気ままに

大船での気ままな生活日誌

故郷

2011-04-01 10:38:45 | Weblog

4月に入った。春らんまんの季節だが、心から喜べない。昨晩もNHKが、家族を失い、家を失い、避難している方々の心のケアの問題を扱っていた。私を捜しに行ったために、息子が死んだ、と自分を責めつづける年老いた母。やさしく、語りかけ、凍りついた心をほぐす医師。涙なしにはみられない光景だ。もう当分、帰れない故郷、そういう人が何十万人といる。ときどき、テレビでみせる彼らの明るい笑顔は、そのときだけのものだ。圧倒的な時間は暗くて、重くて、どんよりした得体の知れない何かが、彼らの心をうめつくしている。

福島原発の廃炉化には、うまくいっても、20~30年もの年月がかかるという(テレビで、楽観的な、あの学者でも、10年以上と言っていた)。その間、健全な原子炉と違って、冷却化している間に、放射線漏れは続くだろうし、いつ、また事故が起こるか分からないから、避難した住民は故郷に戻ることはできない。フクシマの人々は、天災プラス人災で、チェルノブイリの人達と同じ運命をたどることになってしまった。人ごとながら、悔しくてしようがない。廃炉化にも膨大な時間と経費がかかり、さらに核ごみは放射能を出し続けるので、永遠に特殊管理するか、地中深く埋めこまなければならず、末代の子孫たちに大きな迷惑をかける、こんな下らない技術を、人類はよく導入したものだと思う。自分らの代だけ良ければという魂胆も気にいらない。今は言わないが、他の分野でも、まだ実用化していないが、下らない先端技術の開発が行われている。

去年の夏、船旅をしたとき、ウクライナの民族弦楽器バンドウーラ(60本も弦がある)を演奏しながら、水晶のように透き通った歌声を聞かせてくれる”ウクライナの歌姫”ナターシャ・グジーさんのコンサートを聞いた。6歳のときに(1986年4月6日)、父親が勤務していたチェルノブイリ原発事故が起こった。3.5キロほどしか離れていない場所に住んでいて、はじめ、たいした事故ではないと知らされていたそうだ。しかし、次第に事の重大性が分かり、3日後に住民は遠方に避難させられた。今もって、故郷には誰も帰れないそうである。3日間も被曝し続けたわけだから、それが原因で亡くなる人も多数出たし、身体の不調が続いている人も多い。自分も被曝者なんですよ、と悲しそうな顔をされた。そして、ラストソングは日本の歌、”故郷”だった。故郷に帰れない彼女の気持ちを想い、胸がいっぱいになってしまった。

故郷

作詞:高野辰之
作曲:岡野貞一

兎追ひしかの山、
小鮒釣りしかの川、
夢は今もめぐりて、
忘れがたき故郷

如何にいます、父母、
つつがなしや、友がき、
雨に風につけても、
思ひいづる故郷

 

 

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