希望をぶら下げておいて取り上げるというベラルーシの最低の所業を描いているのだが、ナチスが第二次大戦に先立ってキューバが上陸を拒否するのを見越してユダヤ人をキューバ行きの客船に乗せ立ち往生させてこれをユダヤ人嫌悪の広告として使った史実を思わせた(映画「さすらいの航海」で描かれている)。
同じ人間がなんでこういう具合に分けられていくのかと思う。
同じ人間だと思っていないからだろうが、正直、どこがどう違うのかわからない。違うわけがない。
終盤、ハラルかどうか気にするあたり、それが当たり前の習慣になっている者とそうでない単純なようでややこしい断絶を簡潔に見せる。
国境警備隊の非人間性がそれもまた分断の一部であることが暗示されている。