全編見栄を切りまくり、上がりまくりの演出は「バーフバリ」同様、健在。
歌と踊りそのものは少ないようで、えんえんと流れる歌に合わせて編集されたブロマンス風のシーンなどミュージカル的な、あるいはマサラムービー的な快感は大きい。
本当言うとマサラムービーという言い方もインド全体に通用するわけではないので、こういう視覚と聴覚にまたがるトータルな表現というのは世界中にあるだろうし、国境を越える。
テルグ語映画でインド人内部でも言葉が通じたり通じなかったりするのを取り込んでいるが、おそらくこのスタイルなら言葉が通じない州でも通用するだろう。
で、内容自体がインド建国前夜の物語で、傲慢な差別意識と帝国主義意識ばりばりのイギリス人たちが徹底的な悪役として描かれる。
最近だと悪と正義の区別が曖昧な映画が娯楽大作でも多いので、この振り切り方は気持ちよくもある。
二人のヒーローが二大スター共演の等分のバランスをとりながら火と水に象徴される対称性をなす緻密さと気の使い方。
旗や二つに割ったネックレスなどの小道具の徹底的な生かし方、セリフを使わないでわからせる見事さ。
一方でバックに流れる歌の歌詞が興奮を煽る。
ただナショナリズムというのは他国に抑圧された状態では良い方向に向かう大きな力になるが、ある程度国作りが達成されると排他性や暴力性に結びつきがちでもある。そして他国の上に立つようになると今度はミイラとりがミイラみたいな帝国主義化するのは過去の日本を見てもわかる。
実を言うと、香港映画「プロジェクトA」とか「ワンス·アポン·ア·タイム·イン·チャイナ」シリーズなど大娯楽アクションの一方で、れっきとしたナショナリズム鼓舞映画でもある。
その後の中国や香港をみていると、前ほど曇りなく楽しむにはひっかかるところも出てしまう。余談だが。
エンドタイトルに出てくる実際のインド建国の父たちにガンジーやネルーといったなじみがある人がいない。