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2024年、明けましておめでとうごいざいます。
今年も、東急シルベスター・コンサート(テレビ東京)とともに明けました。
「豆豆研究室」を開設してから18年目を迎えます。今年も変わりばえのしないこと “Mixture as Before” を書き綴っていきたいと思います。よろしかったら、眺めてやって下さい。
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そして昨年、2023年も例年通り、東急シルベスター・コンサートを見ながら過ぎていきました。
「今夜は誰も眠らせない」と誰かが歌っていたにもかかわらず、1月1日(日)午前0時半頃に眠り、そして、午前5時20分ころに目が覚めた。
今朝もNHKラジオから、「放送開始100年記念プロジェクト 100人インタビュー」が聞こえてきた。なんと、毒蝮三太夫だった。2024年は毒蝮の声とともに始まった。
彼は民放(TBS?)の昼の番組でお馴染みだったが、実は子役出身で4、5歳だったかの頃から内幸町のNHKで、生放送に出演していたという。NHKの街頭録音の元祖、藤倉修一や、向島出身の鈴木健二らとも交流があったと言っていた。
90歳近いはずだが、聞こえてくる声はとてもそんな年齢には思えない元気な声だった。
次は高嶋秀武だった。
彼のオールナイト・ニッポンも聞いた。特徴のある喋り方で、わりと面白かった記憶がある。彼も小さい頃からのラジオ少年で、NHKの公開放送などに通い詰めたという。彼はもともとはスポーツ中継専門で採用されたそうで、志村清順(?)アナの思い出話や、彼も藤倉修一の思い出を語っていた。
高嶋は一時期テレビに出演していたのを見たことがあったが、すぐにテレビには向いていないことを見極めたのだろう、あっという間に消えてしまった。
80歳すぎの現在も現役で喋っていると言っていたが、彼の声も80過ぎとは思えない元気な声だった。80を過ぎても「喋り」の仕事がある現役というのは羨ましい。
今朝はこの2人の前に、笑福亭鶴光と東海林のり子も出ていたらしいが、彼らよりは毒蝮のほうが懐かしい。
2024年1月1日 記