今年は 昭和から100年、そして戦後80年の年だそうです。
去年の12月の日記にも書いていた 昭和初期~第二次大戦前夜の読書、、 堀口大孚や藤田嗣治の当時のエッセイなど読んでいた時期、 野上弥生子の『欧米の旅』という本も読んでいました。
昭和13年、 能の研究者であった夫の野上豊一郎が日本文化の講義を欧州の大学で行うために渡欧することになり、 弥生子も同行することになります。 その渡欧の準備から 上船して上海からシンガポールへと船が進んでいく過程を、 弥生子は作家らしい眼で其処の人々の暮らし、 街の雰囲気や風光など、 詳細に記録していきます。 その日記を読んでいて、、
同時に 藤田嗣治のエッセイも読んでいたわけですが、、 26日に書いたように パリでの華やいだ日記の後に 大戦の従軍画家としての藤田の日記がつづいていて、、
野上弥生子が上海などに上陸して、 当時そこに駐留していた日本政府の高官などの案内を受けて観光などしているのとすれ違うように、、 藤田が帝国海軍の従軍画家として他の多くの画家や作家たちと共に船に乗り、 戦地へ向けて出港していく。。
弥生子が見た現地の人々や子供の描写と、、 その地がこれからどうなっていったのかという昭和の記憶が重なって、、 なんともやるせない気持ちになって、、 年末にその読書はひとまず中断しました。
***
きょうは ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団が 2021年の戦勝記念に演奏した ショウスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」を視聴していました。 何を想って ゲルギエフ氏はこれを振っていたのだろう… と思いながら。。
同じ曲をゲルギエフは かつてN響でも振っていて、、 その演奏をTVで観たかどうかは はっきりとは覚えていないけれど、 ゲルギエフが戦争やそれに対する音楽への想いというのをN響のインタビューで語っていた映像はよく覚えていて、、 その頃 ゲルギエフは世界一多忙な指揮者と言われていて、、 私も きっとこの方は世界中をこうやって飛び回りながら 音楽を通して人々が理解し合うことを願っているのだろう、、 とインタビューを見ながら思ったものでした。 そのころからゲルギエフの指揮を観るのが夢というか願いになっていたのだけれど、、
この話がどこへつづくかは、、 またいずれ。。
寒さ厳しいですが よい週末をお過ごしください
去年の12月の日記にも書いていた 昭和初期~第二次大戦前夜の読書、、 堀口大孚や藤田嗣治の当時のエッセイなど読んでいた時期、 野上弥生子の『欧米の旅』という本も読んでいました。
昭和13年、 能の研究者であった夫の野上豊一郎が日本文化の講義を欧州の大学で行うために渡欧することになり、 弥生子も同行することになります。 その渡欧の準備から 上船して上海からシンガポールへと船が進んでいく過程を、 弥生子は作家らしい眼で其処の人々の暮らし、 街の雰囲気や風光など、 詳細に記録していきます。 その日記を読んでいて、、
同時に 藤田嗣治のエッセイも読んでいたわけですが、、 26日に書いたように パリでの華やいだ日記の後に 大戦の従軍画家としての藤田の日記がつづいていて、、
野上弥生子が上海などに上陸して、 当時そこに駐留していた日本政府の高官などの案内を受けて観光などしているのとすれ違うように、、 藤田が帝国海軍の従軍画家として他の多くの画家や作家たちと共に船に乗り、 戦地へ向けて出港していく。。
弥生子が見た現地の人々や子供の描写と、、 その地がこれからどうなっていったのかという昭和の記憶が重なって、、 なんともやるせない気持ちになって、、 年末にその読書はひとまず中断しました。
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きょうは ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団が 2021年の戦勝記念に演奏した ショウスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」を視聴していました。 何を想って ゲルギエフ氏はこれを振っていたのだろう… と思いながら。。
同じ曲をゲルギエフは かつてN響でも振っていて、、 その演奏をTVで観たかどうかは はっきりとは覚えていないけれど、 ゲルギエフが戦争やそれに対する音楽への想いというのをN響のインタビューで語っていた映像はよく覚えていて、、 その頃 ゲルギエフは世界一多忙な指揮者と言われていて、、 私も きっとこの方は世界中をこうやって飛び回りながら 音楽を通して人々が理解し合うことを願っているのだろう、、 とインタビューを見ながら思ったものでした。 そのころからゲルギエフの指揮を観るのが夢というか願いになっていたのだけれど、、
この話がどこへつづくかは、、 またいずれ。。
寒さ厳しいですが よい週末をお過ごしください