三年ほど前、パリのマルモッタン・モネ美術館を訪れ、モネの名作”印象、日の出”を目の前にしたときの感激は忘れられない。その”日の出”が同美術館の所蔵品90点と共に、東京都美術館に来られるというので、楽しみにしていた。もちろん、初日(9月19日)に出掛けてきた。
いつかも書いたことがあるが、ぼくはモネの作品はすべて好きだが、連作の多い睡蓮、積みわら等より、”日の出”と”日傘の女”がとくに好きである。だから、今回の展覧会でも、お目当ては”日の出”。その作品は、別格の待遇で展示されていた。間近で見たい人の為には、ロープが張られ、行列が出来ていた。でも、ロープの外でも、十分、鑑賞できるので、ぼくは並ばず、その代わり、ゆっくりと見た。その絵は、まるで、絵そのものが”日の出”のように輝くような照明があてられていた。朝もやの立ちこめるル・アーブル港の風景。そこに朝日が昇り始める。空と水面が朱色に染まり始めている。ぼくがこの絵を好きになった、若き日のことを思い出したりもしながら、しばらく、画中の人となった。
それでは、その他の作品を各章ごとに巡ってみましょう。画像はちらしに載っているものばかりです。画題はぼくが勝手につけています。
家族の肖像
この美術館は、モネが亡くなるまで手元に置いていた作品ばかりを所蔵している(ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションを除いて)。モネは、最初の妻カミーユと再婚したアリスの子を合わせ8人の子供たちと共に生活した。家族の肖像画はたくさん描かれ、ここにも10数点、展示されている。
海辺のカミーユ 本作品を制作した1870年夏、モネはカミーユと正式に結婚し、このトゥルーヴィルに滞在したとのこと。
ミシェル・モネ(カミーユとの子)
新聞を読むクロードモネ(ルノワール筆)
若き日のモネ
子供の頃から絵を描くのが好きで、ノートには似顔絵、風刺画(カリカチュア)がいっぱい。そのうち、それが評判となり、カリカチュアが一部、10フランか20フランの値がつき、2000フランほど稼いだという。それを元手にしてパリへ行き、本格的な画家への道を目指すことになった。
劇作家の似顔絵
モティーフの狩人
モネはよく旅をした。モーバッサンは彼のことを画家と言うより狩人のようだと述べたそうである。フランス北西部のノルマンディー沿岸やブルターニュの島、南フランスの光輝く海辺、テムズ川の流れるロンドンや水の国オランダなど。モネは各地で季節や天候によって異なる表情を見せる水辺の風景を描いた。
オランダのチューリップ畑
睡蓮と花/ジヴェルニーの庭
ジヴェルニーの庭は、モネ自身が庭師と相談しながらが造り上げた。邸宅前の花の庭だけではなく、敷地を広げ、睡蓮の咲く池を造った。そこから、200点を超える、睡蓮の連作が生まれた。また、第一次世界大戦が勃発する1914年、モネは「睡蓮」の大作に取り組み始める。オランジュリー美術館の大装飾画となる”睡蓮”だ。本展では、その下絵ともいうべき作品が6点も展示されている。
睡蓮
最晩年の作品
モネは晩年、白内障に罹り、視力が著しく落ちてきていた。画風もまるで抽象画のようになってきている。睡蓮の池には日本風の太鼓橋が架けられ、池のほとりには菖蒲やカキツバタ、柳や竹も植えられている。これらの風景を、最晩年まで描き続けた。
バラの小道
収集家としてのモネの章もあり、モネが敬愛したドラクロワの作品や10代のモネに戸外制作を勧めたウジェーヌ・ブーダンの水彩画なども展示されている。また、本展には、ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションが4点、《印象、日の出》、《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》、《テュイルリー公園》、《雪の効果、日没》、特別出展されている。このうち、”日の出”は前期のみ、”サン=ラザール駅”は後期のみの展示となる。後期にもう一度、覗いてみたいと思っている。
”サン=ラザール駅”のちらし
”日の出”のちらし
三年ほど前に訪ねたパリのマルモッタン美術館