おはようございます。旅先、熱海からのスマホ投稿です。旅行中、溜まっている展覧会関係を片付けたいと思います(笑)。
先日の、”このブログの人気記事”欄で、”藤田美術館60周年特別展/序章”がベスト10入りしていた。これは去年の三月、大相撲大阪場所見学を兼ねて、藤田美術館を訪ねたときの記事である。これをみて、サントリー美術館で開催されている”国宝・曜変天目茶碗と日本の美/藤田美術館”の記事を載せていないことを思い出して、早速、書き始めている。これでは、泥縄ブログといわれても仕方がない(汗)。あのときの展示もすごかったが、今回も同様に素晴らしいラインナップだ。比較しながら、書き留めておこう。なお、以下の写真の多くは、そのときの、あるいはそれ以前に訪ねたときのブログ記事の写真の使い回しです(笑)。
まず、国宝・曜変天目茶碗。これはどちらの展覧会でも、ちらしを飾る名品。世界で三椀(いずれも日本で国宝)しかないという。
展覧会後半に展示されている。みな、舐めまわすように、上から下から、横からと眺めている。開幕直後だったから、空いていて、ゆっくりとみることができた。月並みな表現だけど、星空を眺めているような、と言ったらよいか、いつみても素晴らしい。いつの日か、曜変天目、三椀を並べて、みてみたいもの!
国宝・曜変天目茶碗
この椀は、第4章の茶道具収集への情熱で展示されているが、三つの重文茶碗も並んでいる。菊花天目茶碗、御所丸黒刷毛茶碗・銘夕陽、そして白縁油滴天目茶碗。
白縁油滴天目茶碗
また、傳三郎が亡くなる10日前にやっと手に入れたという、彼が終生憧れていたという名品も両展覧会に出展されていた。
では、はじめにもどって、第1章 傳三郎と廃仏毀釈。傳三郎も20代後半、萩で明治維新を迎える。その後、大阪に出て、事業に成功し、関西屈指の実業家になる。明治政府の廃仏毀釈政策に文化遺産の喪失に危機感をもった傳三郎は、薬師寺伝来の”大般若経”や快慶作、地蔵菩薩立像などを手に入れる。はじめの部屋の入り口近くに、いかにも神々しい地蔵菩薩が迎えてくれる。そして奥の棚には国宝・大般若経が。
重要文化財・地蔵菩薩立像(快慶作)
国宝・大般若経387巻内二巻
第2章 国風文化へのまなざし
傳三郎の眼は、遣唐使廃止頃から芽生えた日本独特の国風文化にそそがれる。中世の和様の書や絵巻の名品がそれである。
国宝・玄奘三蔵絵
国宝 仏功徳蒔絵経箱
第3章 傳三郎と数寄文化
明治維新以来、すたれかけていた茶の湯を、仲間と共に復興させ、数寄(すき)文化を流行らせた。傳三郎自身もも武者小路千家と表千家に学んだ。ここでは、茶室や床の間に懸けた墨蹟や宋元画、水墨画などが展示されている。
第5章 天下の趣味人
昭和20年の大阪大空襲で大阪の邸宅、庭園のほとんどが焼失してしまったが、蔵だけが焼け残った。その蔵が現在の藤田美術館の展示室となった。傳三郎は、天下の趣味人で、邸内に能舞台までつくり、家族と共に楽しんだという。そのため、藤田家のコレクションには能装束や面、そして、同時代の日本画家、竹内栖鳳の作品まで、蒐集は多岐に渡った。
大獅子図(竹内栖鳳)