気ままに

大船での気ままな生活日誌

母の三回忌

2011-04-16 18:51:51 | Weblog

今日は母の三回忌だった。つくづく母さんは晴れ女だな、と感心した。2日前までの土曜日の天気予報は、雨または曇りだった。それが、法事の行われた昼時は晴天になり、暑いくらいの陽気になった。これまで、法事が何回か行われたが、いずれも晴れだった。

大震災の被害を受けた宮城県の妹家族は、いったん出席の方向ですすんでいたが、最近の強い余震の連続で、やはり欠席となった。残念なことだが、これではとても、出て来られないだろう。ご住職の話では、うちの前に行われた法事でも、やはり大震災の影響を受け、東北関係者が欠席されたらしい。

母は大正14年の生まれだから、大正12年の関東大震災は経験していない。しかし、戦時中に青春時代をすごし、東京大空襲の直前に故郷に疎開し、あやうく難を逃れた。もし、生きていて、今回の大震災を経験したとすれば、一生に二度の国難に遭遇することになるところだった。

一方、親父は、少年時代に関東大震災を経験し、かつ戦争で出征もしているから、二度の国難に遭遇したことになる。ぼくは、赤ん坊の頃に戦争は終わっていたし、その後、貧乏時代はつづいたが、大きな国難はなく、このまま一生を終えるものとばかり思っていた。そうはとんやが下ろさずに、今回の大震災と原発事故と、ダブル国難に出会ってしまったわけだ(もちろん準国難ともいうべき阪神淡路大震災を忘れてはいないが)。東北の人々のように、直接の被害はなかったが、それでも今回のダブル国難は、心にずしんと重くのしかかっている。

母の三回忌をこうした形で迎えるとは、夢にも思わなかったが、本当に先のことはわからないものだ。ただわかっているのは、いつの日か、誰もがおわりを迎えることだけだ。俳句好きの住職さんが、お話しの中で、”散る桜 残る桜も 散る桜”と良寛さんの辞世の句を紹介していた。

散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛)

 

 

 

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海蔵寺の海棠

2011-04-16 07:13:36 | Weblog

浄智寺の、もう多くの花びらを散らし、葉桜ぽくなっていたタチヒガンを見上げてから、坂を登り、海蔵寺に向った。前日、光則寺、そして妙本寺の海棠をみて、まだここを残していたからだ。鎌倉の三大海棠は、毎年、みなくてはならなノダ、という固い決意がある(汗)。

静かな住宅街を抜けると海蔵寺の山門がみえてきた。山門の向こうにピンク色に輝く海棠が目に入ってくる。満開だ。ぼくの足は早まり、一気に石段を登る(十数段だけど)。近づく。カメラを向けている人が5,6人はいる。ぼくも、仲間に入りシャッターを切る。一段落して、木陰のベンチに座ろうとしたら、先客がいた。仕方なく、ひなたの本堂前の縁側に腰掛ける。暑いくらいだ。ジャンバーを脱いで、海棠と庭をみた。左向こうの雪柳が相変わらず、きれいだった。うしろを振り向くと、前回来たときには、ひとつもなかったが、今日は、山吹色の花をいっぱいつけていた。こんなにも山吹があったんだと驚く。花が咲いてから、いつも気付く。さらに裏山に目を向けると、大きな山桜が数本、誇らしげに満開の花をつけていばっていた。源氏山の山桜だ。

ソメイヨシノは花吹雪のときに移っている。花びらが池に川に、花筏となってすいすいと、おさらばしていく。いさぎよい花だ。男はこうありたい。さあ、次は八重桜だ。北国の桜だ(汗)。美術館巡りはそのあとだ。でも、桜見物の合間に、(まだブログ未発表ですが)三つほど、展覧会をみています。これらも、近々、ブログ発表の予定ですので美術フアンの方は不安にならず、お待ちください。それにしても保安院の審議官はタフな人だな。毎日のようにテレビに出ている。(一応、ファン、不安、保安、と韻を踏んでいるつもりです)

 

 

 

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