星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

美しさに秘めたもの…:トゥガン・ソヒエフ指揮 N響第2028回 定期公演 Aプログラム

2025-01-22 | LIVEにまつわるあれこれ
今年最初のお出かけは NHKホールへ。




トゥガン・ソヒエフ指揮 NHK交響楽団
ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」


(いつものように クラシック素人の日記です)

昨年の1月、 ソヒエフさん&N響の演奏を初めて聴いて、 「カルメン」と「ラ・ヴァルス」に感極まって、すぐに次週の「ロメオとジュリエット」にも行くことにして…

あれから1年。 再びソヒエフさん&N響の演奏を体験するのをとても楽しみにしていました。 A、B、Cの各プログラムが発表された時、本当にどれに行くか迷ったのですが、 やはり 今のこの情勢下でソヒエフさんが指揮をなさるのなら「レニングラード」を聴きたい、と。。

ショスタコーヴィチについても 歴史についても詳しくない私が「レニングラード包囲」について知ったのは、 以前に書いた小説『包囲』ヘレン・ダンモア著(読書記>>)を読んでから、のことでした、、 あのときはまだロシアのウクライナ侵攻は起きていなかった。

2022年2月になって、 いろんなロシアの音楽家たちが自分の態度を明らかにすることを迫られて、、 私は当時まだソヒエフさんの事をよく知らなかったけれど、 昨年の公演での誠実かつ熱情あふれる指揮ぶりを拝見してから 現在のソヒエフさんが「レニングラード」という曲をどんな想いで演奏なさるのだろう…と 関心の一方で不安のような感じも抱いていました。 だから前回の日記から繋がるのですけど、 ゲルギエフ氏が振った「レニングラード」の事を想ったりして、、 前日まで緊張してたのです…

 ***

感想を… 先にひと言で言ってしまうと、、 「美しかった~!」

こんなにも美しいところがいっぱいの曲だったんだ… という思いと、 ショスタコーヴィチの現代っぽさというか新しさも随所に感じられましたし、、 弦楽器の美しさには涙しそうに感動しましたし、 管さんのソロパートもみな素晴らしかった。。

ソヒエフさんの導き出す7番には、 悲劇や恐怖やあるいは戦意高揚のような激しさよりも、 人間の営みのドラマとか喜びとか やすらぎとか力強さ、、 そういったもののほうを感じた気がします。

第一楽章の戦争の主題のあとの阿鼻叫喚のような混沌の旋律になっても 音色はそれぞれがとても澄みわたっていたし、 第三楽章のあの鞭が出てくる辺りは すごくシンコペーションを効かせていて、 こんな現代っぽい音楽をショスタコーヴィチは随所に忍ばせていたんだなと気づかされましたし…

もちろん美しいばかりではなくて、 管さんのソロの時には もうひとつの別の旋律が聞こえて、 明と暗のふたつの別々の音楽が流れていると感じるところも幾つもあって、、

最も恐ろしかったのが、 第一楽章の小太鼓さんが入ってくるところで、、 他の指揮者さんの動画も見ていたのですけど、 多くは タタタ・タン! と跳ね上げるようなリズムで、 踵を打ち鳴らして行進するパレードのような印象を受けるのですが、 今回は 極めて静かに平板に タタタタ… とほんとに小さく鳴らされていて、、 その前の日常の楽し気な情景と重なるようにそれが始まって、、 まるで遠くに聞こえる銃声? と一瞬耳をそばだてるような、、 それが背筋が寒くなるほどぞっとして怖かったです。

だから 先ほどの二重の音楽と同様に、 日常と恐怖は隣り合わせなのだろうし、 最終楽章の高まりはどちらがどちらに勝利したという壮大さではなくて、 人の暮らしの回復、 ふたたび自由な日々を取り戻すことを諦めないこと、、そういう力強さなのだろうと… そんな風に感じていました。

 ***

昨日、 N響のサイトにソヒエフさんのインタビュー動画があったのを知り、 それを見て いろいろ成程と思いました。 第二次大戦の音楽、というだけではない、 我々が歴史から学ばなければならない「注意喚起」というソヒエフさんの言葉、、
 https://www.nhkso.or.jp/concert/202501A.html?pdate=20250119

ソヒエフさんがロシアの侵攻で ロシアとフランス双方の楽団を辞任した、という経緯をちゃんと読んだ記憶がなかったので、 あらためてその時の記事とソヒエフさんの声明を読みました。
 ソヒエフがトゥールーズ・キャピトル管とボリショイ劇場の音楽監督辞任(ぶらあぼ)
 トゥガン・ソヒエフからのメッセージ(KAJIMOTO)

、、どちらかの側に立つ、 どちらかを選ぶ、、 それが出来ないから両方を辞任する、、 その選択はとてもつらいものだったでしょう。。 でも私たちはそういう時、選択を迫るのですよね 態度を明らかにしろと。。 一市民、一観衆、、という立場でさえ。。 その恐ろしさ。。

前回の日記にも書いた藤田嗣治。 フランスで成功すれば非国民のように言われ、 帰国して従軍すれば、 戦争画を描いて戦争に加担したと糾弾される。。 同じようなことが今後 世界の音楽家に起こらないように、、と思います…


戦争は日常の顔をしてやってくるものだし、、


ファシズムは大衆とともに生まれるものなのだから、、


怖ろしさは私たち自身の態度のなかにもあるのだと… ソヒエフさんの仰る「注意喚起」という言葉に気づかされました。

 ***

ソヒエフさんとN響さんの誠実かつ熱意あふれる演奏 すばらしかったです。 できれば全プログラムに行きたかったです。 TV放映からじるらじるで聴けたらいいな、と願ってます。


ソヒエフさん 来年の1月もいらっしゃるかしら。。 できればサマーミューザなどでもあの笑顔にお目にかかりたいものです… ♪

何を想うか…

2025-01-18 | MUSICにまつわるあれこれ
今年は 昭和から100年、そして戦後80年の年だそうです。

去年の12月の日記にも書いていた 昭和初期~第二次大戦前夜の読書、、 堀口大學や藤田嗣治の当時のエッセイなど読んでいた時期、 野上弥生子の『欧米の旅』という本も読んでいました。



昭和13年、 能の研究者であった夫の野上豊一郎が日本文化の講義を欧州の大学で行うために渡欧することになり、 弥生子も同行することになります。 その渡欧の準備から 上船して上海からシンガポールへと船が進んでいく過程を、 弥生子は作家らしい眼で其処の人々の暮らし、 街の雰囲気や風光など、 詳細に記録していきます。 その日記を読んでいて、、

同時に 藤田嗣治のエッセイも読んでいたわけですが、、 26日に書いたように パリでの華やいだ日記の後に 大戦の従軍画家としての藤田の日記がつづいていて、、

野上弥生子が上海などに上陸して、 当時そこに駐留していた日本政府の高官の案内を受けて観光などしているのとすれ違うように、、 藤田が帝国海軍の従軍画家として他の多くの画家や作家たちと共に船に乗り、 戦地へ向けて出港していく。。

弥生子が見た現地の人々や子供の描写と、、 その地がこれからどうなっていったのかという昭和の記憶が重なって、、 なんともやるせない気持ちになって、、 年末にその読書はひとまず中断しました。

 ***

きょうは ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団が 2021年の戦勝記念に演奏した ショウスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」を視聴していました。 何を想って ゲルギエフ氏はこれを振っていたのだろう… と思いながら。。

同じ曲をゲルギエフは かつてN響でも振っていて、、 その演奏をTVで観たかどうかは はっきりとは覚えていないけれど、 ゲルギエフが戦争やそれに対する音楽への想いというのをN響のインタビューで語っていた映像はよく覚えていて、、 その頃 ゲルギエフは世界一多忙な指揮者と言われていて、、 私も きっとこの方は世界中をこうやって飛び回りながら 音楽を通して人々が理解し合うことを願っているのだろう、、 とインタビューを見ながら思ったものでした。 そのころからゲルギエフの指揮を観るのが夢というか願いになっていたのだけれど、、 



この話がどこへつづくかは、、 またいずれ。。




寒さ厳しいですが よい週末をお過ごしください

学問初め…

2025-01-14 | …まつわる日もいろいろ
三連休明けの今朝、、 メールが届いていて

見れば文学の大先輩から。 学会発表用のパワポ資料が添付されてて、「意見を求む」と。。 新年のあいさつもなく、、 今年もヨロシクもなく、、 用件のみ。。 というのが余りにも、らしくて… 苦笑しながら原稿〆日を見たら、、

なんという無茶ぶり… 笑

というわけで、 朝からPCに貼り付き6時間かけてお返事いたしました。。 専門外のワタシに意見など申せる知識はありませんのに、、 それを承知でお送りくださるのですから。。 でも興味深いテーマだったのでつい集中してしまいました。。 

身体器官は年とともに衰えていくばかりだけれど、 好奇心とか洞察する眼力や触覚みたいなものは 経験値が上書きしてくれるものなのかもしれません… 新年の脳みそクンが働き始めました

、、 て、 ほんとうは読書記でもそろそろ書こうかと思っていましたのに、、 それはまた



インフルも 他の感染症も流行っております


花粉もそろそろ…? な気配です



今週も元気で。 よい一週間にしましょう。

風の中の…もの想う葦に…

2025-01-08 | …まつわる日もいろいろ
新年も本格的に始動しました
今年もなんだか あっという間に月日が経っていきそうなきがします。

今年はどんな年に・・・

望むことはさまざまあるのですけれど、、 今年は本当のところまったく予定が立たない年になりそうな… いえ、悪い事情では全然なくて ただ、よそに合わせなければならないという物事があって、、

だから今年は鷹揚に構えるしかありません。 成るようになる… 風にまかせる葦… 、、「人間は考える葦である」…って どうして葦なのでしたっけ? そう… か弱いもの… でしたね。 たしかにか弱いのだけれど考えることは出来る… ならば 風に吹かれつつ考える葦となりましょう… 

 ***

年末年始は例年のように音楽を楽しみました。 TVばかりでなく、ラジオでも、、
「ピアノ界の詩人」であり「悪童」とも言われたサンソン・フランソワの特集を4日にわたって放送していました。 
 サンソン・フランソワ~今なお愛されるピアノ界の悪童
お台所仕事のかたわらでしたけど、彼の天才的な演奏に何度も耳が惹き付けられました。 彼のラヴェル ピアノ協奏曲を聴いていて、 彼のピアノのみならず 当時の管弦楽団のリズム感の見事さに感嘆していました。 50年代くらいまではジャズ全盛期でもあるせいか、 ラヴェルのジャズっぽいグルーヴの、軽やかさというか華やかさの表現に驚きました。 

そして今も、 らじるらじるのベストオブクラシックという番組で、 トゥガン・ソヒエフさん指揮のショスタコーヴィチ9番や、 アレクサンドル・カントロフさんのブラームス ピアノ協奏曲などの名演を楽しむことができます。

今年の衝撃の話題としては、、 ベルリン・フィルのヴァルトビューネ野外コンサートが7月に河口湖畔で開かれるという…
と~っても素敵なことなのだけれど、 キャパ3千だし チケット費用や交通や(もし宿泊)を考えたら庶民にはハードルがあまりに高いです(泣)

セミリタイア組のお友だちご夫妻に「行ってみては?」とお知らせしたら、やっぱり難しいよ~って、、 ですよね。。 都内での公演は無いそうで。。
でも秋にはドゥダメルさんが LAフィルを率いて来られるらしい! 行けたらいいなあ…


その頃になって 物事が決まって、、 それが来年以降へとつながっていく道すじとなっていたら、、 本当にうれしいのだけれど。。 でも、 もし何も動きがなかったとしても 今年という時間が滞りなく過ぎていったのなら、 それはそれでとても良いこと。 毎日をちゃんと生きたという事、 日々の生活を営んでこれたという事だから、、


そのかわり

毎日のちいさな幸せを大事にしていこう…


ちいさな努力とともに…



おおきな心で…



葦はみずから動くことは出来ないけれども ここでしっかり生きていよう…

2025 あけましておめでとうございます

2025-01-05 | …まつわる日もいろいろ
21世紀 四半世紀をまとめあげる年になりますね。

素敵な一年にいたしましょう ☆彡




 



自分にできることを せいいっぱい…


心にえがくことを 両手いっぱい


愛する人と



愛する世界にふりまくことができるように…