気ままに

大船での気ままな生活日誌

井の頭公園の桜

2011-04-09 20:58:02 | Weblog

4月8日。小学校クラス会に行く途中、吉祥寺駅で降りて見物した井の頭公園の桜。池の端にずらりと並ぶ古木の桜が、ほぼ満開で、池に美しい姿を映していた。お昼ごろだったが、大勢の人が橋の上から、池に浮かぶボートから、向こう岸から、と桜見物を楽しんでいた。

 

 

 

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様々なこと思い出すさくらかな

2011-04-09 10:33:25 | Weblog

三鷹の小学校のクラス会があった。午後3時半に校庭の真ん中にたつ一本桜の前に集合することになっていた。学校の創立100周年記念行事が10年ほど前に行われたから、創立当時からあった、この桜は少なくとも、110年の樹齢を重ねている。

一時間ほど前に着いてしまったので、時間つぶしに、学校近くの、ある施設の喫茶室に入った。ボランティアでここの仕事をしているという、ぼくと同年輩の女性と話をした。30年間、カリフォルニアのサンタバーバラで日本料理のお店をご主人と一緒にやっていたが、ご主人が亡くなり、店を閉じ、最近、故郷の三鷹に戻り、妹さんと暮らし始めたところだという。カリフォルニアと聞いて、ぼくの顔を輝いた(と思う)。カリフォルニアに1年ほど住んだことがあるので、”カリフォルニアの青い空”と、カリフォルニアワインのレッドとロゼ(汗)が頭の中をぐるぐると回りはじめたのだ。あの頃が、ぼくの人生の華だったかもしれないと思う(今も遊び三昧で、別の意味で華だけど;汗)。

ちょっと話し込んでしまい、集合時間ちょうどくらいに一本桜の下に来た。クラスメートが集まっていた。でもその中に、N先生はいない。前回の”還暦記念クラス会”では、溢れんばかりの笑顔でみんなの輪の中心におられた。2年前の4月、亡くなられたのだ。同い年の、ぼくの母も同じ頃、他界した。本当にいい先生だった。貧乏時代のぼくらに、影ひなたなく接し、少し前みた”二十四の瞳”の大石先生(高峰秀子)のようだった(こちらは男先生だけど)。卒業後もみんなの行く末をやさしい目で追い続けてくださった。

一本桜は、周囲の桜が満開なのに、まだ五分咲き程度だった。少し、勢いが弱ってきたと、近所に住む同級生が言っていた。でも太い幹はさすがに貫禄があった。この大地震にも耐えた。よくがんばったと、ぼくは黒々した幹を軽くたたいてあげた。でも、そのポンポンという音から、幹内に大きな空洞があることは疑いなかった。ぼくらが生きている間は、倒れないでいてほしいと思う。

皆で、近くの国際基督教大学(ICU)の桜並木を歩いた。大学ができるまでは、ここは、少年時代のぼくらの遊び場だった。小川のせせらぎ、ワサビ畑、雑木林と天国のようなところだった。ワサビを盗んでみつかって怒られたっけ、とT君が話している。桜並木は大学がくる前からあったから、戦前の中島飛行機のころに植えられたものだ。ということは、小学校の一本桜と同年輩かもしれない。桜の花は満開で、これ以上ないという豪華さだった。桜のトンネルをくぐっていると、その先に少年時代のぼくらがいて、タイムトンネルをくぐっているようだった。

武蔵境駅前の居酒屋さんで開かれたクラス会は、いつまでたっても話がつきず、夜は更けていった。

様々なこと思い出すさくらかな(芭蕉)の一日だった。

。。。。。

校庭の一本桜

ICUの桜並木

ICU付属高校の枝垂れ桜

ICUHS

 

 

 

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