prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ふたりの5つの分かれ路」

2005年10月13日 | 映画
なんかコレ、時間を逆行させる意味あったんかいな。
韓国映画の「ペパーミント・キャンディー」だと、思い返して見るといちいち腑に落ちるディテールが、ここでは単にセックスの相性がいいかどうかにしか見えない。
才人才に溺れた観。
(☆☆★★★)



ふたりの5つの分かれ路 - Amazon

アクセス解析

2005年10月12日 | Weblog
このブログでアクセス解析をしているのだが、アクセスの多いページというのは今話題になっているトピックを取上げているとは限らないのですね。きのう一番多かったのが「恋や恋なすな恋」というのはNHK衛星で放映されたからだと思うが、その前から結構見に来る人多い。

2番目が「雨鱒の川」というのは、かなり意外ではないか。好きな人は好きな映画ということか。実は磯村一路監督の作品は「解夏」にしても「船を降りたら彼女の島」にしてもアクセスが多い。余談だが、磯村監督は現在インターネット配信用のドラマの準備中とか。

スタッフブログにも投稿していることだけれど、アクセス解析でわかるのが上位20位までというのは物足りない。



ILLUSIONS「カフェスタ!」

2005年10月11日 | Weblog
中野ザ・ポケットにて。

カフェに集まる人々を描く群像劇。
舞台上に本みたいに折り畳み式のカフェのセットができているので、これ折り畳まれるなと思っていると、ラストのラストでやっと畳まれ、フィナーレですぐ開けられる。あれだけ大がかりな割に、ちょっともったいない感じ。

最近、オークションで読まなくなった本などを処分しているのだが、困るのは送料の計算が面倒なこと。どうせ買った側が払うのだから郵便料金で統一すれば簡単ではあるのだが、貧乏性なのかクロネコメール便などと比べてどれが一番安い方法を考えてしまう。
間違えると、改めて振り替えさせるわけにもいかないので、けっこう緊張する。



「KAL HO NAA HO」(2003)

2005年10月10日 | 映画
インド土産の映画DVD。ずらっとヒンディー語とかマラヤラム語とかタミル語といった選べる字幕の言語の種類が並ぶが、当然日本語はなし。英語字幕で見る。ちなみにエンド・タイトルは英語。
題名は、「明日が来なくても」といった意味らしい。
調べてみたら、去年の東京フィルメックスで上映されていた。

基本的には歌と踊りとロマンスがたっぷり入ったインドの娯楽映画(マサラ・ムービーというのか)の典型だが、舞台がニューヨークというのが新味。もっとも出てくるのはインド人ばかりで、親戚一同が省略されずにずらっと出るものだから、さほど曲のある話ではないのに3時間10分もかかる。
あちらの大スターのシャー・ルク・カーンが濃ゆい顔で熱涙滂沱といった熱演を見せる。余談だが、シャー・ルクが2001年に来日した時、よみうりホールの舞台挨拶を見に行って、彼のブランドの香水をもらって帰ったことがあるが、むせるばかりのものすごく濃い香りで、周囲の評判がえらく悪くて破棄してしまった(スミマセン)。

前半のミュージカル・ナンバーはちょっとMTV風の演出でカット割りでリズムをつけて見せていくが、後半インドに舞台を移してのイメージ・シーンの太めのおっさんが中心の歌と群舞はやはりインド映画。





「審判」 加藤健一事務所

2005年10月09日 | Weblog
この芝居、同じ加藤健一主演で見るの、ニ度目。
前に見た時は、何しろ人肉食というモチーフだからひたすら台詞によるカニバリズムのスーパー・リアリズム描写に気をとられたが、今回はカニバリズムのもう一つの面、つまり死者を追悼する、という面が強く出た観。とはいえ、たとえばどんなリアルな映像による描写も、ここでのダイアローグの描写の生々しさには及ばないだろう。
ここに見る「言葉」に対する徹底した信頼、というのは、日本人の感覚からすると異様にすら思える。

「キューポラのある街」の作者、早船ちよさん、死去。手許に同作の古本がある。映画の印象と比較すると、実は性的な面が随分強く出ている。はじめ映画を見た時は良いと思ったのだが、原作を読むと吉永小百合主演ではキレイゴトで済ませるしかなかったのかもしれないが、どうも物足りない。



オカマ

2005年10月08日 | Weblog
いささか電器釜がふるくなってきたので、新しく買ってくる。
それと、今まで携帯の液晶画面を保護するシールを百円ショップで買っていたのを、機種に合わせた本格的なものに変える。いちいち切って貼らなくても画面にぴったりという奴。
どちらもさすがに新しいものの方がいい。

「24」シーズン3が深夜に放映されているのを見ている。
あんまり長いもので、レンタルで見ようという気にならず、地上波でやるまで待ってたりする。このシリーズ、面白いんだけど、引っ張るために問題が解決したかと思うとひきもきらず次の問題が出てくるもので、スカッとしないのだね。あと、シーズン2では爆発してはいけない核爆弾は爆発するわ、ここではまかれてはならないウィルスがまかれるわ、掟破りも多いし。
とはいえ、ストーリー作りのスタミナは大したもの。



「青空のゆくえ」

2005年10月07日 | 映画
たとえばラスト近くで写真を撮るところで、下手したらその写真をストップモーションか何かで  見せてしまいそうなところを見せないでおく、といった、何を見せていいか、何を見せてはいけないか、といった判断がきっちりできている観。
青空、が白い雲を含めて、画面として本当に青々としている。



青空のゆくえ - Amazon

池袋ウェストパーク・古本市

2005年10月06日 | Weblog
先日までジャズをやっていたのと同じ広場で、古本市を開催。
エトムント・フッサールの「厳格な学としての哲学」を500円で買う。新本ではまったく手に入らないのだから、安い買い物。買ったはいいけど、読めるんかいな。




コントラスト

2005年10月05日 | Weblog
タクシーに2度乗るが、行きのでは乗ると同時に異臭を感じた。どうも直前に運転手がおならをしたらしい。それから今どきカーナビもつけず、道もうろ覚えで交差点で地図を広げるという調子。
これに対して帰りのは、乗ると同時に芳香を感じた。アロマを入れていた。もちろんカーナビつきで、雨の中、袋小路に近い道の奥まで入ってくれた。
なんだか、こうも行き帰りで対照的なのも珍しい。

ずっと前から近くに住んでいるホームレス(形容矛盾みたい)が、新しい服を着て歩いている。どこで手に入れたのやら。



「セブン・ソード」

2005年10月05日 | 映画
2時間33分という長尺だが、もっと長いのを縮めたみたい。ストーリー上の変換点をフラッシュバックで処理するなんて不自然な真似をずいぶんしている。

ドニー・イェンがさすがに目立っている以外、七人のキャラクターがあまり描き分けられておらず、どんな剣を持っているかでキャラクターが逆に決められてしまっているようなあたり、コスチュームや武器のデザインの凝り方とともにアニメかゲームを思わせる。川井憲次の音楽がお囃子みたいにずうっと入っているせいもあるか。

アップのモンタージュでアクションを誇張する演出なのだが、重厚感を狙ったせいかツイ・ハークとしてはカット割りが案外冴えない。
クライマックスの一対一の決闘はさすがに見せるが、狭い空間を生かした立ち回りの振り付けは同じハークの「天地大乱」に及ばない。

中国らしい空や太陽を見上げるような壮大なショットは魅力的。
原作の題名は「七剣下天山」。映画の原題は「七剣」。どちらもカタカナ題名より格好いいと思うが。
高麗人の会話の字幕に(韓)と注釈がついているのが御親切でなんか可笑しい。高麗人という設定の意味は今一つつかみにくい。原作読まないとわからない性格のことか。
(☆☆☆)



セブンソード

「NANA」

2005年10月04日 | 映画
原作は読んでいない。
人なつっこすぎて鬱陶しくもあるのと、プライドが高くておよそべたつけないのと、二人のナナの性格のコントラストは面白いし、キャスティングも成功している。
バンドの扱いはちゃんとしているが、音楽がすうっとフェイドアウトしたりして、ちょっと使い方が水っぽいのは惜しい。

こんなにやたら登場人物がタバコを吸っているのも珍しい。バンドやってて、特にボーカルが喫煙していいのかね。格好はつくが。

七階までいちいち歩いて上っていくのはニール・サイモンの「裸足で散歩」を思わせるが、登場人物のほとんど若くて元気なせいかほとんど意味がない。書留を届けに来た郵便配達が息を切らせているといった描写があってもいいと思うが。
(☆☆☆)



NANA -ナナ- Amazon

「実験劇場」

2005年10月03日 | Weblog
レインボーコート参宮橋にて、永妻晃演出。
綿矢りさ「蹴りたい背中」、いとうせいこう「幻覚カプセル」、別役実「受付」、永妻晃「サムシンググレイト」、鈴江敏郎「髪をかきあげる」と、短い劇の連続上演。おトク観あり。

それぞれ全然別だが、どれも一種幻覚的な表現では割と共通している。言葉一つで世界を作れるのが芝居の醍醐味。
「受付」で書かれた当時のものであろうべトナム戦争についての台詞がそのまま出て来た。看護婦(?)が昔の頭痛持ちの婆さんみたいにこめかみに四角い布を貼っているという妙な扮装。

子連れの客がしょっちゅうむずかる子供を外に連れ出していた。タイヘンだ。



「ブラックアウト」プロローグ

2005年10月03日 | ブラックアウト(小説)
 目の前に鉄の格子の扉が立ちはだかっていた。
 乗り越えようとすれば簡単な、鍵がかかっているわけでもない小さな門だったが、その前で立ちすくんで動けなくなった。
 門に閉じ込められているのではなく、入って行こうとしているのだったが、すでに自分が捕われの身になっていて、その捕らえているものが更に奥の閉ざされた所に自分を引っ立てている、そう思えた。
 門を開けて、中に入り、背中で閉めてそのまましばらく寄りかかってじっとしていた。それまで忘れていた顔の痛みを思い出し、手で切れた唇に手をやった。まだ血が固まり切っていない。人が見たら、口の横ばかりでなく、目のふちや頬骨のあたりにも痣ができているのが見えただろう。
 このまま行かなかったら、とは考えられなかった。考えないようにしていた。ポケットに手を突っ込んで、中の紙幣を確かめる。家の財布から抜いてきたものだ。
 植え込みの間を通り抜け、校舎の裏に出た。建物にそって、狭い道が伸びている。そこを通って行けば、彼らが待っている屋上に続く階段に辿り着くはずだ。
 だが、またそこで動けなくなった。足が地面に貼りつき、手の指一つも動かせない。脂汗だけが流れている。
 その時、意識が飛んだ。身体から離れ、上空に飛び立った。
 …目の前には、校舎の白い壁だけがある。だが、頭の中で見えているのは、檻だ。屋上にある、鳥を飼うための檻だ。
 ぼくではない誰かが、左手で矢尻の先を触っている。右手には、弓が…ボウガンがある。片手で操れるような小型のものだ。それで、檻の中の鳥を狙っている。屋上で待っている、奴だ。
(またか)
 奴の見ているものが見え、聞こえるものが聞こえ、感じるものが感じる。
手先の感覚だけでなく、人を痛めつけている時の頭がかっと熱くなるような歓びまで感じる。奴の後ろに二人、仲間が控えているのは見えないが、いるのはわかっている。
 奴らに殴られた傷がまた疼いた。
 そして、奴は鳥に矢を向けて、今にもボウガンの引き金を引こうとしている。ただ、ぼくが金を持ってくるのを待っているのにも飽きたのか。
(よせ)
 ぼくは叫ぼうとした。白い壁が迫ってくるように思えたが…また鳥が激しく羽ばたいている。
 暗い歓びが、頭を占領してきた。指に力が入る。
(よせ)
 弓が弾けた。目の前が白くなる。
 檻の中で、鳥の羽根が飛び散っていた。
 その瞬間は見ないで済んだ。が、かえって檻の下に横たわっている…ものが、なお恐怖と苦痛を訴えているようだ。
 檻の中に入っていく。奴は、それを拾い上げ、目の前で羽を広げて見た…見せた。さっきまで生きていたものが、雑巾のようにぐんにゃりした塊になっている。矢は胸に刺さったままだ。唇の横が歪んでいるのを感じる。おそらく、笑っているのだろう。手を放した。檻を出れば空を飛び回れたはずの小鳥の体は、あっさりどすんと下に落ちた。
 ぼくは、今度こそ叫びをあげた。

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