父も祖父も大学の教師だったが、昭和の大学教師は楽なもので、7月の中旬から9月の中旬まで、途中何度か会議などで帰京することはあったものの、まるまる2か月近く軽井沢に滞在して、勉強三昧の日々を送っていた。
それに比べると今どきの私立大学の教師は悲惨なものである。
高校生の息子は7月の2週目から夏休みに入って部活三昧だというのに、親のほうは20日すぎまで講義があり、講義が終わった翌週には前期試験が控えている。
試験が終われば学生たちは夏休みだが、教師のほうはその後数百通の答案読みと採点の作業が残っており、さらに今年からは優良可不可の分布まで“自己点検”して申告しなければならないというオマケがつくようになった。
これで終わりかというと、そうではなく、8月の1週目に追試が待っている。学生たちには“37度2分くらいの熱だったら這ってでも本試験を受けに来い、追試の採点は厳しいぞ”とおどすのだが、毎年必ず1、2名の追試受験者が出てくる。
不思議なことに5名以上になることもないのだが、1名もいなかった年も一度もない。
それでも、前期試験がようやく終わった7月31日、採点途中の答案の束を抱えて、朝から軽井沢に出かけて来た。
まずはツルヤに寄って食料を買い込んだのだが、店内の買い物客が何かくすんで、爺むさい印象。7月31日の午前10時頃のツルヤの店内には、本当に、子どもはおろか若者すらまったくいなかった。
この2、3年とくにその感を強くするのだが、軽井沢は高齢者の町になってしまったようだ。かく言う私自身もそのくすんだ爺むさい風景の一部になっているのだろうな、と思うとさびしいものがある。
もっとも、きょう帰りがけに再び立ち寄ったら、多少は若い家族連れもいたが、東京からのドライブで疲れたのか、父親に抱かれた小さな子が泣き叫んでいて、これには閉口した。爺むさくなく、騒々しくもない軽井沢、というわけには行かないのか。
翌日出かけたショッピングプラザでは、今度は犬を連れた人間が多いのに閉口した。犬に格負けしたような飼主もいれば、ローラ・アシュレイやジノリなど、入り口にペット連れの入店禁止のステッカーが貼ってあるのに、平然と犬を連れたまま店内に入り、展示された食器などの前で喉をなでたりしているのもいる。店員が注意しないのは困ったものだ。
女房と母親が旧道にも買い物に行くというので送った。
80歳をこえた母親だが、なぜか軽井沢での買い物となると、2時間やそこらは平気で歩き回る。
こちらはとても相手をしていられないので、どこかで雑誌でも買って車の中で読んでいようと思ったのだが、旧道を上から下まで歩いてみたものの、本や雑誌を売っているところがどこにもない。
かつては三笠書房や酒井化学、その後は三芳屋書店などがあったのだが、みんな店仕舞いしてしまった。
ようやく待ち合わせ時間になったので待合せ場所の観光会館に行くと、なんとそこで信濃毎日新聞が売られているのを見つけた。これが旧道で売られている唯一の“活字もの”ではないだろうか。
旧道は、今日では“文化果つる地”と成り果ててしまったようだ。今後女どもの買い物につきあって旧道へ来るときは、必ず本を持参しなければならないことを学んだ。
モームのように、いっそオランダ語の文法書でも常備することにしておけば、時間がつぶれるだろうか(S・モーム「書物袋」モーム短編集Ⅷ「この世の果て」新潮文庫)。
と、愚痴の三題噺でした。
* 写真は、1960年代の記憶を蘇らせてくれる「軽井沢その周辺--1964年版」(三笠書房、1964年)の表紙。1960年代の旧道の思い出は、この本によって甦るとともに、かなり修復された。
2006/8/2