4月17日(日曜日)の皇居一周の後半戦。
半蔵門から(出発点の)竹橋まで。
上の写真は、中間地点の半蔵門。
半蔵門交差点を挟んだ右手に、変わった外観のビルが見える。下着のワコールだった。
右手に国立劇場、最高裁判所などを眺めながら三宅坂を下る。やがて「昔懐かしい」社会党の建物がある。もちろん現在は社会民主党だが、ぼくにとっては「社会党」である。
最高裁判所の建物の頂点は国会議事堂と同じ高さだが(三権分立の象徴だという!?)、下の写真で分かるように、社会党の建物は国会議事堂よりも高い。
20歳になって選挙権を得て以来、国政選挙から区議会議員選挙まで、ひたすら社会党に投票し続けてきた。社会党に政権を取ってほしいなどという気持ちはまったくなかったのだが、自民党に3分の2を取らせてはいけないという一心からだった。
鈴木茂三郎からはじまって、神近市子、高沢寅男、美濃部亮吉、田英夫などなど、彼らのイデオロギーなどあまり知らないままに投票し続けた。
社会党が存在し、決して自民党に憲法改正のために必要な3分の2の議席を与えなかったことは戦後の日本のためによかったとぼくは今でも思っている。
三宅坂の中腹で屋根のない二階建ての観光バスを見かけた。こんなバスが走っているのだ。
この辺りのお堀端は菜の花が満開で、先日のイタリアの風景を思い出した。
イタリアも日本と同じように不景気の真っただ中で、ベルルスコーニ首相は、わが菅首相と同じくらい人気がなく、最終日に半日だけ歩いたローマに街並みも、観光名所というには余りにも薄汚かった。“ローマの休日”を見たあとだっただけにがっかりした。
道路には100メートルおきに、各県の県花のレリーフが埋め込まれている。下の写真は家内の出身県である香川県のオリーブの花。
オリーブのうっすらとした緑色が大好きなので、わが家の玄関の両脇にも小豆島から持ち帰ったオリーブを植えてあるが、なかなか大きくならない。
そして三宅坂を下りきると桜田門。
どの辺で「桜田門外の変」は起きたのか。立ち番の警官は結構恐そうだった。
桜田門の向かいは警視庁。
ぼくには「七人の刑事」のタイトルバックになっていた旧舎のほうが懐かしい。
桜田門交差点の向こう側には、法務省の赤れんがの建物が残っている。かつては隣りの最高裁判所も同じような赤レンガだった。
日比谷公園を左折して、内堀通りに入る。二重橋を眺めて、大手門に至る。
大手門の右手の白壁が一部崩落していた。石垣も数十メートルにわたって崩れたいた。この間の地震の影響だろう。
やがて毎日新聞社のビル(パレスサイド・ビル)が見えて来て、終点が近い。
内堀と内堀通りの間に狭い公園がある。この辺りはまだ八重桜が咲いている。
銅像が建っていて、何やら由来が書いてあったが、読めなかった。地図で調べると「和気清麻呂像」とある。高校の歴史で聞いた記憶があるが、誰だかは記憶にない。
そして最後に、平川門に到着して、われわれの皇居一周体験は終了。
途中何度か休んだが、1時間30分程度で、歩数は1万歩弱だった。
2011/4/21 記