4月10日 戸塚・柏尾川 桜。
3年ぶりに訪れた。戸塚は駅周辺の再開発で、道が分かりにくくなり、柏尾川になかなか辿りつけなかった。岸辺の桜は満開だった。桜色の桜橋の向こうまで歩いて桜見物をした。向こう岸に、少年野球のチームが桜をながめていた。わんこが川に入り、水浴びをしていた。焼きとうもろこしの臭いがプーンと流れてきた。のどかな風景だった。
4月10日 戸塚・柏尾川 桜。
3年ぶりに訪れた。戸塚は駅周辺の再開発で、道が分かりにくくなり、柏尾川になかなか辿りつけなかった。岸辺の桜は満開だった。桜色の桜橋の向こうまで歩いて桜見物をした。向こう岸に、少年野球のチームが桜をながめていた。わんこが川に入り、水浴びをしていた。焼きとうもろこしの臭いがプーンと流れてきた。のどかな風景だった。
満開になった桜並木の八幡宮・段蔓を歩いて帰る午後、若宮大路から女性の声が聞こえてきた。耳を澄ますと”原発さん今までありがとう・・原発さん、さようなら”と言っている。何だろう、とぼくは、段蔓のすきまから若宮大路に出て、見渡した。すると、長いデモ隊がつづいているではないか。数百人の規模だ。いろいろプラカードを掲げている。それで、すぐ分かった。市民の反原発デモだった。
プラカードには、”イマジン原発のない未来” ”Power to the people"、(ジョンレノンとオノヨーコの写真もあった)、”原発さんおつかれさま、節電するので大丈夫です”、”平和”、”自然”などの言葉の中に”NO NUKES”の言葉をみつけた。なつかしく思った。ぼくはカリフォルニアのバークレーにいたことがあるが、ここの大学の学生広場でよくみかけるプラカードの言葉だった。よく知られているように、ここはヒッピー文化や学生運動発祥の地である。だから、ぼくがいたころも、よく学生集会が開かれていた。そのときの、”NO NUKES”には、原爆だけではなく、原発反対の意味も含まれていたのは間違いない。スリーマイル島・原発事故が起こったすぐ後だったから。また、市民のライフスタイルも、同様、進歩的であり、たとえば”自然食”は早々と取り入れられていて、自然食レストランもあった。
鎌倉もバークレーと似たところがあるかもしれない。大学はないけれど(追記;すみません女子大がありました)、進歩的な文化人は多いし、また食の安全にうるさい人も多い。鎌倉にお住まいの、”いのちのスープ”で有名な辰巳芳子さん。ある週刊誌で、原発事故に対し、激しい怒りをぶつけていた。原発はいったん事故を起こせば、食料の安全性と自給率を揺るがすものだからと一貫して反対してきたそうだ。それがこのざまで、悔しくて悔しくてしようがない、という文章だった。今の、フクシマ原発の状況をみていると、放射能が鎌倉野菜を汚染する日がこないとは限らないのだ。食のエキスパートの言葉は、ほかの誰の言葉より重たい。ぼくが、いろいろ読んだ中で、一番印象に残った原発反対の文章だった。
NO NUKES ぼくも支持します。
4月10日。わが町、砂押川の桜並木、満開になりました。松竹大船撮影所開設記念の桜。”昭和11年生まれ”の古木です。原節子桜(ぼくがつけたあだな)は、今年の開花トップの座は譲りましたが、その後、順調に開き、現在は8分咲きで、蕾もまだあります。若々しい姿をみせています。”お父様、わたくし、まだお嫁さんになりたくないんです”といった風情。
往年の松竹スターの面影を今につたえる、それぞれの桜。今朝は、椿や花桃や、パンジーなどの名脇役と共に、プロマイドにしてみました。
まず、松竹女優さん勢ぞろいのプロマイド
記念式典には赤じゅうたんをひいて
原節子桜のアップ。 若々しいです。
椿姫と田中絹代桜
桃ちゃんと司葉子桜
お花畑と岸恵子桜
いかがでしたか。なかなか、いい桜並木でしょ(えへん)。近くの方はおいでください。近くのマンションにいますので、声をかけてくだされば、被災地、宮城県のお酒、浦霞をふるまいます。
では、これから、市内の桜見物に行ってまいります。桜見物では疲れを知りません。