気ままに

大船での気ままな生活日誌

三春の滝桜

2011-04-25 10:34:21 | Weblog

三春の滝桜は、母さんが5月2日に亡くなった2年前の春を除いて、毎年、観にいっている。今年も是非にと思っていた。ただ、大震災や原発事故の影響で、交通事情がどうなるか、心配だった。新幹線も福島までは通るようになり、郡山から三春までの磐越東線もはしっている。そして町役場に聞いたたら、三春駅から滝桜までのバスも例年通り、出ているとのことだった。ちょうど満開になったことを新聞で知り、今日しかないと、好天の日曜日に出かけてきた。

バスから降りてすぐには、滝桜はみえない。少し歩いて、建物の影を過ぎると、突如、姿を表す。滝桜の神々しい姿に、いつきても感動する。白洲正子が富士山と並ぶ神々しさと評した那智の大滝をぼくも観たが、その神々しさは、三春の滝桜も負けないと思う。千年の歳月を経て、この華やかさ、そしてこの静けさはなんだ。神が宿っているとしか考えられない。

それに今年の滝桜は特別だ。なぜなら、当地は、未曽有の大震災におそわれ、50キロ先では、人類史上最悪の、フクシマ原発事故がまだ進行中だ。ご神木は大きな揺れに耐え、しっかりと身を守った。そして、今、かなたの不幸を悲しげに見続けている。ご神木の千年の歴史で、はじめてみる暗い光景だろう。

ご神木は、名前の通り、滝のような下垂枝に、これ以上ないといった多くの花房をつけて、ゆっくりと揺れて、まるで人々の頭をなでているように、なぐさめているようにみえた。

ぼくは、大勢の人のあとにつき、次第にご神木に近づき、すぐ前まできた。本当にどの枝の花も満開だった。太い根元もしっかりとしていて、その横に祠がみえた。ぼくは黙礼し、災害復興とフクシマの奇跡をお祈りした。

 そして、ぼくはそこを離れ、滝桜をぐるっとひと回りするように、歩きながら眺めた。そして、丘の上に戻り、滝桜を見下ろしながら、弁当を食べた。それから、そこを離れ、湖の方まで歩いた。農家の庭や道路沿いの満開のソメイヨシノや枝垂れ桜がとてもきれいだった。こんなうつくしい山里をぼくらは決して、汚してはならない、とまたフクシマを想ってしまった。すでに郡山のある公園の土は放射線量の基準値を越えているのだ。

2011年4月24日の滝桜見物は、終生わすれられないものとなるだろう。

 

左から

丘の上から(お弁当を食べたところ)

右から

滝のように
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする