今、オリンピック「映画」って作られなくなりましたね。「時よとまれ、君は美しい」(ミュンヘン)、「札幌オリンピック」(1972)あたりまでで。バルセロナ五輪もカルロス・サウラ監督で公式記録映画が作られたと聞いているが、日本公開はされていない。
オリンピックと映像技術は「民族の祭典」以来、手を携えて進歩してきたのだが、完全にテレビにシフトしたということだろう。
それにしてもスポーツというのはリアルタイムで見る、どういう展開になるかわからないのが一番スリリングなわけで、背景を知らないで表面的記録だけ見ても正直、割と退屈。
今見ると、望遠レンズの多用やスローモーションなど、監督の狙いもだが当時の「流行り」が目立つ。なんでも日本中の望遠レンズの大半が集められたという。
オリンピックの国威発揚の面と、ロス五輪以来目に余る商業主義の両方を避けて通っているのは確かだが、では何が残るかというと、案外何も残っていない。スポーツ(マン)というのは消耗品か、という疑問すらわく。特にテレビ用コンテンツとして重要になったから。
オリンピックが「平和の祭典」というのに一応もっともふさわしかったオリンピックだったような気がする。戦争によって中断されて、戦後復興して開催にこぎつけたのだから。もっとも、また東京でやるなど、論外。石原都知事は、老害以外の何ものでもないね。