豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『草軽電鉄の詩』 新装版

2008年09月18日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月9日に軽井沢の平安堂書店で買ってしまった『草軽電鉄の詩・新装版』。

 正確には、『「思い出のアルバム草軽電鉄」新装版 写真集 草軽電鉄の詩 懐かしき軽井沢の高原列車』と表紙には書いてある。
 思い出のアルバム草軽電鉄刊行会[編]で、郷土出版社の刊である。

 平安堂書店の店長さん(?)には、「表紙の装丁以外、内容は旧版と変わっていません」と答えたのだが、その後、最終ページに、発行者の郷土出版社社長、神津良子さんという方の「新装版あとがき」が加筆されていた。
 それによると、二人の子どもを育てながら編集に従事していた神津さんが、はじめて外に出て取材したのがこの本だったと記されている。
 
 創業が1975年と、意外にも新しい本屋さんであることも、この「あとがき」で知った。いずれにしても、重版に際して値段を下げてしまうなど、良心的な本屋さんであることが伝わってくる。

 この本によると、草軽電鉄は数回にわたって映画の背景として登場しているらしい。
 高峰秀子の“カルメン故郷に帰る”はDVDを見かけたことがあるが、森繁久弥の出ているという“山鳩”だとか、田中絹代の“マダムと女房”、菅原都々子“月はとっても青いから”なんていう映画を見ることはできるのだろうか。

 映画の中で、動いている草軽電鉄をぜひ見て見たいものである。

 * 写真は、『草軽電鉄の詩・新装版』の表紙。帯のように見える黄色い部分も表紙自体に印刷されている。
 表紙の写真のなかで、車窓の乗客に何かを手渡そうとしている白いブラウスの女性は、よく見ると、なんと山羊を連れている! 昭和21年に撮影された写真だそうだ。 

 2008/9/18

“メグレの途中下車”

2008年09月17日 | テレビ&ポップス
 
 久しぶりに“メグレ警視”ネタでも・・・。

 時おりチャンネルをひねっていて、偶然ミステリー・チャンネル(247ch)で“メグレ警視”シリーズをやっているのにぶつかる。

 最近では、
 “メグレと幽霊”(原作は“Maigret et le Fantome”,1963年、佐宗鈴夫訳『メグレと幽霊』河出書房“メグレ警視シリーズ5”)、
 “セシルは死んだ”(原作は“Cecil est morte,1939年、邦訳は無しか)、
 “メグレ間違う”(原作は“Maigret se trompe”,1953年、萩野弘巳訳『メグレ間違う』同シリーズ2)、などなど・・・。
 
 そして、きょうは、“メグレの途中下車”(原作は、“Maigret a peur”,榊原晃三訳『メグレの途中下車』同シリーズ4)。
 きょうの犯人は、時おりメグレものに登場する「異常犯罪者」。
 ただし、シムノンは、メグレに「正常な人間は人殺しなどしない」と言わせている。

 “メグレと幽霊”は原作(邦訳)では、舞台はパリ18区となっているが、テレビではなぜかフィンランドのヘルシンキが舞台になっていた。
 フィンランドでも放映されるので、視聴者に配慮したのだろうか。
 景色は悪くなかった。

 * 写真は、“メグレの途中下車”(ミステリーチャンネル 247ch )から。
 フランス車はフランスの風景に馴染んでいるのであって、シトロエンを日本で乗っても風景に馴染まないだろうか。



シトロエンC3 チャールストン (その2)

2008年09月16日 | クルマ&ミニカー
 
 もう一度、シトロエンC3 プリュリエル チャールストンのことを。

 “メグレ警視”シリーズなどをテレビ(ミステリーチャンネル247)で見ていると、フランスのクルマは、やっぱりフランスの風景の中でこそ生きているように思う。
 とくに、シトロエンなどは。

 海外のHPで見つけた“Citroen C3 pluriel Charleston”の壁紙も、背景にはしっかりエッフェル塔やセーヌ河畔などが描いてある。

 これが東京だったら、どこが似合うのだろうか。

 一昨日(9月16日)、ウィーン・フィルのコンサートが跳ねてから、サントリー・ホールを出て、夜の六本木界隈を歩いたけれど、あの町は今やポンピドーセンター化(?)してしまっていて、チャールストンは合わない。
 ごちゃごちゃした裏通りはまだしもだが・・・。

 四谷の迎賓館の前にでももっていけば似合うだろうけれど、それは東京の町に合うからではなく、迎賓館がベルサイユ宮殿を模倣した建物だからだけのことである。
 軽井沢はどうだろうか。
 
 もともとシトロエン2CVは、フランスの農民が年に1、2度だけシルクハットを被って車に乗るときでもつかえないように天井を高くしたというが、今度のチャールストンは都会向きだろう。
 しかし、わずか25kmの距離を2時間もかけてのクルマ通勤である。あのストップ&ゴーの繰り返しをクリープもない(だろう)チャールストンでは・・・、と考えると気持ちは萎える。

 丸いクルマなら、わが日産のマーチがあるではないか。
 マイケル・ムーア監督の“シッコ”には、マーチ(マイクラ)に乗って夜のパリの街を走り回るフランス人の医師が登場していた。しかも、助手席にあの巨漢のマイケル・ムーアを乗せてである。
 パリの濡れたような街灯の明かりが、マーチの白いボディに映って輝いていた。

 でも、ほしいなぁ・・・。

 * 写真は、前と同じ海外のHPから、Citroen C3 pluriel Charleston の壁紙。

シトロエンC3 チャールストン

2008年09月15日 | クルマ&ミニカー
 
 シトロエンC3に、“Charleston”というモデルが出るという記事をネット上で発見した。
 
 シトロエンC3は2CVをイメージしてデザインされたといわれていたが、これまでのC3は、ぼくにはあまり2CVを彷彿させなかった。しかし、この“チャールストン”は、ダークチェリーとブラックのツートンカラーに塗り分けられたボディからして、いかにも2CVの“チャールストン”を彷彿させる。

 “チャールストン”というのは、あのシトロエン2CVの末期に発売されたバージョンである。
 前に、“モース警部”のなかで書いたが、容疑者の愛人にして、オックスフォード大学の事務局の職員で、離婚歴のある女性が通勤に(そして密会の際にも)使っていたクルマである。

 ぼくは、以前からこのシトロエン2CVが好きだった。個性的なうえに、ビートルやミニほど普及していないので、希少性がある。
 昔、甲州街道だったか青梅街道だったかで、真っ黒な肌をしたアフリカ系の男が、ピンクに塗った2CVに乗っているのを見て、とても“格好いい!”と思ったことがある。横田基地のアメリカ兵のような感じだった。
 30年以上前のことだが、今でも鮮明に覚えている。

 本物を買う資力はなかったので、結婚前に女房からシトロエン2CV Safari”(サファリ)のミニカーをプレゼントされた。今もぼくの書斎の書棚に飾ってある。
 カーキ色のボディに、濃グリーンの迷彩が施されていて、ボンネットに虎が描かれている。ボンネットとルーフ、ドアが開閉する。
 “AUTO PILEN”の1/43 モデルで、Made in Spain と刻印してある。

 そのうち、2CVは生産中止となってしまったが、このたびのC3“チャールストン”の発売である。またしても心が動く。
 ただし、徳大寺先生の『間違いだらけの輸入車選び 2004年下半期版』(世界文化社、2004年、47頁)では、日本の市場で売りたいのならシトロエンはもっと勉強しなければいけないと、C3は酷評されていた。

 おそらく燃費は10km/Lそこそこ、回転半径も大きく、センソドライブというやつも、わが日本車のCVTやATには及ばないだろう。アフタケアも心配(C3だっていつの間にか販売終了になってしまった)。
 売り物のHBからピックアップまで5タイプに変化するといったって、結局はオープンにするのが関の山ではないだろうか。

 なんと言っても、現地価格が約2万ユーロというから、日本では300万円を超えてくるだろう。そこまで払って買うことはないだろうけれど、スタイルだけは気になる。
 プント・グランデ、フィアット500、アルファ・ミート、そして今回のシトロエンC3・チャールストンといい、どうして、ヨーロッパのクルマはこうも艶っぽいのだろうか。
 
 養老孟司さんの「反・エコ」論に賛成するなどと言っておきながら、このところ公表される新車情報を見るたびに、つぎつぎと心が動く自分が情けない・・・。

 * 写真は、どこか海外のHP(googleで“citroen c3 pluriel charleston”と検索したら出てきた)に載っていた“シトロエンC3 プリュリエル チャールストン”の壁紙。

きょうの軽井沢、メルシャン美術館

2008年09月10日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 2008年9月10日(水)、秋晴れ。 

 きょうは、帰りがけに、浅間サンラインを通って御代田のメルシャン軽井沢美術館に立ち寄った。

 実は昨日も青空がきれいだったので、浅間サンライン経由でメルシャン美術館に出かけたのだが、あいにく火曜日で休館日だった。
 ま、浅間サンラインのドライブということにして、御代田のツルヤで買い物をして帰宅。

 きょうは出直しで、メルシャン美術館によってから佐久インター経由で帰京することにした。
 そろそろ後期の講義も始まるので、そうそう軽井沢に来ることもできないので、一応この夏最後のつもりで片づけを済ませて、旧軽井沢の柏倉製菓で花豆赤飯、鳥勝で若鶏丸焼きという定番のお土産を買い、それから国道18号、浅間サンラインを普賢山荘で左折して、メルシャン美術館に。

 メルシャンでは、シャガール「花束(ブーケ)の伝説」展というのをやっていた。シャガールは、最初の妻からブーケを贈られて以来、愛の象徴としてブーケをたびたび描いた(り、彫ったりした)という。
 美術の教科書によく出てくるシャガールはなかったが、シャガールらしい作品が数十点飾られていた。
 絵画や版画の間に、シャガールのエピソードが紹介されていた。三番目の、そして最後の妻と語らっているシャガールの写真が、もっとも寛いでいた。

 昼食は、美術館の芝生でとることにした。白樺のあの独特の緑色の葉が秋の光をあびながら風に揺れ、秋風が頬に当たるのを感じながら、ゆったりとした時間が流れていった。

 あまり変わりばえもしないが、また来年卒業するゼミ生へのささやかなプレゼントにするために、フェルメールの(題名は分からないが、例の青いバンダナの女性を描いた)コースターを人数分買って帰った。

 * 写真は、きょうのメルシャン軽井沢美術館から眺めた浅間山。丘の上の“浅間八景”からのもの。

2008/9/10

きょうの軽井沢(2008年9月10日)

2008年09月10日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 息子と二人で9月7日(日)からきょうまで軽井沢に行ってきた。

 東京も昨日今日はずい分秋めいたきたようだが、軽井沢はさらに秋の気配が早く訪れ、8日の夜や翌明け方などは掛け布団一枚では寒いくらいだった。
 8日の夜8時頃の国道18号の表示では「気温14℃」となっていたから、10℃前後まで下がっていたのではないだろうか。

 しかし、その分、日中は、まさに「天高く」澄み切った青空となった。
 残念ながら、写真ではその清明さを写すことはできなかったが、きょうの正午すぎに、浅間サンラインから眺めた浅間山をアップする。

 きょうから逆算して、9月9日(火)、9月8日(月)、9月7日(日)の軽井沢の風景を順次アップする予定。

2008/9/10

水村美苗『本格小説』

2008年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 妹が、「軽井沢のことが出てくるよ・・・」と言って、「水村美苗」なる著者の『本格小説』という分厚い上下2冊の文庫本(新潮文庫)をおいていった。
 
 軽井沢では優先的に読むべき本があったので、暇な時に上巻の3分の1くらいだけ読んだ。
 正直言って、何でこの本が『本格小説』という題名を名乗り、「読売文学賞受賞!」だったり、「生まれながらにして究極の古典、と絶賛された」のか(いずれも同書の腰巻の文章)、ぼくには分からない。
 
 上巻の3分の1くらいまでは、著者本人らしき人物のアメリカでの生活が書かれている。
 高度成長期に、企業戦士としてアメリカに出陣して行ったサラリーマン一家の物語である。ここは、著者の実体験に基づいているらしく、いわゆる“アメリカ体験物”として、それなりに読める。
 そのうちに、金持ちのアメリカ人に雇われた「お抱え運転手」の「東太郎」という人物が登場し、やがて次第に立身出世をしていく。
 
 この「東太郎」が残りの話の主人公になるのだが、前書き部分からは、この人物の前半生がどんなものだったのか、ぜひ知りたいという気持ちがまったく湧いてこない。
 加えて、後半の「東太郎」の物語を語る「土屋冨美子」と、その話を「水村美苗」に伝えることになる何とか佑介との出会いが、いかにも唐突というか、ご都合主義的である。
 夜道に迷って、追分の別荘の植え込みに自転車を突っ込ませた若い男に、別荘の主である女が、家に招き入れたうえに、突然「東太郎」の話を語り始めるというのである。
 数年前まで女房が熱中していた韓流ドラマの筋立てである。

 その後のストーリーもついていけない。

 どうも著者は、昨今の軽井沢に豪華な別荘を建て、敷地の周囲に鉄柵などを設けるような成金を蔑視して、自分も含めたそれ以前の軽井沢別荘族の優越を示したいらしいのだが、その優越感は、たんに高度成長成金が後から来たバブル成金を蔑むだけにしかみえない。
 後半から脇役として登場する「三姉妹」が何とも蓮っ葉な会話を繰り広げる。旧軽井沢の広い敷地内に二棟の洋館を有する上流階級の老女らしいのだが、彼女らが交わす「女中」談義など、いかにも「品格」がなく、これが延々と続くのにはウンザリさせられる。 
 旧軽井沢族の出自を示すために出てくる「成城学園初等学校」、「教育大学付属中学」、「三菱商事」、「横浜正金銀行」、「貴族院議員」、「東大医学部助教授」などなども、いかにも紙切れ一枚の履歴書風で、登場人物の造形が薄っぺらである。
 「万平ホテル」、「紀ノ国屋」、「栄林」、「スコルピオーネ」なども同様である。それでいて、本来の旧軽井沢族からは顰蹙をかっているはずの「プリンス・ホテル」などを結構ありがたがっている。

 クライマックスの愛の告白シーンも、『嵐が丘』のヒースクリフを気取ったつもりらしいが、舞台がすすきの繁る信濃追分では、いくらヒーローが生蕃の血をひく混血児、縮れ毛の男でも無理がある。
 満蒙開拓団の帰住開墾地である大日向村あたりを舞台にしていれば、まだ少しは現実的だったのに、と思う。

 その他、細かい不満点をいくつか。
 ① この本には、時代背景となる太平洋戦争のことがほとんど描かれていないが、戦時中の軽井沢には合法的に兵役を逃れた上流階級の子弟などが結構いたという。戦前からの旧軽井沢族を描くなら、もっと戦時中のことを書くべきだろう。
 上流階級が暢気な疎開生活を送る一方、スパイが暗躍し、特高の目が光る軽井沢があったはずである。
 
 ② 戦後になって、俗化した軽井沢を嫌って外国人が野尻湖に逃げていったというのは、昭和30年代前半の軽井沢を知るぼくとしては異論がある。昭和30年代前半には、まだ軽井沢には多くの外国人が滞在しており、旧道などでも外国人の老夫婦などが歩いているのをよく見かけた。 
 三笠書房には外国人相手の洋書や洋雑誌が置かれていたし、「紀ノ国屋」ができる前から「明治屋」にはアメリカ人好みの食料が並び、ドイツ人相手の(看板がドイツ語で表記されていた)「デリカテッセン」などもあった。軽井沢から外国人がいなくなったのは、高度成長成金が席巻し始めた昭和35年(1960年代)以降だという印象をもっている。
 軽井沢の上流階級の別荘生活を知りたいのなら、朝吹登美子の『私の軽井沢物語』などのほうがあっけらかんとしていて嫌みがないと思う。軽井沢の戦時中のことは、遠藤周作の『薔薇の館』がいい。 

 ③ 個人的には、土屋冨美子が東京で生活する「豪徳寺」をもっと書き込んでほしかった。成城などとは違った、あの豪徳寺の猥雑さを。 
 
 それでも、軽井沢で上巻の3分の1、帰京してから、大学への往復の車内などで、所々飛ばしながら、残りも一気に読み終えた。
 それは何故だろう。舞台が軽井沢、追分、そして豪徳寺など、なじみ深いところだったこともある。ストーリー展開が、少女マンガか韓流ドラマのようなご都合主義的だったのも読みやすかった一因だろう。
 題名とは裏腹に、《通俗小説》ないし《風俗小説》だったことが、ぼくを最後のページまで辿りつかせてくれたのだと思う。
 
 * 写真は、9月9日に、息子と歩いた旧軽井沢の別荘地の通り。“プリモ”から旧道に向かって歩く道すがら、《重光》という表札の別荘があった。まさかこの本に出てくる《重光》家ではないだろうが・・・。下に小さく《土屋》と書かれた表札はなかった。

 2008/9/9

JA軽井沢農産物直売所(2008年9月9日)

2008年09月09日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 2008年9月9日(火) 秋晴れ 

 軽井沢で買って帰るお土産の定番といえば、前にも書いた旧軽テニスコート近くの柏倉製菓の花豆赤飯、鳥勝の若鶏丸焼き、そして、夏場は農協のトウモロコシ。
  
 いつも“佐久農協”と書いてきたが、今回も定番のトウモロコシを買ったところ、透明なビニール袋に入れてくれたが、その袋に、“JA佐久浅間 軽井沢農産物直売所”とグリーンの文字で印刷されていた。これが正式な名称らしい。
 
 わが家のお奨めは、“サニー・ショコラ”という品種。今回買って帰ったのは、「柳沢きく」さんの作品であった。
 ここのトウモロコシは自然の甘みがあって、とにかく美味しい。とくにもぎたての当日は生でも食べられる。
 
 9月10日(水)に帰京予定だったので、帰りがけに立ち寄ればよかったのだが、あいにく、まさに9月10日から水曜日が定休日になってしまうとビラに書いてあった。去年の秋にも、水曜日に出向いたら店が閉まっていた。
 そのため、仕方なく前日の9日に買っておいた。そして、1日おいて10日の帰京後に食べたが、十分に美味しかった。

 ちなみに、この日、御代田のメルシャン軽井沢美術館にドライブに出かけたのだが、メルシャン美術館は火曜日が休館であった。 
 もともと余りに青空が澄みわたっているので、浅間サンラインをドライブすることが目的で出かけたので、それほどがっかりはしなかった。翌日出直すことにして、御代田のツルヤで買い物だけして帰宅した。
 もう一つ、ちなみに、追分の“峠のそば茶家”は木曜が定休日である。

 しかし、そろそろトウモロコシの季節も終わりである・・・。 

 * 写真は、JA佐久浅間 軽井沢農産物直売所の駐車場。

2008/9/9

壺井栄『母のない子と子のない母と』

2008年09月08日 | 本と雑誌
 
 軽井沢第2日目、9月8日(月)。朝のうち曇り、のち晴れ。
 
 大した期待もなく、一応軽井沢ショッピングモールに出かける。予想通り大した掘り出し物はない。息子は、迷った挙句に“LACOSTE”で秋物のスポーツシャツを買う。
 その後、旧道に出かけて、“サン・モトヤマ”でJIM THOMPSON のシャツも眺める。いいのがあったが、値段もいいので諦める。

 混雑する昼時をさけて、2時すぎに追分(借宿?)の“峠のそば茶家”で、天せいろ×2。

 家に戻って、父子ともども勉強を。

 ふと、母が軽井沢に運び込んだ書物を並べた書棚を眺めると、以前石井桃子さんが亡くなった時にこのコラムに書き込んだことの誤りを発見した。
 石井さんの“ノンちゃん雲に乗る”が新東宝の製作で、原作は光文社の刊行だったことに驚いたと書いたついでに、当時の光文社からは壺井栄の『右文覚え書』など良心的な本も出ていた、と書いたが、『右文覚え書』は筑摩書房刊だった。

 昭和20年代末の当時、母が壺井栄のファンだったらしく、筑摩書房刊の『壺井栄作品集』という新書形式の全集が並んでいて、その中に、『右文・・・』もあった。
 しかし、光文社からも、単行本の『母のない子と子のない母と』や、新書版(カッパ・ブックス)の『岸うつ波』などが出ていた。光文社が壺井栄を出していたことは間違いなかった。

 実は私の女房は小豆島の出身である。義母は戦後の一時期小学校の教員をしていたことがあり、壺井栄・繁治夫妻や坪田譲治とも親交があったという。
 何か因縁があったのだろうか。

 ちなみに、ぼくの大学時代の恩師は、高峰秀子のファンだった。高峰秀子が松山善三と結婚した時、東大時代の同級生に、「助教授、助監督に敗れる!」と冷やかされたという。当時ぼくの先生はまだ助教授で、松山善三も助監督だったらしい。
 そんなわけで、ぼくが小豆島出身の女房と結婚すると報告した時、ひどく羨ましがられた。先生にとっては、高峰秀子は『二十四の瞳』の大石先生であり、小豆島出身の女性はすべて大石先生に思えたのだろう。

 夜、国道沿いのマツヤと平安堂書店に出かける。
 平安堂書店のレジ前に置かれた“軽井沢関連書コーナー”を眺める。8月に来た時と変わったものはなかったが、『草軽電鉄の詩・新装版』(郷土出版社、1680円)を買ってしまう。古本屋で買った旧版を持っているのだが、やはり古本臭がしていたので・・・。
 
 レジにいた店長らしき男性に話しかけられる。「お問い合わせの多い本でした」とか。
 「中味は変わっているのですか」と聞かれたので、「表紙のデザイン以外は変更はありません。でも、値段が旧版よりも安くなっています。この本屋さんはずい分良心的です」と宣伝しておいた。
 ひょっとして、ぼくのこのコラムが需要を喚起したのではないかと自惚れる。

 ぼくより1まわり以上若そうな店長は、地元の人のようだったが、草軽電鉄を見たことがないという。 
 ぼくは旧軽井沢駅に止まっている草軽電車を見たことがある。そして、旧軽井沢駅のトイレを借用したこともある。残念ながら乗ったことはない。


 * 写真は、軽井沢の書棚で見つけた壺井栄の『母のない子と子のない母と』(光文社)の表紙。

豪雨の上信自動車道(2008年9月7日)

2008年09月07日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月7日(日)の午後2時すぎに、東京を出発し、大泉インターから関越自動車道に入り、藤岡IC経由で軽井沢に向かった。

 東京を出るころは日も射していたのだが、鶴ヶ島を通過するあたりから文字通り「雲行き」が怪しくなり、花園あたりから大粒の雨がフロント・ガラスにバシバシッ!とぶつかり、ワイパーを最速にしても時おり前方が見えなくなるくらいの豪雨となった。
 
 初めての経験である。気象的には日本は「亜熱帯」になったとテレビで誰かが言っていたが、ほんとうにハワイなどで経験したスコールのような雨だった。
 怖いので、左側車線に移って50km前後で、前方のクルマの車幅灯を目印に走った。

 ところが、上里SAが近づく頃には、雨は上がっていた。と言うより、花園の辺り一帯だけが豪雨で、豪雨地帯をぬけると、まったく雨など一滴も降っていなかった。
 
 上里で小休憩を取り、今度は息子の運転で上信自動車道に入る。
 すると、甘楽の手前あたりで再び豪雨となった。今度はさっきのよりもさらに激しい雨である。
 隣りの車線を追い越してゆくクルマの跳ね上げる水しぶきで、一瞬まったく前が見えなくなることもある。
 そして、また、富岡の辺まで来ると、先ほど同様一滴の雨も降っていない。まったく雨の気配などなく、道路も乾燥しているのである。

 今年の夕立ち(?)はずい分局地的である。4時すぎに軽井沢到着。
 いずれにしても、恐ろしいドライブであった。
 
 * 写真は、9月7日の雨の上信自動車道。雨は小降りになっている。豪雨の真っ最中は、いくら助手席に座っているだけと言っても、とても写真を撮っている余裕はなかった。

 2008/9/7

ホンダ インサイト

2008年09月05日 | クルマ&ミニカー
 
 ・・・ と言いつつ、こんな書き込みをするのは憚られるのだが、やっぱり気になるので。

 きょうの朝日新聞の経済面に、ホンダが“新型ハイブリッド インサイト 初公開”という記事が写真つきで掲載されていた。
 ホンダが新しいハイブリッド専用車をパリのモーター・ショーに出品するというのだ。
 
 ホンダが200万円以下のハイブリッド車を2009年に発売することは、いつだったか社長自身が発表しており、それがアメリカで販売している電気自動車クラリティに似ているとか、プリウスにそっくりだとかいうことは、あちこちのクルマ雑誌に予想写真入で載っていたから、正式発表自体は驚くことではない。

 問題は、その具体的な数字とカタチである。
 朝日の記事には出ていなかったが、さっそくネットで調べると、この新型ハイブリッドは、“インサイト”を名乗り、サイズは、1.69m×4.37m で、ちょうどフィットとシビックの中間らしい。
 5ナンバーというのは、いいじゃないか! ぼくのことを考えてるな、という気にさせる。ヨーロッパ車がどんどん車幅を拡大する中で、5ナンバー維持はかえって日本車の特徴となるのではないか。
 ホンダのクルマは回転半径が大きいことを割り引いたとしても、1.69mはいい。

 エクステリアははっきり言って“いけてない”感じ。旧インサイトの先進性も、クラリティの近未来性もなく、なんだかプリウスそっくりの印象。
 “インサイト”を名乗るんだったら、4人乗りのクーペ(場合によっては2ドア)でもよかったのに・・・。意外なほどにずんぐり型になってしまったが、せめて後席のヘッドクリアランスとともに、左後方の視界もプリウスよりよくなっていることを期待したい。

 肝心の燃費についての情報は、新聞にもネットにも出ていなかった。しかし、“インサイト”を名乗るということは、旧インサイトの36km/Lよりは行けるということだろう。
 一時期、旧インサイトは、プリウスを凌いで燃費日本一を標榜していたことがあった。おそらく今度の“インサイト”も、プリウス以上の数値を出してくるのだろう。
 もっとも、あの数字はなんともウソ臭くて、誰もあまり信用していない。そろそろ実態に近い基準に変更すべきだろう。消費者保護の時代に、なんであんなインチキな数字がまかり通っているのだろう。

 エコの名のもとに、ハイブリッド車への買い替え需要を喚起して、その裏側で再資源化などのために無駄なエネルギーを消費することの方が、よほど反・エコだという養老孟司さんの発言は、そのとおりだと思うのだが、正直なところきょうの記事に心動いてしまったことも事実である。

 ぼくは、軽井沢などへのドライブも含めてせいぜい月平均で300km、年間で4000kmくらいしか乗らないので、燃費自体はあまり気にしていないのだが、週1回のクルマ通勤の際の渋滞時のアイドリングに強い罪悪感を感じている。
 なんせ25km程度の距離を1時間半から2時間近くかけての通勤である。ほとんどがアイドリングといっても過言ではない。道路脇の電信柱に「周辺住民に優しさを! アイドリング・ストップをお願いします」という張り紙があったりすると、本当に申し訳ない気持ちになる。
  
 一時は小まめにアイドリング・ストップをしてみたが、エアコンが止まり車内は曇る、方向指示器もブレーキ灯も止まる、雨の日などワイパーまで止まってしまう・・・では、かえって事故になりかねないと思ってやめた。
 燃費よりもアイドリング・ストップ装着車ということで、プリウスやヴィッツ1000を考えたこともある。

 とうぶんはランクスで行くけれど、当然アイドリング・ストップだろうから(違うかも?)、やっぱりインサイトも考えてしまう。
 総体的に見れば、こんな欲求も、養老さんに言わせれば「反・エコ」なんだろうけれど・・・。

 * 写真は、ホンダのハイブリッド専用車“インサイト”。フジ・サンケイ・ビジネスのHPから。
 

フォルクスワーゲン ゴルフⅥ (その2)

2008年09月03日 | クルマ&ミニカー
 
 夕べ、近くの書店に立ち寄って、クルマ雑誌を立ち読みした。

 各誌に、10月にドイツ本国で発売されるVWゴルフⅥの記事が掲載されていたが、雑誌名は忘れてしまったが、そのなかの1冊に、ゴルフⅥのボディ・サイズの予想が載っていた。
 それによると、今度のゴルフの車幅は現行より約20mmアップの1779mmになるとあった。ショックで車高、全長の数字など忘れてしまった。
 
 「ゴルフよ、お前もか!!」と叫びたい。

 恐れていたシロッコの1810mmとまでは行かなかったが、それにしても、どうして最近のヨーロッパのコンパクト・カーはこんなに車幅を拡張するのだろうか。
 ちょっと前までは、ベンツCクラスだって1730mmくらいだったのに。1779mmといったら、ほとんどクラウンと同じである。
 確かにここ数年、パリなどは路上駐車がめっきり減って、道幅が広くなったような印象はあるが、それにしたって大した道幅ではない所が多いではないか。
 やっぱりアウトバーンを高速走行するためのクルマなのだろうか。

 通勤で通るわが道路事情を考えると、1779mmはかなり気持ちが悪い。
 雨の日に傘をさしたチャリンコを追い越したいけれど対向車が近づいているとき、右折車が交差点で停車しているのでその左側を通り抜けたいけれど微妙な幅しかあいていないといったとき、運転が下手なぼくとしては、車幅が1695mmをこえるのは、何とも気分が悪いのである。
 
 つぎはゴルフでも・・と思っていたのだが、1779mmというのを見て気分は一気に萎えてしまった。燃費は20km/Lを超えるだろうなどという予想記事にもかかわらず、である。
 
 ちょうど8月31日の朝日新聞の“opinion”欄に載っていた養老孟司さんの反・エコブーム論を読んで、共感した直後でもあった。
 養老さんは、「環境のためにハイブリッド車への乗り換えを」などと政府が道徳を国民に押し付けるな、環境のためなら、クルマに乗る回数を減らし、買い替えを控えることの方がよっぽど大事だと言う。

 まさにそのとおりだと思う。前にも書いたが、うちの近所の人たちはみんなクルマに長く乗っている。ベンツ、BMWなどかなり年代モノが車庫に駐めてあるし、ヴェロッサ、ユーノス500なども健在である。ロゴ、シャレードなどという懐かしい家もある。
 もう1回だけ買い替えて、10年くらい乗ってクルマはお終いにしようと思っていたけれど、壊れないのだったら、わが家もランクスとともにクルマ人生をおしまいにしてもいいかな、とも思う。

 * 写真は、VWのGolf Ⅵのリア・スタイル。asahi.comの記事から。
 

弘田三枝子“ミコちゃんのヒット・キット・パレード”

2008年09月02日 | テレビ&ポップス

 弘田三枝子の“子供ぢゃないの”、“悲しき片想い”は、絶対にお茶の水界隈の古レコード屋の店先で見つけてやろうと誓いを立てたのだったが、最近は何かと雑用が多くて、授業の合間にぶらぶらと町を歩いて、本だのレコードだのを探している暇がない。

 そんなことをしているうちに、今なら買えるCD版すらなくなってしまうおそれもある。げんに、少し前まではネット上の目録に載っていた田代みどりの“パイナップル・プリンセス”などが入ったベスト・アルバムがなくなってしまった。

 そこで、とうとう古レコード屋で見つけることは諦めて、アマゾンで、“ミコちゃんのヒット・キット・パレード”(東芝EMI)を買った。2005年6月15日の発売らしい。
 さっそく聞いてみた。“子供ぢゃないの”は、意外にも、弘田三枝子節が炸裂していた。もっとヘレン・シャピロ風に歌っていたように記憶していたのだが・・。“悲しき片想い”は記憶どおりの歌い方だった。

 あの頃、1964、5年頃、中学生だったぼくは、舶来のポップスを時には原曲で、時には日本人歌手の訳詩で聴いていた。上の2曲は、弘田三枝子もヘレン・シャピロも、両方ともに懐かしい。

 * 写真は、弘田三枝子“ミコちゃんのヒット・キット・パレード”のジャケット(裏面)。弘田三枝子を“ミコちゃん”と呼ぶのは気恥ずかしいけど。