アメリカくらい「外で」戦争やっていた国もないのだが、そのコンパスの脚をくるりと回して自分で痛みと恐怖を知るという思考実験の感がある。
「地獄の黙示録」みたいな地獄めぐりを自国でやっているようなもの。
リチャード・アッテンボローが大戦中に銃を撃つのではなくカメラでシュートしていたと言っていたけれど、銃を撃つのとカメラで撮るのとは英語では同じshootになる。
カメラで撮るのを許すのは外に見せる効果というのを頭に置いているからで、ここで武装している者たちがもし隠そうとしたら、あるいは隠そうともしなくなったのがジェシー・プレモンスの出番ということになる。
クライマックスのホワイトハウスで大統領自身が銃をとって戦う?シーンなどチリのサルバドル・アジェンデ大統領がアメリカが背後についた軍のクーデターで戦死したパロディみたい。
フィルムを簡易キットで現像するシーンなどデジタルカメラないのかと思ったら後できちんと出てくるのはどういう意味だろう。
音響効果がすさまじい。
主人公たちの車が走ってきて、はるか後ろに別の車が現れるあたり、さらに追い抜いて行ってなぜか空になって止まっているあたりの恐怖。