prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「砂と霧の家」

2004年12月02日 | 映画
“たかが”家の権利争いの話がエスカレートしていって大悲劇に至る展開は、唐突だがE・M・フォスターの「ハワーズ・エンド」が“たかが”家探しの話から始まってあれよあれよという間に文明論にまで至る膨らみ方を連想した。
ベン・キングスレー一家のバックグラウンドは原作ではもっと書き込んであったのではないか。ちょっとアラブとアメリカの一種の文明の衝突といったニュアンスもある。軍人としての威圧感と家族を大事にする面をないまぜた毎度のことながら適格な演技だが、本物のイラク人が見たらどう見えるのだろうという疑問は持つ。
息子が「ぼくの名はイスマエルだ。イシュマエルではない」と激しい調子で言うが、イシュマエルは旧約聖書でアブラハムの追放された方の息子でアラブ人の先祖とされている人の名前だ。何か意味があるのか。

アル中で禁酒していたジェニファー・コネリーが再飲酒する時買い込むのがミニボトルをいっぱいというのは妙な気がした。大きなボトルを買えばよさそうなものだ。「戦火の勇気」でもアル中がミニボトルを並べているという描写があったが、何か規制があるのか。
(☆☆☆★)


本ホームページ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。