落語家の話だというのに、浅野忠信は喉を砲弾で負傷して口がきけず、板尾創路も高座ですべてしゃべるところはオミットでまるで客に受けない事後描写で代えたりしている。映画はサイレントが本道だとでもいう作り手の確信が感じられる。
だいたい、この二人を間違えるなんてことが普通に考えてあるわけないだろう。「犬神家の一族」みたいに完全に顔がわからなくなってるわけでなし、第一背丈が違う。
何度もぼそぼそと語られる「粗忽長屋」の「死んでいる俺は確かに俺だけれど、生きている俺は誰だろう」というナンセンスが言わば目印になり、そういうおかしさを作りの失敗と思わせず、おかしさ(可笑しいではなく異常の方)を丸呑みにする作りになっている。
唐突に何度もはさまってくるトンネル堀りのシーンは、ブニュエルの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」のブルジョワたちが田舎道をなぜか足早に歩いているシーンを思わせて、基本的なプロットに異次元へのパイプを突き刺している。その異次元を代表する人のキャスティングにセンスを見せる。
もっともこういう作りだと締めくくりが難しいのだが、奇想のようで既視感あり。板尾自身の異人感にまとまってくる。
前田吟が師匠らしい豪放さと芸を見せて寅さんの博とは別人の観。
(☆☆☆★★)
本ホームページ
月光ノ仮面 - goo 映画
だいたい、この二人を間違えるなんてことが普通に考えてあるわけないだろう。「犬神家の一族」みたいに完全に顔がわからなくなってるわけでなし、第一背丈が違う。
何度もぼそぼそと語られる「粗忽長屋」の「死んでいる俺は確かに俺だけれど、生きている俺は誰だろう」というナンセンスが言わば目印になり、そういうおかしさを作りの失敗と思わせず、おかしさ(可笑しいではなく異常の方)を丸呑みにする作りになっている。
唐突に何度もはさまってくるトンネル堀りのシーンは、ブニュエルの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」のブルジョワたちが田舎道をなぜか足早に歩いているシーンを思わせて、基本的なプロットに異次元へのパイプを突き刺している。その異次元を代表する人のキャスティングにセンスを見せる。
もっともこういう作りだと締めくくりが難しいのだが、奇想のようで既視感あり。板尾自身の異人感にまとまってくる。
前田吟が師匠らしい豪放さと芸を見せて寅さんの博とは別人の観。
(☆☆☆★★)
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月光ノ仮面 - goo 映画
二人を見間違うことはないだとろうと思いますが、なんだか、同じ人物だったのかも
なんて、いろんな解釈が出来ました。
女子7人でみに言ったときには、コレでもないあれでもないと花が咲きました。