すでに賞賛しつくされている気もするが、アンソニー⋅ホプキンスの演技は神の領域。
認知症の認識にあわせて作品世界が組み立てられているわけで、いないはずの人間が突然現れたり、人の顔と名前が一致しなかったりと、認識が依って立つところの「我」の確かさといったものがぐらついているあたり、正確な医学知識があるわけでもないのに言ってはいえないのだが、統合失調症と共通するものがある気がした。
デカルトのいうところの我思うゆえに我ありの、最も確かなものとしての我の認識がぐらつく恐怖といったものがあった。
主人公にとっての世界像と、その中での確かなつもりでいる自分像との両方表現しているのだから、ほとんど世界全体を把持しているような神の領域の演技ということになる。
セリフの端々に散りばめられた言葉の多重的な意味の重ね方は、元が戯曲であることを改めて思い起こさせる。
装置のあちこちに配された青色により独特のデフォルメがなされている。
ラストに出てくる施設の中庭に中が中空になった大きな人間の頭の彫刻が転がっているあたり、日本映画「ドグラ・マグラ」を思い出した。