池内淳子が男の子連れというのは、やはり加藤泰「沓掛時次郎 遊侠一匹」のイメージからだろうか。何しろあれには渥美清が出ていたのだから。
やくざ志願のおっちょこちょいな百姓で、悪賢い親分に立てなくていい義理をたてて殺されてしまう役で、寅次郎以前の代表的名演。
志村喬が博の父親役で再登場、一作目の背景になっていた博との確執が書き込まれる。
順序が逆になった格好だが、どうやら博は母親が自分を殺して生きていたのを当然のようにしていた父親が許せないのがわかってきて、自由気ままに生きるか秩序立った生活を守るかというモチーフは寅次郎ととらやの人々とも重なる。
例によってラストで出ていく寅次郎にさくらがあたしの方が旅に出てお兄ちゃんに心配かけてやりたい、というところで改めてやくざな旅烏と足が地についたともいえるし縛られているともいえる生活者との二律背反が逆転して再現される。
志村が寅次郎に語るリンドウの花が咲いた家の一家団欒の話が寅次郎が軽薄にもそのまんま受け売りすると、次々とそのたびに意味合いが変わってくる脚本演出の見事さ。
さくらをマドンナと間違えるギャグは秀逸だけれど、意味深長でもある。
森川信はこれがおいちゃん役最後だが、実に渥美清と手が合う。
志村喬と寅次郎が連れだって買い物にいくところでSLが映る。山田洋次は本当にSLが好き。