気ままに

大船での気ままな生活日誌

斎藤佑樹 初登板初勝利

2011-04-17 18:28:24 | Weblog

今日は、期待のルーキー、斎藤佑樹が初登板するというので楽しみにしていた。午後1時。少し緊張の面持ちでマウンドに上がる斎藤。ロッテ先頭打者、岡田。プロ第一球、ストライク!いいぞ。そして空振り三振!!そして二番、二塁ゴロ、打ち取った・・と思ったら名手、田中がエラー。そして、井口にツーランホームラン。先制される。悪夢がよぎる。しかし、その裏、大変なドラマが待っていた。三つの四球で塁を埋めたあと、好調の6番打者ホフパワーが、なななんと満塁ホームラン。 これで決まった。そのあと、ゴロの山。2,3,4回と零点に抑える。5回もツウアウトをとって、これでよしと思ったら、里崎の何でもない三塁ゴロを、名手の小谷野がエラー。そのあと、気を落としたか、三連続安打で2点を失う。それでも勝ち投手の権利をもって5回終了。ここで、ぼくも散歩に出かける。

帰ってからネットで調べると、リリーフ陣が押さえて、斎藤、初勝利とのこと。うれしくって、今、これを書いているわけです。4失点といえども、自責点は1、りっぱなものです。運も実力のうち。

新人投手の初登板をぜひみたいと思うなんて久しぶりのこと。松坂以来かな。もっと昔では江川。ふたりとも、”怪物”と言われたが、斎藤くんは”怪物”というにはやさしすぎる。やっぱり”王子”かな。次の登板が楽しみだ。それにしても、もうひとりの怪物候補、中田翔はどうしたのだろう。今日も打てず、開幕以来ノーヒット、沈黙の春だ。がんばって。

おめでとう、斎藤佑樹投手。初登板、初勝利

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ゆく河の流れは絶えずして

2011-04-17 10:43:21 | Weblog

方丈記の鴨長明は、今でいえばルポライターみたいな人ですねと、公開講座の”平家物語”の先生が話しておられた。ぼくも、定年後は、自分がルポライター(ブログ記事を書くため)みたいになってしまったなと思っているので(大汗)、その時以来、鴨長明に親近感をもっている(笑)。その話は、平家物語の終盤、平家が滅び、元歴二年(1185)七月に起きた”大地震”の場面のときに聞いた。ここの平家物語の記述は、方丈記を元にしているそうだ。

方丈記にはこう書かれている。”また同じころかとよ。おびただしく大地震ふる事はべりき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて、河を埋み、海は傾きて、陸地をひたせり。土裂けて、水湧き出て、巌割れて、谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ舟は波に漂い・・・・走り出づれば、地割れ裂く。・・・恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ侍りしか。・・・

大地震と大津波、まさに今回の大震災を彷彿とさせる記述である。さらにそのあとの記載で、大地震のあと三カ月くらいの間、普段ではびっくりするほどの大きな余震(なごり)が続いたとある。ここも、強い余震が、続く現在の東日本と酷似している。

久しぶりに、方丈記を読んでみたが、鴨長明は天災、人災が絶え間なく襲う、大変な時代を生きていたことを知った。26歳のとき、京都に大つむじ風があり、27歳のとき、全国規模でおきた養和の大飢饉(春夏ひでり、秋冬、大風、洪水など、よからぬ事どもうち続きて五穀ことごとくならず)があり、31歳のときに、前述の大地震に遭遇する。大飢饉の記述は、自分の目でみたそのままの、京の人々の苦しげに倒れゆく様を、まるでルポライターのように書いている。仁和寺の和尚が、京の街の数え切れぬ遺体に悲しみ、一人ひとりの額に梵字のアという字を書いて弔ったという逸話ものせている。全部で4万二千三百人にのぼったという。加えて、この時代、戦乱の世でもあった。

このように、鴨長明は、暗い青春時代をおくっていたことになる。このような経験が、有名な冒頭の文章になっていったのだろう。”ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし”

東日本大震災の惨状とフクシマ原発事故をみつめる若者たちの心の中にも、鴨長明の無常観が芽生えはじめていることだろう。

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