ぼくが子ども(赤ん坊?)の頃、雑誌“主婦の友”のモデルをしていたことは以前に書いた。
たまたま母親の日本女子大時代の同級生が“主婦の友”の編集者をしていて、その縁で母親のところに社のカメラマンを連れて遊び(?)に来て、写真を撮っては雑誌に載せてくれたのであった。
母親のほうも、知り合いの日系アメリカ人が送ってくれたアメリカの家庭雑誌の記事を翻案して“主婦の友”に寄稿したりしていた。戦後まだ5、6年の当時は、アメリカ雑誌も入手困難だったので、そんな記事も掲載になったらしい。
かつて、ぼくと“主婦の友”について書き込みをしようと思って、ネットで“主婦の友”を検索したところ、“主婦の友”には“駒由美子”さんという編集長がいたことが記載されているのを発見した。同社が大日本印刷だったか東販だったかに買収される前には同社の取締役にも就任している。
さらに、「365日のお菓子・おやつ・パン」、「やさしい手作り布草履」などといった著書も同社から出版しているらしい。
実は、ぼくの世田谷区立赤堤小学校時代の同級生に“駒由美子”さんという子がいた。
アルバムを引っ張り出して遠足の集合写真をみると、べレー帽を斜めにかぶって、白のモヘアのカーディガンを羽織っていて、なかなかおしゃれな女の子であった。
小学校3年か、4年生の時にどこかから転校してきたように記憶しているが、当時から同級の男子よりもはるかに大人びていた印象がある。
主婦の友の“駒由美子”さんは、ぼくの赤堤小学校の“駒由美子”さんなのだろうか?
主婦の友社は、かつては、カザルス・ホール(現在は日大の法科大学院)のところにあった。現在の場所も、わが大学とそれほど離れていない。
もし赤小の“駒さん”だったとしたら、ずいぶん近くで幼なじみが活躍していたことになる。
お互いに気がつくことなくすれ違っていたかもしれない。
この前の2月3日の夜、お茶の水の駿河台大学法科大学院で研究会があった。
隣りが“主婦の友”の社屋だった。問い合わせる勇気はなかったのだが、思わず写真だけ撮ってきた。
研究会が終わって夜9時すぎに会場を出ると、雪が降り始めていた。アップした写真がぶれているのは、降り出した雪のせいではない。
2010/2/16