鎌倉市川喜多映画館で”黒澤明の世界展”をやっているはずだと出掛けた。うまくすると、黒澤映画も上映しているかもしれない、できれば”生きる”がみたいなと念じていたら、本当にそれをやっていた。
映画のはじまる前に、展示室で展覧会をみていた。映画ポスターやスチル写真がたくさん並んでいる。七人の侍、椿三十郎、用心棒、羅生門、等。ほとんどの作品の主演を三船敏郎がつとめている。若き日の加山雄三がいた。”赤ひげ”だった。江ノ電が出てくる、天国と地獄も。これらは全部、ぼくも観ている。黒澤作品は面白い。国際的な賞もいくつもとっていて、それらのトロフィーも飾られている。
黒澤監督のスタッフとして働いた野上照代の、十数冊の撮影台本や年賀状26点なども興味深かかった。野上照代は、山田洋次監督の”母べえ”の原作者(実話をもとにしている)で、映画では、照代の母役に吉永小百合が演じた。サユリストであるぼくは、もちろんみている(汗)。そのとき彼女の名を知った。”生きる”でもスタッフの一員になっていて、前日、彼女の講演会があったそうだ。一日遅れで残念。
いきなり胃のレントゲン写真が出てきて”生きる”が始まった。もちろん、黒澤監督の代表作のひとつだから、もう何度もみている。何度みても、飽きないのが名作の名作たるゆえんだろう。誰でも知っているので、筋は書かない。(でも少しは書く;笑)。初老の無気力な市民課長、志村喬が胃癌になり、余命半年と宣告される。ショックを受け、役所を無断で休み、貯金を下ろし、酒におぼれ、キャバレー通いをする。しかし、ある日突然、決意し、役所に戻り、地元住民から要望のあった、懸案の公園つくりに全力をつくしはじめる。さまざまな困難を克服して、公園ができあがる。もう命の途絶える間際だった。雪のふりしきる夜中の公園のブランコで、”ゴンドラの唄”を歌う。その顔は、満足そうに晴れ晴れとしていた。そして、そこで静かに息が絶える。
この物語の後半部は、葬儀の会食の席での仕事仲間の、志村喬への回想シーンによって成りたっている。そのストーリーの節目節目に左卜全が発する、あの独特のうなり声で、話の流れが変わっていく。はじめは、公園の設立は志村の功績ではなく、助役らのおかげだということになっていたが、次第に志村の懸命に努力する目撃談が次々と出てきて、最後は左卜全が”くず助役”とうなり、仕留める。志村喬の”功績”が認められた瞬間だった。
死を直視することにより生が浮き出てくる。死中生あり、といってもいい。ただぼっけと生きているのは死んでるのと同じだ、生き生きと生きよう、そんなテーマだと思うが、映画のあちらこちらに、くすくす笑いを忍びこませていて、観客を楽しませながら、雪のブランコに収斂してゆく。今回もまた、いい映画だと思った。
帰りに八幡さまの倒れた大銀杏を観に行った。ひこばえからもう若々しい芽が出ていた。
生きる

ゴンドラの唄 (作詞 吉井勇 作曲 中山晋平)
いのち短し 恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを