

ファゴットさんのソロは なんだかホルンかと思ってしまうような艶があったし、、 そもそも 木管楽器と金管楽器の音色の区別がつかないような、、 どちらかがどちらかに少しずつ近寄って、それですべての音が一体化して《交響曲》というひとつの壮大な《色彩》というか創造物が湧き上がってくる、、 そういう感覚は後半のドヴォルジャークでも強く感じました。

ネルソンスさんの指揮はとても繊細できめ細かい指揮をなさっていて、、 へんな喩えですけど まるで砂絵で曼陀羅を描くような感じで、 両手で大気中の音をうごかして そうすろことで壮大で美しい《交響曲》がそこに生まれる… う~ん、やっぱり《魔法》をそこに見ているような気がしていました。。

ネルソンスさんは一見、 とてもお疲れのように見えました。 ツアーはほぼ毎日、 各地を巡っていらして、 それも3種類のプログラム。。 失礼な言い方ですけど、ウィーン・フィルほどの楽団であれば(それに何度もリハもされているのだし) ネルソンスさんの本番の指揮が少しくらいお休みしても たぶん素晴らしい演奏が自然となされるものなのでは…? そう思うものの、 演奏が始まると ネルソンスさんのお疲れの様子も消え失せ、 前傾姿勢になってもの凄くキメ細やかにオケを操る、、 オケの皆さんも食い入るようにネルソンスさんを見つめて 身体をうねらせて身体じゅうを楽器にするような音を奏でる。。 連日演奏して来られて それでもこんなに集中している、、 そのことにとっても感動いたしました。。 心から演奏することが好きで、 音楽を奏でる喜びを感じておられる、毎日でも、、。 そういう姿勢に感じられました。

アンコールでもそのことは存分と。。 ネルソンスさん、とってもノリノリで楽しそうに、、 本当にニューイヤーコンサートそのもののあの愉しさを 私たちにプレゼントしてくださいました。 もう感謝、しあわせ、、 感動、、よろこび、、 いっぱいです。

でもネルソンスさん、 きっとお疲れだったと思います。 片手を指揮台に乗せて身体を支えるよう.にしてらしたし、、 帰国なさったらゆっくり疲れを癒していただきたいです。




とても美しく幸せな時間でした…  ** °˖✧。*✧。***


「小さな球の上で…」 いま…

2024-11-19 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
日曜日の朝…

ときおり届くことばの風…





谷川俊太郎さんが亡くなられました。

17日の朝 眼にした詩は 「目が覚める」という言葉ではじまり、  庭に眼をやる自分の生命を感じ、、 そして 「どこも痛くない」とつづいていました。

それはよかった… とそのとき私は微笑みました。 朝起きて、 どこも痛くない… お年を召してからのその単純なことの幸せ、、 そのことが(あちこちと痛い事ばかりの)私にもよくわかると同時に、、

谷川さんはその命の平静にも詩人なりのかすかな疑いのような、 ささやかな懐疑を投げかけておられました。 まだまだまだ… 詩人でありつづけておられるのだな、、と 読み終えてもう一度私はほほえんだような気がします… すでに旅立っておられたとは知らず・・・

 ***

十代の時に買った『谷川俊太郎詩集』は、 昭和53年十七版と書かれています。 この表紙の谷川さんのお写真のように、 青年らしい、 あたらしい、 新世代の… そういう輝きをもった言葉が満ちていました。

「二十億光年の孤独」 だなんて、 ただそれだけで背伸びがちな思春期未満の脳みそはうっとりさせられたものです。。 シリトーの『長距離走者の孤独』を読んだのも同じころです、、 「孤独」とついているだけで惹かれたんです、きっと… 笑

  万有引力とは
  ひき合う孤独の力である


至言なり…

いつのまにか 谷川さんはおじいさんになられ、、 私ももうじきおばあさんの仲間入りをするでしょう。。 新聞のお写真のようにおだやかな、 優しそうなおじいさんでありながら、 ときおり届く言葉たちには、 ふっとこちらのうなじがざわめくような、 脳の回路がぴっとうずくような、 詩人の鋭敏さがかならずありました。

 ***

谷川俊太郎さんと 武満徹さんがつくられた素晴らしい歌のかずかずを 今日は聴きたくなりました。 ずっとずっと大好きな『石川セリ/翼〜武満徹ポップ・ソングス』を、、


「死んだ男の残したものは」 という歌は60年代のベトナム戦争の時代に書かれたものということですが、、 その第六連


  死んだ歴史が残したものは



  耀く過去と また来る歴史…



にならなければ良いが… と思っています、、、



一会…

2024-11-17 | …まつわる日もいろいろ
昨日はサントリーホールへ。



「音」と 「楽」と 「愛」と 「喜」と

そのほかの何ものも入る余地のない特別な時間…



溶け合って  「美」になる…






我が人生は愛と喜び…


まさに。。

なんだか ひと足先にニューイヤーを迎えてしまったような…






ネルソンスさん 楽団員のみなさん しあわせをありがとう




本編のことは また書きます。。




うつくしい時間をとどめておけないもどかしさ…


それさえも 愛しさ…




良い休日を… ♪

おとづれを待って…

2024-11-12 | …まつわる日もいろいろ
このところ 
ひさしぶりに日本の現代作家さんの小説を読んでいたのですが、 日常をありのままに描くためでしょうか、、 会話の言葉が余りにがさつで読むのにうんざりしてしまい… せっかくの美しい秋の日も 気持ちまで騒々しくなってしまいそうで…

それで、 ひと昔まえに おそらくとても時間をかけて 丹精をこめて日本語に移されたであろう物語を開くことにしました。。





 …日がくれて高い帆の船がラフレイの方からそうっと入江に這入って来れば、家の南の窓に角(つの)の灯を掛けるのが彼の仕事であった。こうしてその報知(しらせ)はドウレンの島に伝わり、そこから、また別の角の灯によって、ロッセスの村にも伝えられるのであった。この微光(あかり)の音信(おとずれ)よりほかには彼が人間との交渉は稀であった。…
    (「うすあかりの中の老人」イエーツ 
        『火の後に 片山廣子翻訳集成』幻戯書房2017年)



きょうは作品のお話ではありません、、 上記の箇所を読んでいて、 「音信=おとずれ」と書かれていることに、はっとしました。 「灯(あかり)」のバトンタッチで船の到着(おとずれ)を知らせる という事と相まって、 報せ=便りのことを「音信(おとずれ)」とあらわしている事に 成程とあらためて気づかされたのです。

そして、、「音信(おとずれ)」とは、 音が次第にずれていく=伝わっていくことだろうか… それとも 音に連れられていくこと(おとづれ)だろうか… と気になりました。 ふりがなは(おとずれ)でしたけれども、、。

、、調べてみると、、
古来 神さまがいらっしゃるのを(姿が見えないので) 「音」として感じていたそうで、、 それで 神さまを招来する際には声をあげたり、鈴を鳴らしたりするのだと… そういえば、、と思い当たりました。 かつて大学で『延喜式(えんぎしき)』などの古代の儀式などを纏めた本などひも解いて、 言葉と祭礼の関係など少し調べたこと思い出しました。 

うまく説明も出来ませんので、 「音」と「神さま」のおとずれ(音連れ)のことについて幾つかの神社のサイトの説明がありましたのでそちらを…
 神戸・平野 祇園神社「神社の中のモノ・コト」>>
 出雲記念館「神社コラム・059◆神社の音・壱 」>>

、、そういえば 巫女さんが神さまを招来するために舞う際に、 手に鈴を持ったり腰に鈴をつけたりしているのも、 音によって降臨をねがっているとともに、 鈴というのは中が空洞で音がするわけですが、 「中空」というのは何かがそこから生まれる場所、という意味で 誕生や再生の意味もあるのだとか。。 鈴の代わりに古代では「蛹(さなぎ)」を腰に下げて舞ったのも誕生や再生を願うからだとか。。 これは確か、松岡正剛さんの『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』 (NHKブックス) という本に書かれていました。


「おとずれ」から話がひろがってしまいましたが…
わたしたちが日頃使っている「訪れ」という漢字を調べてみると、 「言」と「方」で あちこちと聞いてまわるという意味だそうですから、 自分が先へ出かけていくのは「訪れ」で、、

あちらからいらっしゃる、というのは「おとづれ」(音連れ・音信)なのかもしれません、、。


  君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く

学校で誰でもが習う万葉集の額田王の歌ですが、、 この歌の「風」の気配もまさしく「音連れ」を願うものですね。


 ***


やはり 秋の日に騒々しいお喋りは似合いません。。 耳をすませて待つ風のたより、、 彼方からのおとづれ、、



どんな音とともに…




音信ありて…?

Adagio…

2024-11-08 | …まつわる日もいろいろ
ようやく体調も戻って、 ようやくの衣替えをしていた昼下がり…

郵便屋さんがポストに入らないから、と包みを届けてくださいました。 静岡へ旅したお友だちからの海の幸みやげでした(嬉) 温泉にも行かれたようで、 お湯の暖かさが恋しい季節に変わりましたね、、 

木枯らしの報せ、 色づき始める山々、、 北の方からはとつぜんの雪のたより、、…

一週間も経たないうちに慌ただしく季節がうごいていきます。。 早くも冬へと、 年末へと、、 追い立てられるような気もするけれど、 でも 街の色 光の色が優しく変化していくことを 日々嬉しく感じている自分もいる…


今朝、 ARTE Concert で アヴィシャイ・コーエン・トリオのライブが公開されているのを知りました。 以前たしか書いたことのある 若い女性ドラマーさんとのトリオ。 先月、来日されていたのですね、、 オーケストラとの共演もされるという話題を以前に見て、 行けたらいいのに… と思っていたのでした。

でもトリオのライブが観られるのは嬉しいです。
 Avishai Cohen TrioLeverkusener Jazztage 2024(ARTE Concert)

こんどの日曜日には、 ニコ響でノット監督&東響さんの演奏会の中継もあります。 こちらも行きたかったけれど(今月の予定では…と)諦めていた公演、、 中継で見させていただけるのもほんと嬉しいです。
 ニコニコ東京交響楽団>>


お部屋でライブ…


あたたかい飲み物と ひざ掛けを用意して…

足早の季節が すこ~しゆっくりと流れるように…


Adagio…



よい週末をお過ごしくださいね

11月…ちょっと待って…

2024-11-06 | …まつわる日もいろいろ
ぷれいばっく プレイバック…

…は出来ないのですよね(笑 …人生の時間は。。 早、11月も6日です 明日は立冬。

今年は空気の澄んだ秋晴れの日がとても少なかった気がします。 気温も真夏からあっという間に初冬の気温に急降下、、 大好きなニットのカーディカンの出番がありません… って、 たしか昨年の今ごろも書きましたね… 
(日本の気候も確実に変わってきていることを感じます…)

だけど昨日は 少し風が冷たかったけれど、 ニット一枚にベレー帽という格好で お薬いただきにクリニックへ行って来ました(←たいしたお出掛けではありませんが…(^^;

先月の病院での心臓エコーの結果を先生にお見せして、、 でもいつもポジティブな言葉をくださる先生曰く (あなたの場合はこんな感じで穏やか~に推移していきそうな気がするよ…)って。。 (わたしもそうなら良いなとオモイマス…)

 ***

ほんとうは先週末の連休ずっと、 体調が悪くてご飯もあんまり食べられなくて、 本も読めず 音楽も聴けず なんにも出来ない日々がつづいてしまいました。。 お天気が回復したのでどうしても、と思ってお洗濯だけはなんとか動いて、、

大好きな秋の日になにも出来ないのは本当に悲しくなるけれど、 そんなことは悔やんでいられません。 何日間か無為に過ごしてもまた動ける日がくれば途絶えてた事、 大好きな事、、 始めるだけ。。




いま 大好きなもの。 だいすきな音…


ぽーん… ♪



まずはチューニング、、 こころも。  からだも。