気ままに

大船での気ままな生活日誌

彼岸花を追って 極楽寺から長谷寺へ 

2015-09-17 09:55:58 | Weblog

9月16日は結婚記念日。いつ、どちらかがぽっくりいっても、おかしくない年になったから、最近は記念日に、一緒に食事くらいすることにしている。記念日割引のある和食屋さんで祝い酒をいただいたあと、大船からモノレールに乗った。このモノレールは乗客数が伸び悩み、将来展望が開けないと、6月に経営権が他社に移っている。今のところ、変わりはない。とくに要望はないが、スイカを使えるようにしてほしい(笑)。

うす曇りで、窓からの展望も開けず、富士見町駅からの富士山もみえなかった。終点の江の島で降りて、江ノ電に乗り換えた。長谷周辺の散策を考えていた。極楽寺駅で降りて、極楽寺、成就院、御霊神社そして長谷寺へというコース。紫陽花の季節には最高の散策路だが、さて初秋の散策のお目当ては、東慶寺では咲き始めていた彼岸花かな。結果を先に言うと、ちょこちょこ咲いている程度。それもまた、風情があってよかったですよ。

極楽寺 銘木・百日紅の前の彼岸花

百日紅もまだまだ

成就院 白の彼岸花がふたつだけ

御霊神社 彼岸花がひとつもない。それもひとつの見識だただ、ぎんなんが五つ、転がっているだけだった。

大銀杏

明日(9月18日)、御霊神社の面掛行列があります。ぼくは、用事があるので行けません。珍しい、面白い行列ですよ、写真は2013年の行列

長谷寺 さすがに、ここには彼岸花がいくつも。

長谷から江ノ電で鎌倉駅に着いたら、雨が降ってきた。ルノアールで雨宿り。そこでみた読売新聞にびっくり。松竹撮影所跡の寅さんとひばりさんのタイル壁画が今月中に撤去されるとのこと。

帰路、壊される前に記念写真を撮ってきた。

ちゃんとお知らせもあった。

さようなら、寅さん。ここへ越してきてから、もう10年。いろいろ世の中、変わるなぁ。資生堂もなくなってしまったし。

さて、これから両国の国技館へ!稀勢の里、今日の相手は苦手の栃煌山。ここを突破すれば、初優勝へ一歩近づく!

ただ、ぼくが国技館に行ったときの稀勢の勝率がきわめて低いのが気になるが。

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スサノヲの到来/いのち、いかり、いのり

2015-09-17 06:03:39 | Weblog

松濤美術館で開催されている”スサノヲの到来”。もうそろそろ閉幕となるが、ぼくが行ったのは8月23日。そのときは渋谷の美術館巡りをしていて、ブンカムラミュージアムの”エリック・サティとその時代展”もみているが、これはすでに閉幕してしまっている。どちらも感想文はまだで、とにかくメモ書きでもいいから、記録として残しておこうと思う。

古事記は意外と面白いと、いろんな方が現代文訳されているが、まだ読んではいない。先日、図書館で石森正太郎の”古事記/漫画日本の古典”に目を通してみた。それによれば、スサノヲは暴れんぼうであったり、子供のようなところもあったり、英雄的な面もあれば、日本初の和歌を詠んだりする文化的な一面もある。要するに多面性をもつ、かみさまなのである。

本展ではスサノヲをキーワードに、縄文時代から始まって、芭蕉、西行、円空など、そして、平田篤胤、熊楠など近代の巨人たちの紹介、またスサノヲを描いた作品、さらには現代美術への伝搬等、150点を超す展示品が、以下の章だてで所狭しと並べられている。

序章:日本神話と縄文の神々
第1章:神話のなかのスサノヲ
第2章:スサノヲの変容
第3章:うたとスサノヲ
第4章:マレビトたちの祈りとうた
第5章:平田篤胤
第6章:スサノヲを生きた人々ー清らかないかり
第7章:スサノヲの予感

序章では、縄文時代中期の土器や土偶そして石棒などが展示されている。スサノヲがあやめたオホゲツヒメの元から五穀が生まれたので、こうした農耕に繋がったという意味づけのようだ。

第1章に入ると、スサノヲを描いた作品がいくつも。月岡芳年の木版多色摺、平沢定人の油彩画、手銭官三郎の古面、大野明山の神像など。ここでスサノヲの視覚的イメージがつかめる。

第2章では、スサノヲの変容に焦点が合わされる。スサノヲの役割をツクヨミ(月読)が果たしたり、牛頭大王にも変容した。青面金剛像も月読尊像と共に、ここに現れる。

第3章では古今和歌集など、第4章では和歌も詠み、あちこち漂泊したスサノヲのような、放浪の円空さんや芭蕉が登場。また、西行物語絵巻もと、多彩な展示品がつづく。第5章では本居宣長の”古事記伝”からはじまり、復古神道の大成者、平田篤胤が登場。

そして、ぼくがある意味、一番興味をもったのが、第6章:スサノヲを生きた人々/清らかないかり。ここになんと、南方熊楠、折口信夫そして田中正造が現れたのだ。心にスサノヲの清らかな怒りをもつ3人。なるほど、うまい選択。熊楠は明治の神仏合祀に激しく抵抗した。自分の専門の植物や粘菌の宝庫でもある、鎮守の森が破壊されるのを許すことができなかった。これが全国的な運動となり、環境破壊がずいぶん軽減された。熊楠の日記やロンドン戯画、菌類彩色図譜などが展示されている。

折口信夫は、”公腹が立つ” ”すさのをぞ怒りつつ国を成しけるものを” ”神の怒りを我が怒りとして保ちたい”と、ぼくのメモ書きある。”すさのを詩稿”、書などが展示されている。そして田中正造。”真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし”。この文章の書かれた日記、演説草稿、など。そうそう、遺品として小石も。私財をすべて鉱毒反対運動などに使い果たして、死去したときには、ずた袋1つで、中身は、新約聖書、鼻紙と趣味の小石3個だけだったという。

そして、”スサノヲ”は、最終章の現代美術へと伝搬して、本展を締めくくる。とても、面白い展覧会だった。



この方もスサノヲの末裔かもしれない(笑)。岡本太郎。井の頭線渋谷駅前の巨大壁画”明日の 神話”

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