主人公が体操選手としていいところまでいったのだが思わぬケガその他で挫折し、カメラマンとしてシリアを訪れるまでのなりゆきがかなり丹念に描かれ、必ずしも望んで行ったわけではないのがわかる。
勝手に危険な場所に行って拘束されたのだから自己責任、助ける必要などないという日本の“世論”に釘をさしているようだ。
そういう“世論”は日本だけのものではないのかもしれない。
解放されるには身代金を払うしかないのだが、そうするとテロリストに資金を提供することになるとして各国の政府は応じないことに決めている。
だから政府は助けてくれず、人質の家族が自力で集められるだけ集めて、足りない分は何とか寄付を募ることになる。
その苦心と、人質生活の過酷さが交互に描かれる。最後の一押しの援助に公助ならぬ体制側のたてまえ破りを暗示しているのは示唆的。
当人も家族も共に本当に辛い状況なのだが、映画とすると場面に変化がつくことになり、飽かせない工夫にもなっている。
ISのリーダーが英語も話せるし西洋的な教育も受けていそうなのを歪めた形で利用しているらしいのが、まことに見ていて腹立たしい。