今日は母の三回忌だった。つくづく母さんは晴れ女だな、と感心した。2日前までの土曜日の天気予報は、雨または曇りだった。それが、法事の行われた昼時は晴天になり、暑いくらいの陽気になった。これまで、法事が何回か行われたが、いずれも晴れだった。
大震災の被害を受けた宮城県の妹家族は、いったん出席の方向ですすんでいたが、最近の強い余震の連続で、やはり欠席となった。残念なことだが、これではとても、出て来られないだろう。ご住職の話では、うちの前に行われた法事でも、やはり大震災の影響を受け、東北関係者が欠席されたらしい。
母は大正14年の生まれだから、大正12年の関東大震災は経験していない。しかし、戦時中に青春時代をすごし、東京大空襲の直前に故郷に疎開し、あやうく難を逃れた。もし、生きていて、今回の大震災を経験したとすれば、一生に二度の国難に遭遇することになるところだった。
一方、親父は、少年時代に関東大震災を経験し、かつ戦争で出征もしているから、二度の国難に遭遇したことになる。ぼくは、赤ん坊の頃に戦争は終わっていたし、その後、貧乏時代はつづいたが、大きな国難はなく、このまま一生を終えるものとばかり思っていた。そうはとんやが下ろさずに、今回の大震災と原発事故と、ダブル国難に出会ってしまったわけだ(もちろん準国難ともいうべき阪神淡路大震災を忘れてはいないが)。東北の人々のように、直接の被害はなかったが、それでも今回のダブル国難は、心にずしんと重くのしかかっている。
母の三回忌をこうした形で迎えるとは、夢にも思わなかったが、本当に先のことはわからないものだ。ただわかっているのは、いつの日か、誰もがおわりを迎えることだけだ。俳句好きの住職さんが、お話しの中で、”散る桜 残る桜も 散る桜”と良寛さんの辞世の句を紹介していた。
散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛)