気ままに

大船での気ままな生活日誌

八幡さまで追善供養・復興祈願祭

2011-04-15 18:19:54 | Weblog

大震災から一カ月後、鎌倉の鶴岡八幡宮で、神道、仏教、キリスト教の関係者が一堂に会し、犠牲者への追悼と被災地の復興を祈る、”追善供養復興祈願祭”が行われた。そのことは、朝日新聞の小さな記事になったので知っていた。今日、ポストに入っていたミニコミ紙(タウンニュース)に、より詳しい記事が掲載されていたので、紹介しておこうと思う。

この日、集まった宗教家は400人、鎌倉市の内外からの一般参加者も1万人に以上にのぼったという。ぼくは、うかつにも、この集まりについて事前に知らず、参加することが出来ず、本当に残念だった。舞殿でのお祈りの後も、各宗教一体となり、由比ヶ浜海岸まで托鉢しながら歩き、海岸では、海に向って祈りがささげられた。一般参加者も焼香しながら海の平穏と犠牲者の冥福を祈ったそうだ。

神道、仏教、キリスト教が一体となってというのがいい。日本だからできる、日本人しかできないと言っていいかもしれない。日本人の多くは、お宮さまにお参りし、お寺さまにもお世話になり、道祖神さまにお辞儀をし、近代ではマリアさまにも手を合わす。山や海や川に、また巨樹や巨石にも神を感じる、いわゆる”多神教”である。ぼく自身もそうだ。菩提寺の宗派なぞ関わりなく、どのお寺さんにも”平等”にお参りするし、お宮さんも、八幡さまから地元の鎮守さま、まで、分け隔てをしたことはない。だから、今回のような非常な国難のとき、異なる宗教があつまり、オールジャパンとしてお祈りすることは、よく理解できるし、とてもいいことだと思う。

原発事故も大変な事態になっている。人智では制御できないことがほぼ明白になった。あとは神に祈るばかりだ。鎌倉のように、全国の大きな神社を拠点にした、宗教者と一般人の合同祈願祭でもしなければ、原発君おさまってくれないだろうか。

鎌倉のどのお寺さん、お宮さんでも、義捐金箱が設置してあるし、物故者追善法要なども予定されている。昨日、訪れた長谷寺もそうだった。

。。。。。

 

聖観世音菩薩尊像と虚子の句

永き日のわれらが為めの観世音 虚子)

 

 

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鎌倉の海棠

2011-04-15 09:17:24 | Weblog

鎌倉の海棠というと、まず長谷の光則寺、そして妙本寺、海蔵寺とつづく。昨日、鎌倉は初夏のような陽気だった。ふたりで海棠見物に出かけた。まず、江ノ電で長谷駅で降り、光則寺に。門前の枝垂れ桜はもう名残もなかったが、山門近くの海棠がピンク色に染まり、これなら大丈夫とほくそえんだ。本堂前の樹齢200年以上を数える、市指定天然記念物の海棠は予想通り、見事な花を枝という枝につけていた。満開である。10時半頃だったが、もう十名ほどの人々が集っていた。

境内には、天然記念物のよりは若い(笑)海棠が、5,6本ある。その一本の海棠の影にもう刻まれた字がよく読めなくなっているが、宮澤賢治の詩碑がある。”雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・”である。賢治の生まれ育った岩手県も、今、苦しみの真っただ中にある。きっと、誰もがこのフレーズをつぶやき、ふうっと細い息を出していることだろう。

うちは、被災地になった釜石のわかめをいつも味噌汁につかっている。先日、ワイフが歌舞伎座前の岩手県アンテナショップにこれを求めに行ったが、もうなくなっていたそうだ。その代わりに宮古産のを一箱買い、今晩の味噌汁から入ることになっている。がんばれ東北と、わかめをかみしめたいと思う。

宮澤賢治の詩碑

妙本寺の海棠も満開だった。小林秀雄と中原中也の思い出の海棠だ。

 

この日、猫は一匹しかみかけなかった。あとの二匹はどうしたのだろうか。

海蔵寺は、残してしまった。明日にでも行こう。

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